なぜ現代人は「遠近法的(パースペクティブ)思考」なのか

pikarrr2008-02-10


「科学的」とはなにか

伝統の終焉は、どうやらその実質的内容自体に対する異議申し立てではなく、伝統の権威が崩壊することによって始まるらしい。ニーチェはこうした権威崩壊の成り行きを、無類の簡潔さで「遠近法的(パースペクティブ)思考」と呼んだが、その意味するところは、伝統的な文脈の内側で好き勝手に移動できる思考ということだ−それはまた、かつては真実とみなされていたあらゆることが、今では単なる一つの遠近法=観点の様相を呈し、きっと同じ程度に正当で有意義な観点が多数存在する可能性があるということでもある。

そしてマルクス主義が実際にありとあらゆる人文諸科学の研究分野に導入してきたものこそ、この遠近法的思考に外ならない。・・・マルクスの見解の中で斬新で且つすばらしく有効だったのは、文化、政治、社会、経済を一つの機能的文脈の内側にあるものとみなす彼の方法であった。しかもその文脈は遠近法=観点の移動に伴って恣意的に移動しうるものであることが、すぐに判明したのである。資本主義がプロテスタント倫理の精神構造から生まれる仕組みを解明したマックス・ウェーバーの研究は、唯物論一点張りのいかなる歴史研究にも増して、マルクス主義的な史的方法論の恩恵を被っているーそれがいわゆる思想史であれ、政治史であれ、社会科学や経済学であれ−結果として生じるのは、遠近法の移動が起こるたびに派生する諸関係のシステムであり、大づかみに言えば、そのシステムによって、伝統の権威に類似した拘束的真理を一切生成させることなく、あらゆる事象が説明されうるようになるということである。


ヘーゲルからマルクスへ」 ハンナアレント (ISBN:448086380X

ボクがいう「科学的」とは、一般的な「科学」と違います。いわば、ニーチェの系譜学的です。「系譜学」というのは、ニーチェが行ったことだけでなく、フーコーなどに受け継がれ、広義の意味を持ちます。その歴史的な意味を考えると、客観性を見いだす方法論です。しかしこの客観性とはなにか答えが一つあるということではありません。

科学とは反証可能性であるという反証主義がありますが、「科学的」であるというのは、懐疑する可能性に開かれている、ということです。系譜学というのは、懐疑する可能性を開くパースペクティブを持つと言うことです。ボクが科学的であることを、ニーチェ"的"な系譜学"的"と表現したのは、このような意味なのです。

ボクは「科学とは反証可能性があること」というような強い表現はしません。これによって、心の科学や、進化論など多くのことが排除されるからです。しかし反証可能性"的"とはいえるでしょう。すなわち懐疑する可能性に開かれているとうことです。

科学と非科学には厳密な違いを見いだすことはむずかしいでしょう。科学的とは、反証可能性"的"であること。すなわち懐疑する可能性に開かれていることです。そして懐疑する可能性に開かれるために有用な方法論として、還元主義と帰納法があります。




哲学と経済性


現代思想の源流としてニーチェフロイトマルクスがあげられますが、彼らがどう時代に存在したのは、科学性が高まる時代は背景があります。そしてそれは進化論のすぐあとあということがとても重要です。だからニーチェの系譜学のような考えは時代の科学性の高まりを的確にとらえた表現だと思います。

たとえは宗教の教えをベタに受け入れるのでなく、様々な情報と相対化しながら系譜学的に分析する。それが科学的、反証可能性的姿勢です。現代においてこのような姿勢はとても当たり前です。

先に科学性の源流として進化論あげましたが、より重要なことは情報入手コストが安価になったことです。多くの出版物、さらにはネットにおいて、情報はすみやかに、安価に入手可能になりました。ダーウィンであってもガラパゴスへ旅にでることができ、情報を収集できたのも航海のコストが下がったからです。たとえばいまなら宇宙旅行のコストはどんどん下がり、将来庶民に手が届くかもしれないといわれています。




哲学は解釈か、変えることか


ニーチェの系譜学の本質は哲学手法ではなく、その時代の人が身につけた先端的な思考性である。ということです。たとえばデカルトの二元論や機械論、最近ではデリダ脱構築も同様です。もはや僕達は無意識に、機械論的、系譜学的、脱構築的な科学的思考を身につけています。

しかし生きるとは能動的でしか、ありえません。「歴史の狡知」は遠く過ぎ去ってしかわからないのですから。

いわゆるフォイエルバッハに関する第十一テーゼから採られた記述において、マルクス自身がヘーゲルとの関係と訣別の核心部分について説明している。「哲学者たちは世界を様々に解釈してきたのにすぎない。しかし肝心なのはそれを変えることなのである」。彼の著作全体を最重要の目的という文脈内で考えれば、この一八四五年の青年マルクスによる所見は以下のように再公式化されるだろう。すなわち、ヘーゲルは過去を歴史として解釈し、さらにそうすることによってすべての歴史的変化の根本法則として弁証法を発見したのであると。この発見によって、私たち未来を歴史として形作ることができる。マルクスにとって、革命政治とは、すべての歴史的変化を貫く根本法則に歴史を符合させる活動なのである。これがあればヘーゲル「歴史の狡知」は不要になる、なぜなら「歴史の狡知」の役割は、政治的活動に回顧的な政治的合理化を施すこと、すなわちそれを理解可能なものにすることだったのだから。ヘーゲルとカントはこうした不思議なほどに巧緻な「摂理」の働きを当てにせざるをえなかった。なぜかと言えば、まず彼らは、政治活動そのものは他のいかなる人間的活動よりも真実から遠いと仮定していたからであるし、他方で彼らは、一貫した理解が可能でそれゆえ「合理的」に見える近代的な歴史問題に直面していたからである。人間は自分たちが始めた行動に対して確実なコントロールなど決してできないし、自分たちの最初の意図を完全に実現することも決してできない。だから歴史は「狡知」を必要とするのだ。


ヘーゲルからマルクスへ」 ハンナ・アレント (ISBN:448086380X




遠近法的思考と形而上学的思考


先のアレントの文章を図式化すると、以下のようになるでしょう。

伝統、真実  「遠近法的(パースペクティブ)思考」  多数性

これをボクの物語論につなげると、

物語、単独性  科学的、情報化  情報、偶有性

しかしこのような展開の違和感は、ニーチェ(あるいはマルクス)の遠近法的(パースペクティブ)思考は能動的な行為であることです。ある真実に対して、倫理的な行為として行われます。それに対して、ボクが科学的というときには、受動的なものです。ただ現代人は無意識に「遠近法的(パースペクティブ)思考」を行っている、ということです。

それだけでなく、そうだからこそ、収束させようとしているです。ニーチェの時代、人は無意識に伝統に従っていた。だから「遠近法的(パースペクティブ)思考」は能動的に行うことでした。

あるいはニーチェの系譜学も「歴史の狡知」でしかないのかもしれません。ニーチェの時代でもすでに、人々の意識の中に「科学的」「遠近法的(パースペクティブ)思考」に進んでいた。ニーチェはただそれを後から記述しただけである。発明したのでなく、発見したのだ、ということかもしれません。

どちらにしろ、現代はむしろ人は無意識に「遠近法的(パースペクティブ)思考」を行っています。だから逆に正しい形而上学的思考が求められるのです。すなわち「物語」への収束をいかに確保するか。それが倫理であり、重要であるということです。

<拡散>
物語、単独性  情報化  情報、偶有性(多数性)

<収束>
物語、単独性  物語化  情報、偶有性(多数性)


参考 

[まとめ]なぜ村上春樹はオタクよりもタフなのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080209より
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