なぜ日本人はグローバリズムに乗り遅れたのか

pikarrr2008-03-05

「空気を読め」に感じるヒステリックさ


「空気を読め」とは、「そこに空気があることを知れ」ということですが、そもそも空気があるのでしょうか。すると「空気があるように振るまえ」ということ、場に秩序を求める願望ということでしょう。

このような傾向で、一般的に知られているのが、儀礼的無関心です。無関心とは関心が「ない」ことですが、儀礼的無関心は、関心がないことが「ある」ということです。関心がないことに意識的であれ、ということです。

あるいは、「消極的な自由」という言葉があります。〜から自由になるというような積極的な自由ではなく、他者に迷惑をかけない程度に好きなことをする自由です。これを実現するためには、不必要に他者に干渉する/から干渉されるということが排除されます。これは儀礼的無関心につながります。「他者に干渉する/から干渉される」ことがないとは、関心が「ない」ではなく、関心がないことを意識に行うことです。

そしてこのような儀礼的な無関心が、より強い同調圧力として働くと、「空気を読め」ということになるのでしょう。だから「空気を読め」に感じるヒステリックさというのは、逆に他者との不干渉への不安を感じさせます。不干渉というネガティブな形で干渉する、ということです。いわば、お互い分かり合えないことを分かり合おうよ、みたいなことです。




日本人は政治(交渉)ベタ


これが日本型共同体感覚か、というとそのような面があるように思います。最近、中国食品問題があります。そこで協力していこうといった矢先に、中国政府がかってに日本に責任をなすりつけるような発表を行いました。これは中国と日本の力関係もあるのでしょうが、そのいい加減さに日本人は呆れてしまいます。日本人ならこんなことはしない、中国人はほんとにいい加減だ、となります。

この善し悪しは別にして、日本人はたぶんに「信頼」を重視する傾向があるように思います。「話せばわかる」、「正義は必ず勝つ」というような漠然とした他者への信頼を重視します。外国ではなかなかこのような「信頼」は通用しないでしょう。むしろ政治(交渉)の場を考えるのではないでしょうか。これは彼らに信頼関係がないということではなく、身近には信頼関係をもっていても、その外部である感覚の異なるものとの間は駆け引きの場であるわけです。日本人はこのように外部と対峙し、交渉する経験が少ないのでしょう。

最近、グローバリズムにおける日本の乗り遅れが言われます。経済競争においても、なかなか勝っていけない。そこには、日本人にはこのような「最後は分かり合える」という信頼があり、国際的な競争(闘争)の場での交渉ベタがあると思います。

少し前に日本が勝っていけたのは、国際競争といいつつ、自国内で高い技術を構築し、それを輸出したからでしょう。中国などの途上国の安い人件費を使う必要があるなど、競争の場が海外に移ってしまうと、交渉が重要になり、なかなか勝てないということがあると思います。




日本の正社員は過保護


日本での格差問題も、海外の安い人件費に対抗するために、日本人の人件費を下げる必要からバイトや日雇いを増やすということから生まれています。そこには国内生産へのこだわりがあります。また海外のようには、正社員で一度雇用すると簡単に首を切ることはできません。契約という意味だけではなく、信頼という意味で。

先のニート世代を生み出したのも、不況の中で正社員の雇用を確保するために新入社員を入れない方針からきています。競争力を考えると、給料の高い正社員の一部を解雇し、若い新入社員を入れるという選択肢もあったと思います。しかしニート世代が働かずに生活できているのは正社員である親世代の雇用が確保されたからです。良い悪いは別にして、ここにも日本人的な「信頼」関係を重視する雇用システムがあります。

日本の正社員は過保護?
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080305AT3S0401404032008.html


経済協力開発機構OECD)は4日、加盟先進国の労働市場に関する分析をまとめた。日本は正社員へ手厚い雇用保護をしている半面、パートなど非正社員の処遇改善が遅れていると指摘。正社員への過剰な保護を緩める政策的な取り組みが進んでいないと批判した上で、正社員・非正社員の待遇格差を縮めて、より効率的な労働市場を目指すべきだとした。




グローバリズムに乗り遅れた日本


「信頼」の重視を単に悪いということは言えないと思います。このようなグローバルな市場主義になっても、社会秩序を構築し、高い治安を支えています。

しかし「もはや日本は経済的に二流である」という大臣の発言があったように、グローバリズムという点では問題です。経済成長率がわずかで、なにかいまだに行き先が見えずに内部に閉塞し悩むポストモダンな日本に対して、BRICsなどは高い成長率に熱狂しています。また同じポストモダン的な状況にあった欧州、米国は、欧州統一や、911などで、グローバリズムに敏感に適応しています。

高度経済成長期は日本もかつて通った道です。そして成熟した日本は、低コストで楽しめるオタク的な趣味をのんびりと楽しめばよい。ある意味でいえば、このようなスノビズム的な(あるいは動物的)ものは、最近日本が生み出したすぐれた発明の一つかもしれません。しかしそんなのんびりとしてことをいっていられるでしょうか。経済的な波は容易に国境を越え、家計へと直撃します。

「信頼」を重視する保守化の問題は、モチベーションをうまないということでしょう。構造改革のようなものは、ネオリベラルな市場主義を重視して格差を広げると言われますが、その本質は社会の流動性を高め、競争を促進し、モチベーションを高めることにあるでしょう。「信頼」を保ちつつモチベーションを高める。格差を生む競争とモチベーションを高める競争、ここにどの程度の境界線を引くことができるのか。

どうする、どうなる日本人!?m9( ̄□ ̄)
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