なぜiPhoneは「ケータイネット世代のきもち」がわからないのか  

pikarrr2008-07-14


テクノロジーはオプティミズ(楽観主義)を生み出す


テクノロジーにはある種のオプティミズ(楽観主義)がつきものです。このようなオプティミズを支えているのは「テクノロジーの外挿性」と言うべきものです。たとえば図表上にある2点があると、その2点を通る1本の直線が引くことができます。この2点を繋ぐことは内挿ですが、その直線を2点の外側へと延長することが外挿です。外挿された直線は見かけ上は無限に延ばすことができます。

統計的にいえば、近似線の法則性はデータ範囲内での成立するものであって、外挿には根拠がありません。ただ多くにおいて人は内挿でとどめることなどできません。とくにデータが数値化されやすい科学技術において、「外挿する欲望」に打ち勝つことができるでしょうか。すなわちテクノロジーの外挿性は夢の未来というオプティミズ(楽観主義)を生みます。

そしてこのようなテクノロジーの外挿思考が新たな技術開発を生み出すことで、近代以降、資本主義そのものを支えてきました。それは大航海時代に始まり、植民地主義をへて、世界市場へと繋がる「フロンティア思考」です。フロンティアが開拓されたことで世界が広がる。経済的な範囲を広げ、規模を拡大させ、人々を豊かにし、生産、消費を活性化させてきた。

新たな技術開発は新たなフロンティアを開拓するだけではなく、フロンティアそのものを生み出すことに本質があります。たとえばコロンブスが見つける前にアメリカ大陸にはインディアンが住んでいた、あるいはバイキングがアメリカ大陸の存在を知っていたとしても、それはフロンティアではありません。フロンティアとはそれをフロンティアとする技術力が必要です。大量の移民を輸送する航海術であり、開拓する農耕技術など。

たとえば近代以前は「時間」は必ずしも発展するものではなく、変わらず繰り返すものでした。それに対して「歴史」という概念は進歩史観であり、近代に始まるといわれます。それはまさに近代に生まれたテクノロジーの外挿思考であり、「歴史」とはオプティミズ(楽観主義)なフロンティア思考なのです。




ムーアの法則という革命


近年、とくにこの「外挿する欲望」を想起し続ける図表があります。それがムーアの法則です。インテルの共同創業者であるゴードン・ムーアは、「最小部品コストに関連する集積回路におけるトランジスタの集積密度は、18〜24ヶ月ごとに倍になる」という経験則を提唱しました。この外挿思考が、パソコン以降のIT技術の上昇志向を支えてきました。

たとえばIT文化の典型的な表現に、"Web2.0"などの表現があります。これは半導体などのハードやMS-DOSなどのソフトウェアの上昇志向を表記する方法として始まりました。この根底にはあるのは、ムーアの法則による外挿思考です。

いまやIT関連全般だけでなく、たとえば「資本主義2.0」など様々なオプティミズ(楽観主義)的メタファーとして用いられています。ムーアの法則による外挿思考によるオプティミズ(楽観主義)が社会全般に広まっています。

ムーアの法則による外挿思考の強力さは、単に見せかけではなく、実際にそれに向けてIT産業が努力をして、生産を、そして消費を活性化し、多くの金を生んできた黄金の近似線です。そしてまたIT革命として生活そのものを劇的に変化させました。ITはフロンティアというメタファーで語れるのは偶然ではありません。テクノロジーの外挿思考が、資本主義的なフロンティアというオプティミズ(楽観主義)な夢を生み出しています。

レイ・カーツワイルは、歴史を研究することで技術的進歩が指数関数的成長のパターンにしたがっていると結論付け、特異点が差し迫っているという信念を正当化している。彼はこの結論を「加速するリターンの法則」(TheLawofAcceleratingReturns)と呼ぶ。彼は集積回路の複雑さの成長が指数関数的であることを示すムーアの法則を一般化し、集積回路が生まれる遥か以前の技術も同じ法則にしたがっているとした。

彼は、ある技術が限界に近づくと、新たな技術が代替するように生まれてくると言う。彼はパラダイムシフトがますます一般化し、「技術進歩が加速されて重大なものとなり、人類の歴史に断裂を引き起こす」と予測する(カーツワイル、2001年)。カーツワイルは特異点が21世紀末までに起きると信じており、その時期を2045年としている(カーツワイル、2005年)。


「技術的特異点 出典: 『ウィキペディアWikipedia)』

資本主義社会の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96

これによってITの世界では、資本家と労働者を区別している「資本」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことができるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれない。貨幣を媒介にしないで生産物を交換するオープンソースなどの「生産手段の民主化の先には「非金銭的経済」が出現する。・・・資本が経済システムの中心であるという意味では資本主義の時代は、終わりつつあるのかもしれない。P100


「ウェブは資本主義を越えていく」 池田信夫 (ISBN:4822245969




iPhoneという奇跡」


iPhone発売がいろいろな意味で話題になっていますね。ボクはiPhoneの普及には懐疑的です。ワンセグ、お財布機能などの新しいケータイの機能がないなどはどーでも良いのですが、ケータイの本質である「機動性」が決定的に劣っている。たとえば文字入力がやりにくい、片手操作ができない、電池寿命が短い、携帯専用サイトが見られないなど。

しかしiPhoneはそもそもケータイでなく、その魅力は「携帯インターネット端末」としての可能性にあるとも言われています。

iPhoneという奇跡 http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/07/13/entry_27012223/


iPhoneは、まさにいま、「携帯インターネット端末」の代表たる歴史的地位を確立しつつあるのです。・・・パーソナルコンピュータにとっての携帯電話とは、典型的なイノベーションのジレンマですが、アップルは、この決して当事者には克服できないと予言されたジレンマを乗り越えてしまいました。・・・ヘビーデューティーな限られた用途でしかパソコンが使われなくなっていくであろう未来を先取りし、自ら先手を打ったのです。

iPhoneの進歩性とは何か。・・・あらゆる高機能なネイティブ・アプリケーションがこのOSの上で安定的に記述可能になっているということです。・・・iPhone OSでは、加速度センサーやカメラ、GPS、ローカルのデータベースなど、内部のありとあらゆる機構に一般のアプリケーション開発者がアクセスすることを許しています。開発者の自由度を高めることで、開発者の情熱を引き出す。こういうオープン性がもたらす開発者コミュニティにおける化学反応こそが、官僚的なスーツ主体の組織では絶対に不可能な戦略であり、だからこそ他社が簡単に真似できない決定的なアドバンテージになることを、アップルはMacの経験から知っていました。

そして、実はこれこそが「パソコン」「パソコン」たらしめているパラダイムの本質なのです。・・・パソコン的なるものの本質とは、アプリケーション開発者の自由度を高めるオープン性、あるいは「テクノロジー民主化とでもいうべき思想にあったのです。・・・そして何よりも、iPhoneが今まさに行おうとしている革命は、かつてアップルがIBMに対して行ったのと構図も規模もそっくりな「テクノロジー民主化の革命なのです。




ムーアの法則のジレンマ


イノベーションのジレンマとは、安易なテクノロジーの外挿思考による楽観主義が時代の変化に対応できないという危険性に関しての教訓です。

イノベーションのジレンマ ウィキペディアWikipedia)』参照


優良企業は従来製品の改良を進める「持続的イノベーションによって自社の事業を成り立たせており、全く新しい価値を生み出す「破壊的イノベーションを軽視する傾向にある。「持続的イノベーションの成果はある段階で顧客のニーズを超えてしまい、顧客はそれ以降においてそうした成果以外の側面に目を向け始める。そして「破壊的イノベーションが市場で広く認められたとき、従来製品の価値は毀損し、優良企業は自社の地位を失ってしまう。

パーソナルコンピュータにとっての携帯電話がイノベーションのジレンマであるというのは、近年進められたパーソナルコンピュータの外挿性=処理能力の向上や、それに合わせたOSの機能向上がもはやユーザーにとって魅力ではなくなり、それに変わってケータイが「破壊的イノベーションとして現れているということです。携帯電話がもつ「破壊的イノベーションの特性とは、「ネットコミュニケーションツール」です。

あるいは最近なら、ソニーのゲーム機PS3PSPが、情報処理能力の向上という外挿性を重視したのに対して、任天堂「Will」ニンテンドーDSが外挿性から脱却し成功したことが挙げられます。

これらの例はムーアの法則の外挿による「持続的なイノベーションにジレンマが生まれているといえるでしょう。




パソコン世代 「創造性」の自由度を求める


パソコン以降のIT文化の特徴は、開発者の自由度を高めるオープン性、あるいは「テクノロジー民主化にあるというときに、そこには絶えず「なにをそれほど情報操作する必要があるのか」という不思議がつきまとっています。これが意味するのは、フロンティア思考そのものです。再度言えば、新たな技術はフロンティアを開拓するだけではなく、フロンティアそのものを生み出す。

テレビならテレビ番組をみるというように家電製品では用途が明確であるのに対して、パソコンは原型があるだけで、自ら用途を生み出さなければなりません。家電製品のように商品を受動的に消費でのではなく、生産そのものを消費するということ、オープン性や民主化にはこのような意味があります。これを「創造性」と呼ぶならば、パソコンは「創造的なおもちゃ」なのです。




ケータイネット世代 速やかに繋がりたい  


しかしあるとき、ネットが出現し、パソコンと繋がったとき、「箱」の意味はまったくの別物になりました。セッティングなどめんどくさいだけで、ただ早くネットにつながればよい。その延長にいまのケータイがあります。

最近では日本において、ネットを利用者の8割以上がケータイを中心にしており、約6割が“ケータイメールのみを利用している”という調査結果があります。そこに「ケータイネット世代」という新たなユーザーを生み出しているということです。ケータイ世代は不完全性からの創造性を理解しません。機器とはただすみやかにネットにつなげるためのものでしかない。

そしてケータイネット世代は新たなフロンティアを生み出しています。「なにをそれほどコミュニケーションする必要があるのか」

ケータイのどんな機能を使っているだろうか。・・・10代の若者たちは・・・プロフにブログ、ホームページの更新・閲覧、ケータイSNSでのコミュニケーション、ワンセグ、ゲーム、音楽、小説、漫画の閲覧……。ケータイの利用範囲が実に広い。とくにケータイネット用コンテンツの利用率が高い。パソコンはあまり使わず、多くの行動がケータイ内で収まっている。このあたりはオトナ世代とはまったく異なる点といえるだろう。

ケータイネット世代と呼ぶ10代〜20代前半の世代が物心つく頃、彼らの目の前にはケータイで手軽にインターネットを楽しめる環境が用意されていた。20代後半〜30代以降のPC世代が、OSのネットワーク設定やモデムの設定などに苦労しながら"インターネット接続に成功"したのと違い、いまどきの若者たちはありえないくらい軽やかにケータイを通じてインターネット世界に入ってきている。そして今、ケータイネットには彼らを魅了するコンテンツが溢れている。それは、ケータイネットを路線検索程度の実務的な用途にとどめるPC世代にはわからない世界かもしれない。


「ケータイネット世代のきもち」  http://journal.mycom.co.jp/series/mobilecom/001/index.html




iPhoneはパソコン世代の夢の跡


ボクがiPhoneの楽観主義に感じる違和感は、iPhoneはケータイ世代のきもちに答えることができるのか、ということです。この欲望に答えるためには重要なことは、とにかく「繋がるための機動力」をもつツールであることです。いまのケータイの機動性は驚くべきものです。ちょっとした休憩や電車の中だけでなく、歩きながら、テキストを打ち込み、コミュニケーションできるのです!そしてもはやケータイ自身さえも、「イノベーションのジレンマ」=モデルチェンジによる機能の過剰に陥っています。

iPhoneにはこのような機動性が欠落しています。それでも良しとする姿勢はむしろパソコン世代が夢見たムーアの法則の楽観主義の継承であるように思うのです。

最近、IT関連において、ネットコミュニケーションツールやゲーム機あるいは、WindowsVistaへの批判など、ムーアの法則のジレンマが表出しているように思います。仮にムーアの法則が欲望を生み出さなくなっても、「テクノロジーの外挿性」としてのオプティミズ(楽観主義)はおわりません。なぜなら資本主義そのものを駆動する動力だからです。次はどこに感染するのか。

よく言われるのが遺伝子技術、エネルギー技術です。しかしまだ出口を満ちだせていないようです。現代の欲望の顕現=資本という亡霊はITバブル崩壊のあと、さまよいつづけ意味不明に資源相場あたりを徘徊し世界を恐怖に陥れているというもっぱらの噂です。
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