なぜ「主権者とは例外状態で笑う者である」のか。

pikarrr2008-12-06


面白いから笑うのではなく、笑うから面白い


フロイトが笑い(機知)の分析にこだわったのは偶然ではない。笑いは一見、動物的な生理反応のようだが、言語と深く関係するのだ。笑いは例外状態に関係するのである。例外状態とはまさにシュミットが言った意味である。「主権者とは例外状態の決断者である。」

権力者がよく笑うのは決して偶然ではない。「主権者とは例外状態で笑う者である。」といってもいいだろう。権力者が笑うのは余裕の現れという安易な理由ではない。笑いとはその場への積極的な介入を意味する。笑うその一瞬前に例外状態がある。場が凍る。そのわずかな一瞬を笑う。笑うことは権力的な行為なのである。

笑いは決して先行しない。面白いから笑うのではない。笑うから面白いのだ。そこには、これは面白いという決断がある。決断者が笑うことで対象は面白いことになり、みなが従う。この決断者を従う者のズレはあまりに短く、同時であるようだが、そこには権力関係があるのだ。

TVのバラエティで笑い声が足されているのも同様な意味である。TVは決断し、大衆を誘導し続けるのだ。大衆という羊たちは決して自ら決断するを求めていない。司牧としての決断者を求めているのだ。




例外状態に決断するのではなく、決断が例外状態を作り出す


これらからわかる笑いのさらに重要な特性は、笑いは例外状態そのものを積極的に作り出す能動性をもつ、ということだ。笑うは面白いことを作り出すだけではなく、それに先行する「面白くないこと」までも作り出す。

この事実は、シュミットのテーゼの意味をより明確にする。「主権者とは例外状態を決断者である。」とは、通常の判断では対処できない非常事態に主権者は秩序をもたらす、ということであるが、決断の前に例外状態があるわけではなく、決断が例外状態を作り出す。主権者は主権者となるために決断する。そして決断する例外状態を作り出す。

笑いは強迫的に無意識のレベルへ働く。決断者が笑わなければ、羊たちは例外状態の前で宙づりにされてしまうという差し迫った非常事態である。だから羊たちは我さきにと雪崩うって笑う。そして決断者は主権者となる。
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