イチローのフォームはなぜあんなに美しいのだろう

pikarrr2008-12-14


富士山は誰が作った


美しさを分析するほど野暮なことはない。美しさは感じるものであって語るものではない。語れば語るほど道化師のごとく滑稽なるだけだ。しかしそれでもあえて語ってみたい。

一つの理由はイチローの偉大な功績があるだろう。メディアを通して語られる野球選手としてのすばらしい結果はイチローへの尊敬を生む。そしてそのフォームを美しく見せる。しかしイチローのフォームの美しさはこのような心理的な効果のみに還元されるものだろうか。

一つの仮説として、イチローのフォームの美しさは富士山や夕日の美しさに近いと考えてみたい。なぜ富士山はあれほど美しいのか。それは富士山が人が作ったものだからだ。人が美しいものを作ろうとして作ったから、人は富士山を美しいと感じるのだ。あの造形を意図なく偶然に自然にできたとなどあり得ないだろう。では富士山を作った人とは誰か。神である。神という「人」が人知を越えた力によって美しくなることをめざし作ったのだ。

意思疎通不可能な偶然の自然にボクたちの未来を任せることなどできない。なにが起こるわからない未知とは恐怖である。だから意思疎通ができる他者=神が超越的な力をもって守ってくれている。たしかに様々な災害、災難が起こる。しかしそこには大いなる意志がある。最後の最後は友にあるのだ。富士山とはそんな神の痕跡である。そしてその痕跡の前で人は体を震わせるのだ。




とぎすまされた経済的な曲線


人工物と自然物を人は認識する。自然にできる以上の人の痕跡を見出す。たとえば石があり、それがまん丸、あるいは逆に研ぎ澄まされていればそこに人の痕跡を感じる。しかしその丸があまりに完全な丸であると、そこに人の力を越えた人の存在を感じ、美しさを感じるのだ。

素人の野球のバッティングフォームは人の動作であるが、重力、身体力、自然の力の影響を受けて、振るたびにブレがある。人が作ったものであるが未完成なのである。そしてその未完成さが人間くさい親しみとなる。イチローのフォームはイチローという人がつくったものではないか。それにしてはイチローのフォームの美しい軌道は完成されている。美しすぎるのだ。

イチローは美しくしようとフォームをつくったのだろうか。それではあれほどの結果は残せないだろう。そこには一つのエコノミーがあるのだ。高速のボールを的確にヒットするということの追求の先に身についた無駄がとことんまで省かれた研ぎ澄まされたフォーム。それはある種の美しい曲線を描くことになる。

イチローに限らず一流のスポーツ選手のフォームが美しいのはそのためである。結果を求めて繰り返し繰り返し反復されフォームは一つの経済的な曲線を描く。それは普通の人たちが同じことをしても決して描くことができない曲線である。たった一日、気を抜けば崩れてしまうようにとぎすまされた曲線。そこで行われていることは本人たちにもなにかわからないだろう。体に刻み込まれた神の曲線なのである。そこに神の痕跡をみて人は体を震わせるのだ。
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