なぜ資本主義は人々を魅了し続けるのか  贈与関係から金融交換へ その1

pikarrr2009-02-03


無時間な貨幣交換と長期信頼の贈与関係


一般的に交換には貨幣交換と贈与交換がある。貨幣交換は商品を見合ったお金と等価交換する。その場、その時に負債を残さない無時間な交換である。

それに対して、贈与交換は貸したものが時間をおいて返ってくる。それは等価交換ではなく借りたものよりも多めに返すのが儀礼と言われる。またいつ返礼するかも決まっていない。
そのような継続した関係が互いに信用を育み続ける。贈与交換は贈与可能な信頼関係の上に成り立ち、また贈与交換が継続することで長期的な信頼関係が継続させる。




贈与関係と貨幣交換の共存社会


貨幣交換が無時間な関係であるならば、贈与関係の代替にはなりえないだろう。贈与関係が長期的に社会関係を支えるのに対して、貨幣交換ではその場でその時にもつ貨幣によってしか関係を構築できない。それだけで生活を継続することは困難である。

市場(いちば)など、古くから貨幣交換自体はあるが、だからといって贈与関係をなくすことはできない。贈与関係によって長期的な信頼関係を構築しつつ、貨幣交換で必要な商品を手に入れる。これが長い間の人間社会にあり方だった。




交換とはお互いにメリットがあること


貨幣交換では、売り手が買い手に物を売ることで大きな利益をえようとも、買い手はほしかったものが手にはいることでメリットがある。売り手にも買い手にもメリットがある。

贈与交換では、貸し手Aが借り手Bに物を与えることで貸し手Aにデメリットとなる。しかし逆に貸し手Aが困ったったときに、借り手Bより返礼されるだろうという信頼関係が継続することで、長期的にみれば貸し手Aにもメリットがある。

すなわち貨幣交換にしろ、贈与交換にしろ、交換の基本はお互いにメリットがあることだ。どちらかに負債を残す交換は、贈与関係の通路を通って、長期的に復讐のような形で負債は支払われることになるだろう。




貨幣交換に潜むリスクとチャンス


商人の基本は、海で魚を安く買い山で高く売る。その差異で利益をえることである。ここでは商人は商品を右から左へ流しているだけで何も生み出していないように思われる。このために古くから商人は悪徳というようなイメージで語られてきた。

しかし海で安く魚を買ってもそれが山で高く売れる保証はどこにもない。そこにはリスクが伴う。そしてそのリスクに対するメリットとして利益がある。

売値=買値−デメリット(リスク)+メリット(利益)

実は、このリスクとリターンの関係は、貨幣交換そのものに潜むものである。商品交換の原初的場面をマルクス「命がけの飛躍」と呼んだ。ある商品とある商品を交換する場合には、はじめに等価を決定する価値基準は存在しない。どのような割合で交換を行うかは最初の「飛躍」にかかっている。

「飛躍」では、希望よりも少ないものしかえられないリスクと、多くのものをえられるチャンスがある。海で安く魚を買っても、それが山で売れないかもしれないが、高値で売れて大もうけするかもしれない。




贈与関係はリスクを解消しチャンスを潰す


貨幣交換と贈与関係が共存する社会では、「命がけの飛躍」が贈与関係によって打ち消される。先に信頼関係があることで、多少のメリット、デメリットは長期的な関係のなかで相殺される。今回は私が譲歩するから、次回は君が譲歩してくれよ。

逆に言えば、ここに貨幣交換と贈与関係の対立点がある。贈与交換は貨幣交換のリスクを軽減するが、またそれはチャンスを潰すことを意味する。




「金融交換」は貨幣交換を時間へと拡張する


貨幣交換でも無時間性を長期へと補完する方法がある。それが貸借、証券、為替などの「金融交換」である。金融交換は、原理的に無時間である貨幣交換を、空間、時間を越えて可能にする。

貸し借りの関係において、借り手は借りることでメリットがあるが、貸し手は返ってくるかどうかわからないというリスクがある。その上で貸した額しかかえってこなければ、貸し手にはリスクというデメリットしかない。そこに利息というメリットがつくことで、貸し手にもメリットが生まれ、お互いにメリットがある交換関係が成立する。

返済額=融資額−デメリット(リスク)+メリット(利息)

だから無利息で貸すのは、貨幣交換ではなく、贈与関係に位置するだろう。無利息では貸し手に生まれるリスクというデメリットのみが残る。交換として成立するためには、身内など信頼がおける人のような、長期的な贈与(信頼)関係によってしか相殺されない。

貨幣交換が金融交換として成立するには、時間を越えるリスクに対するリターンを必要とする。これによって金融交換は贈与関係という長期的な信頼関係に代替する可能性をもつ。




贈与関係から金融交換社会へ


しかし金融交換が貨幣交換を長期へと補完する機能があるということだけでは、贈与関係から貨幣交換社会へ移行したというのは困難だろう。長期的には土着の贈与関係に充足することの方が安心だろう。

全面的な移行の本質は貨幣交換がもつリスクとチャンスというギャンブル性にある。さらに決定的に重要であったのは、金融交換によってリスクとチャンスという「偶然性の裂け目」が巨大になったこと、それとともに偶然性がリスクとして取り出すことで金融技術として処理することが可能になったことだ。

13世紀以降の人口増加、都市化、技術進歩などの社会構造の変化の中で、金融交換のチャンスをいかしたブルジョアジーという新興者が生まれ、やがて国家をも動かす権力を手に入れたという事実が、人々を土着の贈与関係から離脱し、流動する金融交換社会へ向かわせた。

世界は一気に貨幣価値という数量化によって合理的にフォーマットされ、贈与関係による信頼は貨幣交換の関係に物象化された。そしてフォーマットの格子の間に開く「偶然性の裂け目」に人々は魅了され続ける。時にその裂け目は恐慌という牙をむきだし経済を破綻させるとしても。