資本主義はなぜ格差を生むのか 贈与関係から金融交換へ その3

pikarrr2009-02-05


偶然性とリスク


偶然性とリスクは異なる。たとえば人類は絶えず宇宙からの隕石衝突による絶滅の「リスク」を持っている。いまのところ飛来する隕石をすべて監視することはできなし、仮に発見できても、対処する方法はどうするか、時間的に間に合うかという問題がある。

しかしあるとき、この宇宙が消えてしまう可能性については、考えているだろうか。そもそもそのような可能性があるのかさえ、わからない。リスクが予想された偶然性であるのに対して、偶然性とは、リスクの外のまだ予測されることのない偶然性を含む。100年たてば、宇宙が消えてしまうリスクが発見されるかもしれない。

偶然性は人の存在とは関係なく、いつもそこにあるが、リスクは人の予測技術と関係する。




リスクは誰にも平等にチャンスを与える


金融交換の基本は貨幣交換を空間的、時間的に延滞することにある。それによってそれまで社会を支えてきた贈与関係にかわった。

金融交換にはリスクというデメリットが生まれ、その対価であるリターンが生まれる。だから金融交換の基本は、以下になる。

返済額=融資・投資額−デメリット(リスク)+メリット(金利

ここにおいて重要な点は、リスクは誰にも平等に降りかかるということだ。すなわちチャンスは誰にも等しく訪れる。これこそが人々が資本主義に魅力させられる理由である。

太古から多くにおいて人々は偶然性を神的なものへと転倒させて回避してきた。それに対して、予想されたリスクは技術的にいかに管理するか、と対処される。

しかしそれでもリスクが神的な輝きとして転倒されることから逃れられないようだ。マルクスが貨幣の物神性(フェティシズム)というとき、それはまさにリスクの神的な転倒であり、そこに生まれるチャンスという夢(ファンタジー)に人々は魅了される。

確かに資本主義社会では、貨幣を資本化することで多くの人々が成功してきた。その事実が人々をさらに夢へ向かわせる。しかし人々が見ている夢は、お金を増幅させることではなく、「幸せ」になることである。大量のお金=幸せというこの短絡が資本主義が見せる夢そのものである。




元手が多い方がリスク管理は有利


リスクは本当に誰にも等しく訪れるのだろうか。まずリスク管理において、単純にそのように考えることは難しいだろう。リスクヘッジの基本は、同様な関係を並行して多くもつことで、いくつからの返済不履行のデメリットを、その他多くの回収のメリットで穴埋めし、トータルで利益を出すことである。あとは並行した契約をいかに組み合わせて全体のリスクを抑えるか、である。

このようなリスク管理技術の面から、資本は多い方が優位である。少ない元手では一度の失敗が立ち直れない大きな躓きになるが、元手が多ければ、リスクを分散できる。本質的にそのはじめから金利交換は資金に余裕がある金持ちが行うものである。

しかしこの場合にも、各単位に訪れるリスクは平等である。今回の恐慌のように市場全体が破綻すれば、リスクの分散は効果がない。そして元手が多い人ほど大きな負債を追うことになるだろう。




強者コミュニティの権力


しかしより本質的な問題は、リスクそのものの外にある。たとえばこのゲームの中で、資本を多く持つ強者には、ヘッジファンドのようなリスク管理のプロに任せられる、あるいは多くの有用な情報がまわってくるなど、自然と優位な立場に立てる可能性が高い。

多くの人は資本を多く持つ強者に近づき、おこぼれに預かりたいと思う。そこには強者の私的談合なコミュニティが生まれる。さらに決定的であるのは、ゲームのルールにはいつもグレイゾーンがあり、変化し続けている。そして強者のコミュニティが発揮する権力はルールが生まれるその現場へ働く。

たとえば政治家が政治資金パーティーから政治資金を集めることは贈収賄ではない。そこには正/不正の境界があり、政治資金規正法は政治家によって作られた。




金融交換の勝敗を決める贈与関係


弱者はゲームのルールの中で等しいリスクのもとに自由「競争」する。しかし強者はゲームのルールそのものを優位にすることを目指す。すなわち強者は、弱者ゲームに対してメタゲームを行うという、決定的に優位な立場にいる。先の隕石衝突による絶滅の「リスク」の例でいえば、隕石の軌道を操作する神の位置である。

強者が行っているのは、競争ではなく、「闘争」である。ルールをまもる、やぶるのではなく、ルール自体を有利に解釈する、作り替える。「主権者とは例外状態を決定する者である」というシュミットのテーゼに従えば、「闘争」とは主権者を争う権力闘争である。

いまでこそ金融交換では、自由化、公開性、公平性が重視されているが、資本主義の初期において、教会や国家などの旧来権力と結びついた強者コミュニティがいかに優位に闘争を進めたか、想像することは容易である。しかしこの闘争の本質は、いくら自由化、公開性、公平性を高めても、勝ち組がルールそのものへ介入することである。

そして強力な権力に参加し維持するには、長期的な信頼関係が継続させる贈与関係は切り離せない、と言う以上にまさに最終的な勝敗は贈与関係にかかっているといってもよい。
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