なぜマクロ経済は精神分析的なのか

pikarrr2009-03-30

経済と精神分析


不況について信用不安などといわれ、経済が心理的なメタファーで語られることが多い。現に経済学のトレンドは行動経済学など心理学が取り入れられている。しかし経済、とくに不況は心理学というよりも、精神分析的である。

心理学と精神分析の違いを簡単にいえば、動物の行動心理は調べられることがあっても、動物を精神分析するバカはいない、ということだ。動物心理と人間心理の違いは自己認識である。自らがなにものかしっている、ということは自らがおかれている状況(コンテクスト)を理解し、そして状況にあわせよう、あるいは欺こうとする。

簡単にいえばおかしくもないのに笑い、おかしいのに怒るのは人間だけである。しかしこのような人間心理は絶えず自らのコントロール下にあるわけではなく、無意識は自らにも嘘をつく。それ故に人は神経症に陥る。




短期景気と長期成長の心身二元論


精神分析的なメタファーを用いれば、マクロ経済は心身二言論的といえるだろう。需要サイドに関係し変動が激しい短期景気を「精神」とすれば、供給サイドに関係し比較的に安定している長期成長は「身体」である。

需要サイドは自己言及的に動く。人はマクロな経済を意識し、マクロ経済の動きに対応するように反応しようとするが、また自らもマクロ経済の一部であるという自己言及性をもつ。この循環論をやぶるために必要なことが信頼である。信頼は循環論的な懐疑を中止し、行為へ導く。

ここで信頼をささえるのが供給サイドに関係する長期成長である。長期経済成長は、資源、インフラ、人材など蓄積される経済の潜在的な能力であり簡単に消失したり、変化したりするものではない。短期景気が多少変動しようとも長期的に経済は成長し、うまくいくという信頼が短期的な変動を乗り越えて、需要サイドを経済活動へ向かわせる。




経済政策決定者は精神分析医か


しかし過大に長期成長を信用しすぎるとバブルが生じる。日本の土地バブル、アメリカのITバブルなど、長期成長の実質以上の過大な自信が、身体能力をこえた精神の肥大を生んだ。

そしてどこかで破綻し、長期成長を信頼できなくなったとき、信用不安から不況は訪れる。これはまるで神経症である。この食堂のスプーンはちゃんとあらわれているのだろうか。友達は本当に友達なのだろうか。これらの懐疑は終わりがない。どこかで信頼するしかないが、世界への信頼を失うと循環論的な懐疑にとらえられて、当たり前のことさえできなくなってしまう。

心理学は「人間なるもの」の心理傾向を研究するという意味で、経済学者に似ている。それに対して、精神分析には「人間なるもの」は存在しない。精神分析医に対処法のセオリーなどなく、目の前に患者は唯一の存在であって、その場、その時に合わせて対処する必要がある。

だから経済政策決定者は、経済学的な手法を理解しながらも、単にマニュアルに沿うのではなく、精神分析医のようにそのマクロ経済の様子を見ながら、時間をかけて、少しずつ体を動かし再度世界への信頼をとりもどすようなリハビリを促す必要がある。




心理学化するマクロ経済


しかし現代は情報化社会であり、誰もが瞬時に情報を受け取り、政治家やアナリストの発言に機敏に反応してしまう。それによって経済は、治療されるごとに学習し心理学化することでより狡猾になっている。このような傾向は、ケインズ美人投票の比喩を使って、金融市場の玄人筋の投機家の言動として言及していたが、もはや玄人筋に限定することはできない。

マクロ経済は、単にナイーブに自信を失っているだけではなく、自信を失っている自らと、そうしていれば政策決定者が手をさしのべてくれるだろうことまでもわかっている。だから定額給付金ぐらいでは喜ばない。だからといってマネタリズムのいうようになにもしないわけにはいかないだろう。この狡猾なマクロ経済に対処するか、ますます難しくなっているといえる。

ワシントンで救済策を立案している利口なエコノミストたち・・・の仕事は投資家の信頼が揺らぎやすい国の経済を立て直すことだった。ほとんどの場合、アメリカやIMFに駆けこんできた国は、すでにその通貨が壊滅的な打撃を受けており、さらなる危機に瀕している。そこで救済策の最大の目標は、市場の不安な心理を静めることになる。けれども危機は、起きていると信じ込まれてしまえば実際に起きてしまうという特徴をもっているために、健全な政策だけでは市場の信頼を勝ち取ることはできない。市場に認識、偏見、あるいは気まぐれさえも満足させなくてはならない。ないしは、市場はこのように認識しているだろうと「期待」して、それに合った政策を実施しなければならないということだ。

こうしてケイジアン・コンパクトは崩れ去ったのだ。国際的な経済政策は、経済学とほとんど無関係なものになった。それはアマチュア心理学になってしまったのだ。・・・信頼をめぐる市場とのゲームを繰り広げることのほうが、通常の経済政策よりも重要だと考えられているのだ。これは狂気の沙汰だと思われるかもしれない−事実、そうなのだ。

なぜ経済政策は、一国また一国とその経済に大きな打撃を与えていた破壊的な連鎖を阻止できなかったのか、・・・その答えは、政策を実施している人々がこの信頼という名のゲームをやらなければならないと思ったからだ。そしてそのゲームとは、危機を解消するのではなく、悪化させるようなマクロ経済政策を実施することを意味したからだ。しかし、本当にこのゲームをする必要があったのか?P159-160


「世界大不況からの脱出」 ポール・クルーグマン (ISBN:4152090170) 2009

美人投票 出典:フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』


美人投票(びじんとうひょう)とは金融市場における用語の一つ。経済学者のジョン・メイナード・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』第12章第5節で、金融市場における投資家の行動パターンをあらわすたとえ話として示したことから由来する。

ケインズは「玄人筋の行う投資は、投票者が100枚の写真の中から美人への投票する際、最も投票が多い選択肢に投票した投票者に賞品を与える新聞投票に見立てることができるとした。この場合、投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく、平均的に美人と思われる人へ投票するようになる」と金融市場への投資を美人投票に例えた。