なぜケインズは不確実性を導入したのか ケインズの心身二元論 その1

pikarrr2009-05-20

生きることは不確実性へ対処すること


ケインズのすばらしさは古典派経済学に不確実性を持ち込んだことにある。なぜ不確実性が重要なのか。社会の第一の目的に関係するからだ。自然主義の誤謬を覚悟していえば、生命とは、宇宙の法則であるエントロピーの増大」に逆らう存在である。この偶然の世界に対していかに秩序を維持するか。すなわちいかに塵にならずに生存するか。

またエントロピーの増大は、時間が流れること=不可逆性そのものを意味する。時間を生きると言うことは、時間が流れ、次になにが起こるかわからない、やり直しができないという巨大な偶然(不確実性)のなかをいかに生き抜くか、ということである。

人間社会もここから逃れることはできない。そのために文明を構築してきた。原始共産制社会であろうが、封建社会であろうが、その時代の不確実性へ対処するための有用なシステムであった。そして近代の自由主義経済もまた新たな不確実性を回避する方法論として有用であるから、社会に受け入れられたのだ。だから古典派経済学に不確実性がないことは、最重要なものが欠如していることになる。




「均衡」(神の手)への不確実性の導入


ケインズは単に経済における人間心理を導入したのではなく、不確実性を導入することであらわれる古典派経済学の基本である「均衡」(神の手)への影響を分析した。

ケインズが考えたプレイヤーは企業、労働者、投資家である。彼らが不確実性に対していかに振るまうか。労働者はすべてを消費せずに将来の不確実性に備えて貯蓄するという「消費性向」をもつだろう。企業はどれだけ労働者を雇い、投資するべきかを「期待」するだろう。投資家はどれほど投資すべきか、あるいは不況なら流動性選考」から貯蓄すべきか、考えるだろう。これらの不確実性に対するそれぞれの傾向を古典派経済学の「均衡」に組み込みことで新たなマクロ経済がみえてくる。

たとえば古典派経済学の生産重視(セイの法則)に対して、有効需要の法則」を指摘する。不確実性の前で貯蓄、投資が調整されることで、需要動向が経済規模を決定する。特にケインズは不況の分析を重視したが、不況では消費をおさえ貯蓄を増やそう(流動性選好)とすることで、投資が減り、経済規模が縮小し、失業者かでてしまう。だからケインズは不確実性回避の方法としての公共投資の重要性を指摘した。




自由主義経済は不確実性そのものを利用する


しかしケインズが導入した不確実性の重要性は、社会の脅威としてのみあるのではない。いままでの原始共産社会や階級社会では、社会関係を慣習化し強固にすることで、不確実性を抑え、生存確率を上げてきた。それに対して自由主義経済で不確実性が決定的に重要であるのは、自由主義経済は不確実性そのものを利用することで成立している、ということだ。この意味で、いままでの方法論と大きく異なる。

不確実であるということは、危険(リスク)を生むとともに、チャンスを生み出すことを意味する。逆に言えば、不確実性がなければチャンスは生まれない。このチャンスへの選好(リスク選好)こそが自由主義経済の原動力になっている。

これは簡単なようであるが、とても高度な方法論である。たとえば自由主義経済の基本的な力学は「均衡」である。需要と供給のバランス(均衡)と言われるように、経済には均衡圧という神の手が働いて、秩序が保たれると考える。

しかし「均衡」はそれほど当たり前ではない。そこに前提とされるのが、情報が広く公開され、自由に競争に参加することができることである。均衡はこのように十分に多くの自由な競争者が想定されることで可能になる。それまでの階級社会など社会関係が固定された場合には権力あるいは暴力によって収奪することの方が一般的であっただろう。




自由主義経済と「快感原則の彼岸」


自由主義経済は「均衡」を働かせるような自由競争環境が整備されることではじめて可能になる。そしてケインズの不確実性の導入は自由主義経済がなぜ成功したのかを説明する。すなわち、強気(好況)では不確実性から生まれるチャンスを求めて、投資が増え、経済規模が大きくなり、消費が旺盛になるとともに結果的に貯蓄も増える。

ここまでくると、シュンペーターの創造的破壊論へ繋げることができるだろう。イノベーションへ向かうのは、不確実性があり、そこにチャンスを求めるからだ。ここで重要であるのは、これは決して合理的は判断からは出てこないということである。ケインズが不況時の流動性選好、「保蔵や貨幣を蓄積する衝動の非合理で病理的な性格」について言及したように、またリスク選好、イノベーション、創造的破壊もまた、同様に「非合理な衝動」によって可能になる。

不確実性は人を狂気に陥れるというのは精神分析における知見である。これをフロイト「快感原則の彼岸」と呼んだ。しかしフロイトがいうようにこのような症候を人間がそもそももつ本性を呼べるだろうか。この過剰な症候は自由主義経済を成立させるために求められたのだ。

ケインズは保蔵や貨幣を蓄積する衝動の非合理で病理的な性格にしばしば立ち戻った。理想社会では、これらの病理に対する手当は、精神病の専門家に委ねられる。このような専門家とはフロイトや彼の弟子たちのことであり、彼らのうちの何人かはメイナードの親友であった。

・・・ケインズのビジョンが自ら古典派のそれと区別するのは、不確実性および貨幣と同様に、時間を考慮している点においてである。これら三つの要素はたがいに関連している。貨幣の蓄積は、将来について恐れ、不確実性について恐れと、死の不可逆性を否定することから生じる。貨幣を保有することは、将来の危機に対する最適な反応である。

「なぜなら、貨幣の重要性は本質的にはそれが現在と将来を結ぶ連鎖であることから生ずるからである。…貨幣はその重要な属性においては、何にもまして、現在と将来とを結ぶ巧妙な手段であって、われわれは貨幣に基づく以外には、期待の変化が現在の活動に及ぼす影響を論じ始めることすらできない。(ケインズ)」 P374ー375 


ケインズの闘い」 ジル・ドスタレール (ISBN:4894346451) 


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