なぜ創造消費者は金銭経済と異なる社会に住むのか 非金銭経済の可能性 その2 

pikarrr2009-06-02

「生産消費者(プロシューマ−)の復活」


トフラーは「第一の波」(農耕社会)から「第二の波」(産業社会)において非金銭経済が金銭経済へ取り込まれていくのとは逆に、「第三の波」(知識社会)において生産消費者(プロシューマー)が復活するという。

ある程度の豊かさが築かれ情報化が進み、知識集積型の社会になることで消費者が生産することが容易になっている。たとえば病気の例で言えば、金銭経済で孤立した個人でも、軽い症状であれば、ネットで検索する、掲示板で相談するなどによって、わざわざ医者に行かなくても症状と対処法を知り実践することができるようになる。

ネットの発達によって、アクセスできる大量の情報が蓄積され、安価で簡単な生産消費活動労働で有用な情報を入手し対処できる。またネット上に自らの体験情報を提供することで、社会全体の生産消費活動の生産性が飛躍的に向上する。

さらにこのような「生産消費者の復活」は、従来の生産と消費という分離が解体され、素人の趣味的な活動が互いに影響を与えつつ発展し新たな産業へと発展するなど、金銭経済へ大きな影響を与え始めているという。今後、このような復活した非金銭経済と金銭経済が協調し発展するだろうというのがトフラーの「富の未来」ビジョンである。

世界の富の創出の基礎にある・・・生産消費の価値が実際に、経済専門家が計測している金銭経済の総生産とほぼ変わらない規模があるのであれば、生産消費は「隠れた半分」だといえる。同様の推測を世界全体に適用し、とくに生産消費だけで生活している何億人もの農民の生産高を考慮すれば、おそらくは見失われている金額が五十兆ドルに達するだろう。

これらの点がきわめて重要なのは、知識革命がつぎの段階に入るとともに、経済のうち生産消費セクターが目ざましく変化し、歴史的な大転換が起ころうとしているからである。貧しい国で大量の農民が徐々に金銭経済に組み込まれていく一方、豊かな国では大量の人がまさに逆の動きをとっている。世界経済のうち非金銭的な部分、生産消費の部分での活動が急速に拡大しているのである。日曜大工やDIYの類に止まらない広範囲な分野で。この結果、まったく新しい市場が開かれ、古い市場が消えていく。生産消費の役割が拡大するとともに、消費者の役割が変化していく。医療、年金、教育、技術、技術革新、財政に大きな影響を与える。バイオ、ナノ・ツール、デスクトップ生産、夢の新素材などによって、過去には想像すらできなかったことが誰でも、生産消費者として行えるようになる世界を考えるべきだ。P294-296 


「富の未来」 アルビン・トフラー (ISBN:4062134527



「創造消費者(ネオ・プロシューマー)」の登場


確かに1980年に出版された「第三の波」ですでに示された「生産消費者の復活」は先見性がある。しかし現状の個人的な感想に照らし合わせると、金銭経済と非金銭経済の協調というビジョンには違和感がある。

トフラーがいう生産消費者(プロシューマ)は、生産しつつ消費するという広い概念で、家事仕事など、自給自足全般が含まれる。それに対して「第三の波」において復活した生産消費者は生活に根ざすと言うよりも、知的な領域に創造性を発揮する傾向があるということで、「創造消費者(ネオ・プロシューマー)」と呼びたいと思う。

生産消費者(プロシューマ)が家庭仕事など誰もがもつ一面であったように、創造消費者(ネオ・プロシューマー)も趣味を楽しむなどのように誰もがもつ一面である。これらの境界を引くのは難しいかもしれない。例えば魚釣りを楽しむことは、創造消費な趣味であるが、それが食料になれば生産消費ともいえる。本を読むことは創造消費な趣味であるが、その知識が生活に役立てば生産消費である。




創造消費者は金銭消費と対立する


ニコニコ動画のあの創造消費者(ネオ・プロシューマー)のパワーはなんだろうか。あれだけの労力が金銭経済に振り向けられずにいる。あるいはニコニコ動画を楽しむことで失われた金銭経済への消費(時間)はどれほどか。

たとえばある人に限られた一日の余暇時間があるとして、それをなにが独占するのか。テレビか、ゲームか、ネットか、ケータイか、音楽か、というのは、いまや金銭経済の企業にとって重要問題になっている。そして多くの若者はネット(ケータイ)に時間をかける傾向があり、テレビ、ゲーム、音楽などの売り上げが減少している。

ネット上で創造消費された「浪費」を国民総生産量に加えると確実にここ数年の日本の慢性的な低成長グラフは大きくかわるだろう。彼らの創造消費活動は、金銭経済の知的所有権の侵害、さらに金銭経済の生産と消費を取り込むことで、金銭経済と対立してしまっている。




創造消費者は非金銭「社会」に住む


ネット上では有用な情報を無償で提供する人は「神」と呼ばれる。彼らはその情報でお金を稼ぐのではない。あるいは彼らが多くにおいて知的所有権を無視するからといって、金銭経済へ反抗し、革命を起こしたいわけでもない。

創造消費者は経済性には無頓着なのである。彼らはいわば「関心」を集めることを望んでいる。ネット上の「関心」はWeb2.0などと呼ばれるように、創造、消費、創造、消費・・・という運動を生み出す。そしてそこに帰属意識が生まれる。創造消費者は「経済」的であるよりもむしろ「社会」的なのである。

トフラーが「生産消費者の復活」というとき、「物質的に豊かな安定した生活を目指す」という「経済」的な意味を持つだろう。それとは別に「創造消費者」として強調したいのは「社会」的であるということだ。創造消費者は非金銭経済ではなく、非金銭「社会」の住人なのである。だから創造消費者が金銭経済を活性化させることがあるとすれば、金銭経済と対立することと同じように偶然でしかない。

それゆえ、ほとんどの創造消費者は、生活の糧を金銭経済の生産活動に従事することでえる。彼らは金銭経済社会で生活のために経済活動を行い、ネット上で社会活動を行う、という分離して生きている。

インターネットは、電子メールが配送され、ウェブページが公開される媒体だ。アマゾンで本を注文したり、近所の映画館で上映時間を調べたりするのに使うものだ。グーグルも、マイクロソフトの「ヘルプページ」もインターネット上にある。

だが「サイバー空間」はそれ以上のものだ。インターネット上に構築されてはいても、サイバー空間はネットよりは豊かな体験だ。サイバー空間は「中に」引き込まれるものだ。それはメッセージのチャットが親密なせいか、超多人数オンラインゲームが細密なせいかもしれない。サイバー空間にいる一部の人たちは、自分たちがコミュニティに属していると信じている。そして自分の実際の存在とサイバー空間内での存在とを混同したりする。もちろんインターネットとサイバー空間をきちんと隔てる明確な一線はない。だが両者には重要な経験上の差がある。・・・サーバー空間はますます第二の人生となりつつある。P13


「CODE VERSION 2.0」 ローレンス・レッシグ (ISBN:4798115002


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