Googleはトフラーの夢を実現するか 非金銭経済の可能性 その4

pikarrr2009-06-06

金銭経済と非金銭「社会」の分断


トフラーのビジョンにもどれば、「第三の波」(知識社会)とは、簡単にいえば分散化社会である。「第二の波」では、知識は高価なものであって一部の者に集中した。労働者は分業体制の中で空間的に配置され、時間的に同期された。

それに対して「第三の波」では、情報化技術によって知識が分散化することで、労働形態は多様化し、空間、時間からも開放される。さらに生産者と消費者の分離も解体され、金銭経済と非金銭経済は混在しつつ協調する。

しかし創造消費者に見られたのは金銭経済(経済活動)と非金銭「社会」(社会活動)の分断である。このように経済と社会の分断を生きることは目新しいものだろうか。近代化において、自由主義経済が離陸(テイクオフ)することで、社会が残された。すなわち「第三の波」においても近代の分断は継承されている。

第三の波における経済と社会の分断

 金銭経済・・・さらに活性化(生産消費者の利用、グローバル化、金融市場etc)

 −−−− 分断 −−−−         

 非金銭「社会」・・・創造消費者の誕生。経済よりも社会を重視。




左派は経済と社会の調和の夢を見る


近代以降、このような経済と社会の分断の問題にもっとも敏感であったのは左派である。左派は分断を疎外論として解釈し、「いかに分断された経済と社会を調和されるか」というビジョンを語ってきた。

社会主義共産主義国家として現実化されそして失敗した。しかし経済と社会の調和という根本的な左派議論は継承されている。たとえば現代のネット社会においてもグローバルビレッジクリエイティブコモンズなどは、リベラル(アメリカ左派)なイメージとしてある。

トフラーが語る「第三の波」のビジョンでは、経済を中心に語り、社会は積極的に語られないが、経済における分配が成功すれば、それにともない社会も同様に豊かになるというだろうという経済的リバタリアンに繋がる楽観主義を見ることができるだろう。




Googleはトフラーの夢を実現するか


現代において経済と社会をいかに繋ぐかを考えるときに注目すべきはGoogleだろう。Googleはまさに金銭経済と非金銭「社会」の間に立ち位置を占めることで成功している。

ネット上の非金銭「社会」の有象無象の情報を整理することで「価値ある」ものとして無償で提供する。あるいは逆に実社会の金銭経済の情報資源を取り込み、ネット上で無償で提供する。またはアドセンスでは非金銭「社会」「関心」を金銭経済の貨幣価値へ変換するアイデアは見事に経済と社会を繋ぐ役目を果たしている。

いわば、Googleが示すビジョンは、「ネット生活」するだけで有用な情報を無償で入手でき、その情報で「ネット生活」するだけで経済の生産性を高めてお金が手に入ることである。なんとすばらしいことか。Googleはトフラーのビジョンを叶えるのだろうか。

パートタイムが当たり前で、DIY(Do It Yourself)の手仕事に積極的で、自宅は安価なミニ・テクノロジーでいっぱいであるような世代が、人口の大半を占める時代が来るだろう。彼らは半ば市場に頼り、一年じゅう働くかわりに、ときには一年間の休暇をとり、収入は少なくても、費用のかかる仕事を自分でやって補いをつけ、インフレの影響をやわらげる。P368


「第三の波」 トフラー (ISBN:4122009537) 1980




Googleは権力を乗り越えことができるか


左派が試みてきた経済と社会の調和には、経済側の問題と社会側の問題があるだろう。社会側の問題には社会の自由に対する権力の集中の問題がある。経済と社会の狭間は「政治の領域」であり、強力な権力が生まれる。共産主義国家のほとんどが独裁者を生んできたのもこのためである。

Googleの新しさは、経済と社会の調和を「人間の介在」なしに自動的に事を成していく」、すなわちアーキテクチャによって行おうということである。そこに「思想」がないことで権力の発生をさけることができる。

たとえばG-mailは無料である分、そのメールの内容にあわせた広告が挿入されるが、メールの内容を見ることはプライベートの侵害ではないかと問題視されたとき、アーキテクチャによって「人間の介在なしに自動的に」行っているので侵害ではないと反論した。

それでもGoogleEarthのプライバシーの問題や、あるいはGoogle村八分などの問題が起こっている。また中国にGoogle.cn」を立ち上げる際には中国政府による検閲を受け入れている事態も起こっている。

レッシグのいうように「コードは法である」ことからは逃れないだろうし、アーキテクチャが透明な環境として受け入れられつつ強い権力を発揮することを東浩紀「環境管理権力」として警告している。

たとえば、ポルノや麻薬売買など、特定の情報を排除するフィルタリング機能を実装したブラウザを導入すれば、利用者にはそれら「悪質」な情報は完全に見えなくなってしまう。これは、従来の法や規範よりもはるかに完成度が高く、しかも反発を招きにくい規制である。そして情報化が進むとともに、それらネットワークのアーキテクチャは、実体世界の生活にも大きな影響を与えるようになっていく。このような状況を受けて、レッシグはいまコードは「権力」だと述べている。

・・・レッシグは『CODE』の補遺で、アーキテクチャ「主観化がまったくなくても制約できる」のが特徴だと述べていた。アーキテクチャ上の制約は、その対象者がその存在を知ろうと知るまいと機能するけれど、法や規範は、その対象者がその存在についてある程度知っていないと機能しない」。ここでアーキテクチャ上の制約」と呼ばれているものの特徴は、前述の(環境)管理型権力の特徴にきわめて近い。


「情報自由論」 東浩紀 (ISBN:4062836262




Googleは富を分配するか


経済側の問題としては、一つは主知主義的な計画が経済成長を抑圧しないか。Googleの試みとして、金銭経済で価値があった様々な情報をデジタル化してネット上に無料で提供しようという試みがある。たとえばGoogleBookSearchの籍のデジタル化にともなう著作権の問題があげられている。このような問題はGoogleだけでなくネットそのものがもつ問題であるが、大局的には金銭経済の活動を活性化するだろう。

問題はいかに富の分配を行うか。Googleアドセンスは社会の「関心」を経済価値へと変換する画期的な方法であると思うが、現実問題としてアドセンスによって収入を得るためには相当の労働が必要である。労働に対する収入、そして長期的な安定性を考えると、バイトで金を稼ぎ、余った時間で気楽にネットを楽しむ方がいい、というのは一般的な見解ではないだろうか。

Googleの経済効果は、非金銭「社会」へ富を分配するよりも、金銭経済を活性化することに役立つだろう。ここに「富の分配」や政治的な透明性を過剰に期待する楽観主義はまさに現代のリベラルな夢である。

「グーグルは検索エンジンの会社」というのが一般的なグーグル理解であるが、実際にグーグルが行っているのは、知の世界の秩序を再編成することである。

権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞社や出版社のお墨付きがついた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべての知を再編成しようとする。ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組みが、グーグルの生命線たるページランクアルゴリズムなのである。リンクという民意だけに依存して地を再編成するから「民主主義」P53-54

サイト運営者はアドセンスに無料登録し、そのウェブサイトを粛々と続けて集約するだけで、月々の小遣い稼ぎができるようになるのだ。

リアル世界における「富の分配」は、巨大組織を頂点とした階層構造によって行われるのが基本であるが、その分配が末端まであまねく行き渡らないところに限界がある。しかし、いかに対象が厖大であれ、インターネットにつないでさえいれば、その対象は同時にきめ細かく低コストで処理可能である。グーグルはそんなインターネットの本質を具現化することで、リアル世界における「富の分配」カニズムの限界を超えようとしている。上から下へどっとカネを流して大雑把に末端を潤す仕組みに代えて、末端に一人一人に向けて、貢献に応じてきめ細かくカネを流す仕組みを作ろうとしている。74-77


ウェブ進化論 梅田望夫 (ISBN:4480062858


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