環境対策で「生産消費者」は復活するか 非金銭経済の可能性 その6

pikarrr2009-06-10

アメリカのリベラルな環境対策の失敗


オバマが就任直後に、今後アメリカが地球環境対策を牽引するという発言をしたのには笑った。すでに2周も3周も遅れている。ブッシュは産業優先で環境対策には消極的であった。最後にとってつけたようにバイオエタノールに走った。たしかにバイオエタノールは技術的に容易であるが食料をエネルギーに回すようなことは先進国がとる政策ではない。案の定、食料供給問題となり顰蹙をかった。

しかしアメリカははじめから環境対策後進国であったわけではない。いまの環境対策の象徴的な燃料電池ブームはアメリカからはじまった。原理自体は古くからあるが、アメリカのベンチャー企業がその製品コンセプトを提示し世界的なブームが起こした。

ブームの理由の一つには燃料電池がパソコンのメタファーを持っていたからだ。電気は大手電力会社から供給されているが、燃料電池は各家庭でエネルギーを生み出す、というエネルギーの分散と開放化というリベラルなイメージが熱狂を生んだ。一時、ITの次はエネルギーだと株価も上がった。

しかし結局、パソコンのようには成功しなかった。その理由は技術的なハードルが高かったこと、またパソコンに対する大型コンピュータとは違い、電力はすでに電力会社から十分安価に供給されていた。

オバマは環境対策に太陽電池の普及をあげているが、政府主導の公共投資の面が強く、もはやリベラルなイメージはない。




アーキテクチャ型の環境対策


環境対策は製品や生産工程への追加の負担を要求する。このためにコストアップにならざるをえない。消費者は地球環境のためだけを思って高い環境対応製品を買うということはない。このために環境対策は政府の規制や補助金などの推進がなければ進まないのが現実だろう。

とくに日本は企業中心社会であり、政府は企業へ強い環境規制をかける。たとえば省エネ規制では、省エネ基準をクリアーした商品のみ販売するように義務づける。そして今回のエコポイントのように補助金で販売を促進する。

消費者の負荷は、税金が環境対策に使われることと、企業内の生産者として環境対策を検討することである。消費者に直接、環境規制をかけることは避けられる。監視が難しいことと、節約、倹約のような市民主導の環境対策では、消費欲が抑えられて経済成長が停滞するからだ。ここで目指されているのは、アーキテクチャ型の環境対策といえるだろう。消費者は普通に経済活動すればよい。「人が介することなく」設備が環境対策を行っている。

自由経済グローバル化したいまでは、どの国でも多かれ少なかれ、このような政府・企業を中心とした保守化した環境対策が主流になっているだろう。




保護主義化する環境対応


このような保守化した環境対策の成果はいまのところ目標にほど遠い。日本企業はその技術力を駆使して高い規制をクリアーしているが、日本のCO2排出量は京都議定書の削減目標どころではなく、むしろ増え続けるばかりである。さらに洞爺湖サミットでは2050年50%削減のようなより大きな目標を掲げている。しかしまったく先がみえない状況である。

それにも関わらず、環境対策は重要になっている。なぜなら新たな「環境対策市場」を生み出しているからだ。人々の環境意識が高まり、環境対策製品であることが製品の付加価値となっている。このために根拠があやしいまま「地球にやさしい」ことをPRする製品が氾濫し問題になっている。

また高い環境目標を達成するためには高い技術投資が必要である。そして高い技術力をもつ企業に政府の補助金が投資される。これによって市場から低級品を淘汰することができ、大手企業に優位になっている。さらにグローバルでみれば、今後、後進国でも環境規制が進めば、日本の環境技術は大きな付加価値となるだろう。すなわち環境対策市場は保護主義的な面を強く持ちつつ広がっている。




環境対応に寄生する「資本主義活動」


環境対策に関係するもう一つの問題が資源問題である。この世界不況の前、石油や希少金属が高騰し、世界的な問題になった。その理由としてはBRICsなどの経済成長があげられるが、すぐに資源がなくなるということではなく、将来の経済成長にむけて国家単位で資源を確保に向かった。そこに「投機」が乗っかり、資源価格が高騰したといわれる。この世界不況が落ち着けば再び資源投資が活発化するだろう。

このように環境問題は国家戦略が交差しつつ、新たなイノベーションの領域、すなわち「資本主義活動」が寄生する開拓地(フロンティア)を生み出している。ここにあるのは、消費者・生産者レベルのアーキテクチャ型の環境対策と、政府・投資家レベルの新たな市場誕生というかわらない資本主義の階層である。

政治をアーキテクチャのような透明なものと考えてはいけない。アーキテクチャはリベラル、保守派を溶解するようであるが、基本はマクロなコンテクストから設計されている。マクロなコンテクストは経済的効率を指向する。そこにあるのは「資本主義活動」の力学分布である。




環境対策こそ真の「生産消費者の復活」


トフラーが「富の未来」の中で環境問題について多くを語っていないのは奇妙である。環境対策社会は情報社会とはまた異なる様相が求められており、「第四の波」の可能性がある。

いまの経済中心な保守化した環境対策は、結果を出せないだろう。本当に結果を出すためには金銭経済、動力としての「資本主義活動」を抑制せざるをえない。それによって世界が貧しくなるのではなく、生産消費者たちの非金銭経済が富の体制を底上げして、倹約しつつ豊かな社会を実現する。まさに「非金銭経済」が重要になるのではないだろうか。

これは「世界革命」である。逆に言えばそこまで行かなければ、真の「生産消費者」は復活しえない。それより各地で戦争、紛争がおこり世界経済が停滞し、結果的に環境負荷が下がる方が現実的だろう。

このような左派のビジョンは、保守派であるトフラーには受け入れられないだろう。それまでにはある地域ある時期であってもトフラーの夢は実現されつつある。

パートタイムが当たり前で、DIY(Do It Yourself)の手仕事に積極的で、自宅は安価なミニ・テクノロジーでいっぱいであるような世代が、人口の大半を占める時代が来るだろう。彼らは半ば市場に頼り、一年じゅう働くかわりに、ときには一年間の休暇をとり、収入は少なくても、費用のかかる仕事を自分でやって補いをつけ、インフレの影響をやわらげる。P368


「第三の波」 トフラー (ISBN:4122009537


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