環境対策時代の陰鬱なイメージ 「(アメリカ型)資本主義の終焉」

pikarrr2009-06-17


田吾作3号 2009/06/14 10:02 *1

保護主義化する環境対応」の項目について


環境対応技術の需要は大企業に有利という考え方にはちょっと納得できません。すでに世界中で環境技術に関するベンチャー企業が沢山生まれていますし、電気自動車の市場なんかも(エンジンといった過去の遺産に縛られる理由がない分)新規参入者に有利だとも言われています。

高い技術力が必要なのは分かりますが、大企業はしばしばイノベーションのジレンマに陥るものです。その意味で、突き抜けた技術力で一点突破が許されるベンチャー企業の柔軟性がむしろ有利な気がします。

実際、最近のアメリカでは、シリコンバレーアリゾナ州といった地域で、大学発のハイテク環境技術ベンチャーが興隆してますよ。もっとも、産学連携が苦手な日本にとっては参考にならないかもしれませんが…。

また、環境技術の先進国であるドイツや、新興国であるスペインの例を見ても分かる通り、国家による(経済政策面での)インセンティブが産業振興に有効であることは明らかですが、これは必ずしも大企業が有利ということを意味しないでしょう。ケインズ的であっても、保護主義とは言い切れないはずです。




環境産業の保護主義傾向


はじめまして、田吾作3号さん。環境市場は、IT産業に続くイノベーションのように語られることが多々ありますが、同様な自由競争と考えることはむずかしいと思います。たとえば電気自動車は本当に将来一般化するのでしょうか。ガソリン車に比べて、技術的に難しく、高価。インフラも整備されていない。ただガソリン車よりも環境にやさしいだろうから普及させようということです。このインセンティブはどこから生まれるのか。市民の地球への善意ではないことは確かです。

電気自動車以外にも、ガソリン車の効率化、ハイブリット、エタノール燃料電池車など、競争があります。決定するのは、自由競争よりも政府が多くをどこに投資するかが大きな要因となります。そしてそこに働くのは業界の意向です。だからイノベーションのジレンマは回避される傾向にあります。欧州には欧州の政策があります。太陽電池の普及で日本が欧州に抜かれたのも、技術力ではなく欧州で補助制度が継続されたからです。

環境産業は、普通の自由主義産業ではなくて、国家主導の保護主義的な産業なのです。むしろイノベーションにおいて、IT産業の自由競争の高さの方がめずらしいように思います。そもそもイノベーションは高い壁があり、そこを越えるために保護主義的な面を持つと思います。




イノベーション「発見される」


パソコンから続くIT産業の成功はイノベーションのイメージをとても「リベラル」なものにかえてしまったように思います。下からの革命、知の分散化、技術重視の自由競争。はたしてこのイノベーションのイメージは当たり前でしょうか。

そもそもイノベーションには既得権益からの抵抗などの高い障壁があります。これたをいかにこえるか。このために資本主義のはじめから、イノベーションには国家と投資家の力は切り離せませんでした。たとえば産業革命蒸気機関などのイノベーションの成功としてイメージされますが、経済成長のタイミングをみるとそのようなきれいな説明はできません。産業革命の前にすでに産業化進んでいたし、蒸気機関、鉄道などの革新的技術はその後に生まれている。しいていえば、イノベーション「発見された」ということです。

いま、世界不況の対策として各国で環境対策が再びブームになっています。これはなにか技術的イノベーションのタイミングがあったわけではなく、すでに環境対策技術は多くの開発がすすめられていますが、この状況の中で「発見された」のです。そしてグリーンニューディールというキャッチコピーで呼ばれて「さまざまな人々」が殺到しています。




IT産業のリベラルなイノベーション


その意味では、IT産業はめずらしく「発見見出される」が少ないイノベーションでしょう。パソコンについてよく言われること。多くの発明はそのときに発明されなくても誰かが発明しただろう。それは時代の流れであって発明者はたまたまその人だっただけだ。それに対してパソコンには発明される必然性がなかった。あの時代のマニアの趣向があってはじめて発明された。

このようなパソコン、さらには情報関連のイノベーションの特徴は大きな設備投資を必要としないことです。多くの産業はアイデアはあっても実現するための投資がなければトライ&エラーのフィードバックが回らず、開発が進みません。そして投資が必要とするということは「企業家」の情熱だけでイノベーションは語れないということです。

IT関連の開発は比較的設備投資が必要とされないために、多くのマニアの寝食を惜しまない偏狭的な情熱こそが無数のフードバックを生み出し、自立的に、創発的にイノベーションが生み出されていきます。たとえばオープンソースなソフト開発の特徴は、マニアが、無償で、開発をくり返すことで高度な製品を生まれます。

ここでは生産と消費の境界が曖昧になり、それまでの企業が独占していた生産が、開放、分散化されます。ここにIT産業に特有なリベラルなイノベーションのイメージが生まれます。これは単なるイノベーションではなく、一つのリベラルな革命なのです。




「第四の波」 「(アメリカ型)資本主義の終焉」


情報化社会になったいま、このようなイノベーションのイメージは、IT産業に限定されないでしょう。いかなる商品も単なる使用価値を求められるのではなく、そこで提供される情報が付加価値となっています。すべてがサービス業であり、販売ではニーズを生み出すマーケティングが求められる。

ここでは生産と消費の境界は溶解し、シミュラークル、物語消費、二次創作、総クリエーター時代です。イノベーションは民主的で創発的であることが当たり前となっています。これが属にいう「第三の波(知識社会)」像でしょう。

情報化産業につづく環境対策産業にも同様なイノベーションのイメージが持たれているかも知れませんが、先に示したように環境対策は、投資を必要とする旧来のイノベーションに近いだけでなく、さらに地球規模の公共投資が重要な点でさらに保護主義的である可能性が高いでしょう。そしてこのような産業構造の変化は「第三の波」(知識社会)に続く、「第四の波」として新たな世界を生み出す可能性があるのではないでしょうか。

イノベーションのリベラルなイメージは、パソコン、ロックミュージックをさかのぼること、1920年代のアメリカの大衆消費社会に根を持つと言えます。自動車、家電製品など豊かさの開放・分散化。その100年後のいま、金融破綻によりアメリカの自動車企業は国有化され、「(アメリカ型)資本主義の終焉」といわれます。そしてその救世主として環境対策産業が求められているというのは象徴的かもしれません。

環境対策産業は世界を保護主義へ導く。そしてそのカウンターとして反消費社会のような市民の自立的な環境対策運動が生まれる。そこではもはやアメリカは大国の一つでしかないでしょう。*2

*1: [全体]非金銭経済の可能性(改訂) http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090616#p1のコメント欄より

*2:画像元 拾いもの