なぜドラマ「任侠ヘルパー」は面白いのか

pikarrr2009-08-03

ドラマ任侠ヘルパー


今期のドラマでは任侠ヘルパーhttp://wwwz.fujitv.co.jp/ninkyo-helper/index.html)が別格に面白いですね。ヤクザと老人介護の組み合わせ?っと、最初はキワモノコメディかと思いましたが、フタを開けてみると、現代の問題を見事に描き出しています。

物語は、将来ヤクザ組織を背負っていく者を選ぶために試験をすると若手組長が集められる。そして彼らが試験場として連れていかれたのは、街のしがない老人介護施設だった。そこで実習生として働くことを求められるが、当然、なんのことかわからず冷めた彼らだが、社会的弱者の現実を目の当たりにして"男気"がわきあがり老人たちのために奔走するのだが・・・

たとえば第3話では、孫と二人暮らしの老婆が描かれます。その老婆は明らかに孫に虐待されているのに、彼らが助けにいっても決して虐待を認めません。虐待されていてもたったひとりの家族だからです。しかしとうとう、彼らは"男気"をだして縛られて暴力をふるわれる虐待の現場から、老婆を助け出し施設に連れて行きます。

しかしいざ、施設につれてきたものの、夜になると暴れだし自虐行為に及ぶほどに老婆の痴呆は進行していたために、結局、施設でも縛るしかなかった。孫はただ冷たいわけではなかった。痴呆から縛るしかなかったし、介護疲れから虐待に及んでいた・・・




「魂の労働」としての介護とヤクザ 


なぜヤクザ?ということですが、このドラマをみて、なるほどな〜と思いました。ここで描かれるヤクザは、犯罪を犯してでも金を稼ぐという徹底した「経済的主体」と、義理と人情という自らの生死をかけてでも人を助けるという「社会的な主体」との両義的な存在の極限として描かれます。

現代のヤクザはもはや義理人情のような世界はなく、彼らは徹底した「経済的主体」であり、老人はカモです。しかし老人介護に接することで、彼らの中の「社会的な主体」としての熱いものが目覚める!ソウルフルな音楽とともに覚醒するこの「義理と人情」に視聴者は拍手を送ります。しかしただそのような人間成長の物語だけではなく、彼らは覚醒しつつ、いつも最後には負けるのです。決してその程度では何ともならない現実に挫折し続けます。なぜなら老人が向き合う現実は、虐待される、騙されてお金を取られることさえも、喜んで受け入れるほどに深いものであり、老人介護の現場は両義性のただ中で宙づりにされています。

この両義性の前での挫折は現代人だれもが感じるものでしょう。他者に対してどこまで無関心であり、どこまで配慮すべきか。さらにお金にしか頼ることができない貨幣依存社会からくる将来への不安を想起します。まさにこの現代的な問題の限界としてヤクザと老人介護が描かれ、一見、ミスマッチな両者の絡み合いがみごとに両義性を浮き彫りにします。まだ4話これから楽しみです。

有償化された介護労働あるいは感情労働に従事する者は、通常二種類の関係に身を置くことをヒメルワイトは指摘している。顧客(介護される側)との関係と、雇い主との関係である。このことは介護労働者や感情労働に従事する者の<労働>が、産業労働者のそれといかに異なっているかを説明する。産業労働者が自己の労働を、自己の感情とは切り離すことのできる<商品>として扱うのに対して、介護労働や感情労働に従事する者は、介護される側(顧客)との長期、短期的な信頼関係にコミットしているがゆえに、十全にその感情労働を商品化することができない。それゆえつねに、顧客に対する<感情>や<配慮>を優先させるか、それとも労働の<商品化>を優先させるかを決めかねる困難なポジションにあるといえる。P30-31


「魂の労働」 渋谷望 (ISBN:4791760689