ベーシックインカム 「貧困であることの自由」は許されるのか

pikarrr2009-09-15

ベーシックインカムと貨幣依存社会

ベーシックインカムとは政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5万円〜8万円程度)を無条件で支給するという構想。(Wikipedia


ベーシックインカム(BI)の怖さって、貨幣依存を進めるよね。たとえば田舎などの金銭収入が低くても、自給自足的にそれなりの生活している人がいるよね。でもBIって貨幣価値ではかるわけでしょ。ようするに、すべてを貨幣価値ではかれるか。というか、貨幣価値がすべてか。経済の半分は非金銭経済と言われているわけで、BIに依存することで、金銭経済という孤立の世界で孤立するだけではないかな。人は貧しさの中で、生活力、助け合いという非金銭経済能力を身につけていくわけで、その力がたたれるよ。

たしかに新自由主義は、貨幣依存社会を進めたわけで、いまの貧困は、非金銭的な生活力が弱体したことで、金がないことが、生命に直結する事態を生んでいる。しかしBIって結局、新自由主義に屈服することだと思うんだよね。もう貨幣依存でいいよ。その代わり生きながらえる金だけ、恵んでくれ、ってね。

だからBIというのがかなり開き直り戦略であることを自覚する必要がある。途上国支援でもわかったことは、一時的に金を渡してもなんの解決にもならない。それよりも継続的な救済のためには、教育、産業保護、社会的な効率のための環境整備が重要になる。それによって、経済を活性化させて、安定した労働を生み出され、社会を豊かにする。




「貧困であることの自由」


リーマンショックで、ネオリベからの転換と言われるが、結局、いまネオリベに戻りつつある。もうマネー資本主義からもどることは難しい。すると、生活力を身につける、助け合いの社会を作るという従来の保護政策は有用か、と言う問題がある。ならば、実情にあった、最低限の金を個人に与えるということも有用ではないか。ネオリベ社会にはネオリベ的保護政策が効果的なのではないか、ということもある。

BIを進めるという開き直りは、皿を食らえば毒まで的な政策。ヤク中毒社会なんだから、それを改善するように社会整備するよりも、死なない程度のヤク物を支給してあげようという、開き直り戦略であるといったわけ。

ようするに、BIの本質は、「貧困であることの自由」なわけ。いままでの社会政策には貧困者にも労働のチャンスを与えよう、みなが社会的な貢献をして社会を豊かにしようという理念があったわけ。BIはそうではなく、貧困でありたいヤツは貧困でいいのでは、それはそれでかって、それぞれの自由でしょ、ということ。

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*1:画像元 拾いもの