なぜウェブは経済政策を超えていくのか

pikarrr2009-12-29

生活の基本 A 行政資本、B 経済的資本、C 社会資本


あなたが病気になったときに必要なのは、

A 行政資本・・・医療保険・制度が整備されていることで、安価で治療してもらうことができる。
B 経済的資本・・・それでもお金は必要である。あるいは金持ちならブラックジャックに見てもらえるかもしれない。しかしそれだけではだめで、
C 社会資本・・・自分で病について学び気をつけてあるいは運動して健康を保つ。基本的に生活はこの3つの資本を基本に生活は成り立っている。

マスコミや政治家が騒いでいる所得が減少していることは、このうちのB 経済的資本が減少していることを意味する。だから社会保障などのA 行政資本の充実が求められている。しかしここにはC 社会資本の視点がない。

C 社会資本は簡単にはセフルサービスであり、さらには自主的に楽しむDIY(Do it yourself)=生産消費である。特にC 社会資本が充実してきているのがウェブである。多くの情報が蓄積され、コミュニケーションが充溢している。

そしてC 社会資本が充実すれば、B 経済的資本の必要性は減る。金を買うより自分達でDIYすることが楽しいのだから。だからウェブ上のC 社会資本の充実は経済に大きな影響を与えているだろうが、社会資本は非貨幣経済なので見えないのである。




貨幣経済政策の限界


GoogleなどのIT企業がやっているのは、B 経済的資本C 社会資本へ変換することである。本を買わずともウェブで豊かな情報をえることができる。そしてお金をかけずに楽しく生産し楽しむことができる。IT企業ががんばるほどに、C 社会資本は増えてB 経済的資本が減ることになる。

この情報化社会において、所得の減少や派遣社員の問題をB 経済的資本だけで語るのはもはや限界なのではないだろうか。C 社会資本が増えればデフレが進む、また歓迎される可能性が高い。確かに失業してB 経済的資本が少なく、困っている人たちもいるだろうが、社会全体をリフレ政策などのようにB 経済的資本だけでみると見誤るだろう。




楽観的シナリオ、悲観的シナリオ


理想的な社会形態は、製造業は使用価値に近い商品を生産する。人々はウェブ上のC 社会資本によってセフルサービス、DIYで使用価値商品を知的商品へと再生し、生活する。IT企業は人々へ無償でC 社会資本を提供し、製造業から広告料をもらい運営される。そして人々は商品を購入するために、製造業とIT企業で必要な時間だけ働き、B 経済的資本をえる。

しかしそう甘くはないだろう。悲劇的なシナリオとしては、製造業は使用価値に近い商品を生産するが、B 経済的資本が減少することで経済が縮小する。人々はウェブ上のC 社会資本によってセフルサービス、DIYで使用価値商品を知的商品へと再生する。IT企業は人々へ無償でC 社会資本を提供し、少ない雇用で製造業から広告料をもらいボロもうけする。そして人々は経済の縮小で雇用がなく失業するか、単純労働を強いられて、わずかなB経済的資本がえられず、ウェブ上の趣味を頼りに貧困を生きる。これをA 行政資本で補うことには限界があるだろう。新たな「富の体制」の改革が必要だろう。

ほとんどの場合に見逃されている事実がある。失業者すら、実際には働いているのである。失業者も現代人の例にもれず忙しく、無報酬の価値を生み出している。この点も理由のひとつになって、富の体制のうち金銭セクターと非金銭セクターの関係を再検討する必要が生まれている。この二つのセクターはいってみれば、未来の頭脳経済を構成する右肺と差肺のようなものである。

強力な新技術によって生産消費の生産性が向上する。生産消費による金銭経済への刺激の効率をもっと高めるにはどうすればいいのか。富の体制を構成する二つの部分の間で価値をもっとうまく流れるようにする方法はないのだろうか。リナックスとWWW以外にモデルはないのだろうか。報酬を支払われてこなかった貢献に報酬を支払う方法はないのだろうか。おそらくコンピューターを使った多角的バーターか、ある種の「準通貨」が使えるのではないだろうか。


「富の未来 下」 アルビン・トフラー P337-338 (ISBN:4062134535


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