なぜ実生活で資本に依存しウェブ上では嫌悪するのか 資本信用、関心信用、機械的信用

pikarrr2009-12-31

資本(信用)主義社会


たとえばある情報があるとき、その確からしさをいかに確認するか。実社会ではまずソースの確かさ(大手マスメディア、社会的権威への信頼)が大きいだろう。昔ならば活字であることだけで信頼された。活字にするコストが高く、そこに資本をもつ企業が介しているという無意識の信頼があったのだ。

資本主義では多くのお金を持つことが信用である。信用をもつ金を「資本」と呼ぶ。だから資本をもつもの(大企業)が優位になる。ユーザーは商品貨幣交換をするが、大企業は商品交換以上に資本(信用)交換を行っている。

だから大企業との取り引きは信用が高く個人よりも優遇される。そして資本をもつ大企業同士の優遇し合いが資本主義の本質である。そもそも経済学のいう自由競争は価格が下がり、原理的にも儲かるはずがない。

実社会では大きな資本への信頼は絶大である。これを単に大企業優遇で汚いといえない。大企業であることで商品品質は信頼できる。そして貨幣社会では商品への信頼が生存への信頼へ繋がる。自由競争ではあるが大企業が安定していることを人々は望み、政府も支援し、社会秩序が保たれているといっても良いだろう。それが資本(信用)主義社会である。




実社会で資本信用に依存しウェブ上では嫌悪する


活字への信用は、いまではお笑いぐさである。誰もPC、プリンターをもち、低コストに活字化することができる。そしてウェブは無数の活字にあふれている。ソースが資本をもつ大企業であることは信頼であるが、それだけではなく、ウェブ上で人々の多面的は発言を見て確認するだろう。特にそれが商品などの営利にからめば、資本による信用は鵜呑みにならないものになる。ウェブ上の体験談の方が参考になる。たしかにウェブは雑音も多いが、しだいにウェブ情報の使い方に慣れるものである。

実社会で働く資本に支えられた「大きな信用(権力)」はウェブ上では働かない。マスメディア、有名人、大企業などの権力はウェブでは解体され懐疑される、だけではなく嫌悪さえされる。実社会で資本信用に依存しつつも、ウェブ上の言説ではまるで二重人格のように嫌悪するのはなぜだろうか。




Googleは信用を機械的に処理することで信用を得ている。


ウェブには資本信用とは異なる信用圏が形成されている。ウェブ上の生産の低コスト化が進んだことで、非営利的なプログラマー達が活躍することができる。そのようにして歴史的にウェブのアーキテクチャは作られてきた。さらにはロングテールという互いに見せ合いっこする信頼関係が重視される。これを「関心信用」と呼ぼう。ウェブ上の社会は「関心信用」を重視するために、資本信用を嫌悪するのだろう。

Googleでさえこのようなウェブの信頼関係に敬意を払いサービスを展開している。Googleは大きな取り引きで大きな利益を得るようなことはしない。小さな取り引きを多数集めることで巨大な収益をえる。ロングテールでは個人を容易に一まとめに管理することができ、貨幣交換で利益を上げることができる。ウェブでは各人からの利益はわずかで儲けているようにみせずに、多数の人から徴収することでもうけることが基本的なビジネスモデルである。

ネット上の「フリー」は決して、ただではなく、一つの課金手法である。ウェブの課金においては、信頼関係を考慮した課金方法を考慮しなければ「心の財布」は開かないということだろう。*1

Googleは大手企業だから、個人だからという信頼の偏差がない。一つのルールですべてを処理することで、実社会の大企業と異なり、民主的なビジネスと考えられている。実社会の資本による信用に距離をおき、情報探索を補佐すること、Web2.0を促進することでウェブ上の信用を勝ち得ている。Googleの信用(権力)は大きな信用を否定し小さな信用を機械的に処理することで得ている。Googleの代名詞「人の手を介さず」である。これを機械的信用」と呼ぼう。




ロングテールの二面性


ロングテールには二面性がある。一つはロングテールの住人について。ヘッド側はヒット作品をつくりだす大量生産者と消費者が分かれている儲かる領域である。それに対して、ロングテール領域は超ニッチであって儲からない領域である。ロングテールは単にニッチであるだけではなく、そもそも数量が少なく生産者は収益を得ることがむずかしい。だから生産と消費の境界がなく、消費者がまたDIYとして生産する「生産消費者」の領域である。そしてこのために人々が「見せ合いっこ」で共存し支え合っている。すなわちヘッドは「資本信用」の領域でロングテールは「関心信用」の領域という質的な差があるのだ。

もう一つはマーケティング技術としてのロングテール。有名なグラフでは販売数とランキングのように数量的に表される。ロングテール論では、生産者、消費者とともに集積者が重視される。集積者はGoogleなどのIT企業の仕事場であり、ロングテール領域を整理、ナビゲートする。

たとえばかつてはポップスはレコード会社がヒット商品をつくるもの(ヘッド側)であったが、ビートルズらの登場で音楽好きの若者、自ら演奏も行う文化を広まり、文化祭での即興バンドにまでその裾野が広がった。しかしこれをロングテール図として描けるだろうか。

これをロングテール図として描くためには集積者の視点が必要である。いまならウェブでアマチュアたちの音楽を展示し、紹介するサービスのもとに一元的に管理することができる。これによって、ロングテール図が成立し、集金が可能なる。

だから単に金のためではない(金のためならニッチ活動などやらないだろう)うるさいロングテールの住人の機嫌をとりつつ、いかに儲けるか。なぜなら彼らはウェブ上の独自の信用圏=「関心信用」によって動いている。しかしウェブ上ではうまくやれば彼らを管理することができるのだ。

「ピア・プロダクション」によってイーベイ、ウィキペディア、クレイグスリスト、マイスペースが育ち、ネットフリックスに何十万もの映画のレビューがあらわれた。そしてセルフサービスのおかげで、グーグルは一クリックにつきわずかな額で広告を売っている。・・・「皆注(クラウドソーイング)」には経済面で利点があるだけではない。顧客も能力を発揮できる。ユーザーが投稿したレビューは明快で情報に通じた内容であることが多く、何よりも他のユーザーからの信頼度が高い。顧客が集合すると、全体では事実上、無限の時間とエネルギーを持つ。

購入パターンに関する情報は、レコメンデーションという形で紹介されるなら強力なマーケティングの手段になりうる。顧客に購買を思いとどまらせるような疑問は、レビューや仕様書など商品の詳細情報によって解決できる。ある商品をすすめるのは過去に類似商品を購入したことがあるからだ、というようにレコメンデーションの理由を表示すれば、顧客はシステムに対して信頼感を持つようになるし、もっとうまく利用できるようにもなる。透明性を高めれば信頼を確立できる。

たとえば集合知を利用したフィルタは、市場の情報をもとにして商品の販売促進をおこなう方法だ。人気ランキングは市場の声であり、口コミのいい循環によって増幅される。商品の評価づけは全体の意見であり、商品比較や分類がしやすいように数値化される。これらはすべて、消費者にわかりやすいよう選択肢を整理するツールだ。小売業者はあれこれ先を読む必要はない。予測しないで測定し、その結果に応ずることだ。P366-374


ロングテール クリス・アンダーソン (ISBN:4153200042


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*1:socioarc 「心の財布」はなかなか膨らまない http://www5.big.or.jp/~seraph/mt/000345.html

*2:画像元 http://www.busi-sp.jp/long_tail.html