2ちゃんねるとTwitterは電子メールに勝てない

pikarrr2010-02-26

2ちゃんねるのけん制行動の儀礼


昨夜はひさびさ2ちゃんで議論?をしたが、Twitterから戻ると感覚が取り戻せず大変だった。まず相手が「名無し」であることがフラストレーションである。数人いたが誰が誰かわからず、その発言者の背景が見えない。Twitterでは誰もが特定でき、簡単ではあっても背景が見え、そして発言に連続性がある。これがいかに大きな情報であるか、あらためておもいしらされた。

2ちゃんでは匿名であることはコミュニケーション技術となっている。必要以上に「自分」を見せないテクニックによって、数行のコメントのみの情報なら誰もが知ったかぶりができる。だからまず問題の確信の周囲を回りながら、相手がどれほどの知識を持っているか値踏みしつつ、自らを大きく見せるという「けん制行動」が行われる。動物の争いは実際に傷つけあいにいたることが少なく、けん制で行われるのに似ているのかもしれない。勝っても傷つくことはそこから感染症になるなどとてもリスキーな行為である。

ひさびさに2ちゃんねるで議論するとこれがめんどくさい。話が確信に至らないままあーだこーだで平気で数時間たつ。このような行動はもはや目的化・儀礼化している。だから話題について知らない者まで集まってくる。彼らは2ちゃんねるにたむろし、これが今夜のおかずか、というわけだ。コミュニケーション・ゲームであり、たいして話題を知らなくても一定時間誰楽しめる。それに慣れれば楽しいのだろうが、Twitter「スピード」に慣れて久々にいくとなかなかめんどくさい。




Twitterパノプティコン評判システム


Twitterの140字は人間としてまともなコミュニケーションを放棄しているとしか思えない極悪な環境ではあるが、キャラの同一性が保たれ、その背景をミニブログとしてアイコン、自己紹介文、いままでのコメント、さらにブログがリンクされていれば一番いい、によって知ることができる。どのようなレベルでこの数文字が送られたのかを知る大きな手がかりになる。このために「けん制行動」のような無駄な駆け引きをはぶくことができる。

さらにはTwitterに働く評判システムが発言に責任を与える。経験でいえばフォロー数はとても繊細である。あまり宜しくない発言、議論をすると瞬間的に10、20件のフォロー数が減っていく。それがなんだというのは簡単であるし、さらにそもそもそのためにフォローが減ったなどわからない。フォロー数は絶えず変化し、たまたまこのタイミングで減っただけかもしれない。しかし評判システムはパノプティコン(一望監視装置)」であって、見られているように感じることで、主体が責任を持つよう規律訓練権力が働くのである。




Twitterは自ら設計監理する掲示


Twitterは自らフォローした人のコメントが表示されるという自ら設計する掲示板」である。そしてフォローは設計管理項目である。2000人のフォロー制限までならいくらでもフォローすることができる。フォローする人は検索ツールもあるし、また興味ある人がフォローしている人をたどるなど、いくらでも探すことができる。またTwitterのフォローには緩やかな贈与交換が働いている。経験で言えば、100人をフォローすると約3割のフォロー返しがあるので、フォロワーも設計することが可能である。

同様にフォローを解除することも容易である。とくに強力であるのが「ブロック」することで、こちらのコメントもその人のコメントも遮断され、掲示板から消え失せる。これは閉鎖的な行為ということではなく、ネットでは往々におこる感情的な「ののしりあい」を回避する有効な方法である。このような自らの設計によって円滑なコミュニケーション場を設計することが可能である。

ボクは、細かい議論をするためにTwitterにせめて500字制限のバージョンがあってもいいのではと思う。評判システムが働き、それなりの議論ができる環境。スピーディーといっても、140字では(動物の)シグナル・コミュニケーションであって、さすがに言語(シンボル)コミュニケーションと言い難い。




ネットコミュニケーションは不完全(ディスコミュニケーション)を求める


ネットでのコミュニケーション環境設計(アーキテクチャ)づくりは簡単なようでいまだにまともなものができないところからなかなかむずかしいんだと思う。設計は簡単かも知れないが人が集まらなければ話にならない。そして結果として集客に成功した限られた事例がどれも「まともな」ものでないのは示唆的である。

そもそもなにをそんなにコミュニケーションすることがあるのか。だからコミュニケーション場は円滑なコミュニケーション場を目指すのではなく、コミュニケーションを生み出す、すなわちいかに「脳内ボッド」を刺激して「つぶやき」引き出すかが重要なのだろう。このために決して満足しない不完全(ディスコミュニケーション)が重要になる。




電子メールが最強のネットコミュニケーションツール


インターネットはコミュニケーション技術として急激に発展して来たが、結局、ネット技術で最も社会へ影響を与えているのは電子メールなのではないだろうか。いまや多くのサラリーマンが1日をメールの処理に終われている。ネットが普及して15年程度。メールが普及していないとき彼らはなにをしていたのだろうかと不思議になるほどだ。いまではそれほどメールは社会の生産性に欠かせない血流になっている。

これらはネット民が騒ぐような、ネット上の新たに社会の出現や、資本主義に対抗する思想ではなく、今ある資本主義経済の流動化の向上による効率化のための便利なツールである。ネット民がネットコミュニケーション上で嫌権力、嫌銭、ベーシックインカム、新世界、新人類の空想に耽っている間に、電子メールを中心としたネットコミュニケーションはこつこつと下部構造としての自由主義経済を強化しつづけている。これに比べれば祭りのごとくの多人数型ネットコミュニケーションの社会的な効果はいかほどのものか。
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