なぜ日本人は国家に依存しつづけるのか

pikarrr2010-05-09


日本の良さが若者をダメにする レジス・アルノー
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php


・・・18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。

日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。

・・・日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。

だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。




日本人の信頼を支える「常識」


信頼は二つの要素により支えられている。一つは毎日そうしてきたから今日もそうするという経験による「習慣」。もう一つが経験していないが経験から推測される「常識」「常識」はみなと共有されているだろうことで成立している。

日本人は後者の「常識」への依存が高い。法律や規律よりも、その根底にみなが共有する「常識」を信じている。

それに対して、海外では民族が近接し「常識」が複数存在するために、争いと共に「常識」への懐疑が生まれる。内的には常識とは何か?外的には複数の常識を調停する「超-常識」とはなにか?

「超−常識」は決して経験では導けず思考される。ここから西洋合理論の系譜が生まれ、法へと繋がる。だから法は正しいか、正しくないかではなく、多様な民族の中で「常識」が通用しない世界を調停するために必要なものであって、守るべきもの、また勝ち取るものとなる。

そしてその自覚から民族を越えた「市民」としての自立がうまれる。




国家主義が日本人の「常識」を支えつづける


日本も明治時代以降、西洋の「常識」にさらされ、日本人の「常識」への懐疑を持っただろう。しかしそれを回避したのが天皇を中心とする国家主義である。西洋の植民地化を避けるために、国家主義のもと、実質的に江戸時代から続く階級制度を維持しつつ、一丸となって経済発展を目指す絶対主義体制である。

西洋の産業技術はどん欲に受け入れながら、西洋から持ち込まれる民主主義、特に左翼思想は弾圧された。市民革命を回避するためだけではなく、日本人の連帯を疎外する「常識」への懐疑を排除するためである。

このような国家主義傾向は昭和を経て戦後になっても続く。なぜ米国が戦後も天皇制を継続したのか。その一つがすでに始まっていたロシアとの冷戦構造において、日本を左翼化させないためである。すなわち天皇制を否定することで日本人が「常識」への懐疑に陥らず、継続して国家主義を維持するようにする。

当然、それまで国家主義を推進してきた軍部は解体されたが、制度的な民主主義は取り入れられつつも、天皇制は継続、そして財閥は実質的には維持された。戦後、国家主義は財閥などの大企業を中心とした会社社会として生き延び、日本の経済復興を推進した。国家の庇護の元、大企業を頂点とした下請けへと広がるピラミット構造による護送船団である。

これによって終身雇用を基本とした会社社会の中で、また日本人は懐疑することなく「常識」を信じ続けることができた。




現代の国家依存への限界


いま、会社社会が解体しつつある。それとともに、近年、政府への要望、依存が直接的でヒステリックになりつつある。次々に首相の首を取り替え政党を取り替える。関心は年金や事業仕分けを象徴とする国家による富の分配である。

すなわちそれでも人々は日本人の「常識」を信じるしかなく、その源を国家に求めている。会社が見捨てても、社会が見捨てても、まさか国家は日本人を見捨てるわけがないと。

それも限界だろう。自民党埋蔵金を隠し持ち、国民に分配されないと民主党も持ち上げた。だがそんなものはなかったことがわかった。公約違反と鳩山首相の首を切るのもいいだろう。しかしいくら国家の財布を振ろうがないものはない。もはや国家への信頼だけでは生きていけない、ところに来てしまっている。

確かに日本人は「日常生活にひそむ英知」による「どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切ってい」たのかもしれないが、もはや限界に近づきつつある。その快適さは「常識」を支える国家に深く依存して来たからだ。

この国家依存からいかに脱却するか。大きな曲がり角に来ていることは確かだろう。オタクやネットなどのサブカルチャーへ埋没することで日本人の「常識」を延命しつつ、省エネ型の生活で堪え忍ぶのも限界だろう。

日本人も「常識」を懐疑し、市民社会としてのルールを組み立てていくか。海外へ積極的に出て行くときには当然必要になるものだ。



(日本人には)「人間」日本教「空気」「常識」、こうした概念、その意味内容は、中性的で、無性格で、どこにでもあるという点で共通している。空気のように毎日それを吸っているのに感じないという点である。

つまり、法律として国家で決められようと、その条文を理性的に読めばそのとおりであろうと、その理屈の外、法律の外に、日本教「人間」という観念を措定しており、それに抵触するような「非人間的」なこと、たとえば生きていけなくなる、あるいはそこまで行かなくても、人間らしく暮らせないようであれば、法は無視してもよいと考えられているのだ。

・・・日本では、神ではなく自分たち「人間」が最上の価値なのである。だから、その「人間」レベルにある「常識」は、「人間」が解釈して使いやすくすることに何の問題もない。・・・その「人間」自体も、観念として抽象化されてはおらず、常に生身の裸の人間という具体のレベルで捉えられ解釈され直すのであって、抽象化された言葉で書かれたりしてはならない。

というものの、そうした曖昧さと言い合いにもかかわらず、日本社会は壊滅することなく動いているし、むしろその安定さを指摘されることが多い。逆に言えば、「人間」「常識」「場の空気」を正しく認識するために、日本人は多くの時間を互いの考えのすり合わせのために費やしているということであり、かつ、結果としてはかなり程度まで、共通理解を獲得することに成功しているということである。これはまた、こうした共通解を会得しなければ、「日本人になれない」ということである。


「日本人論」再考」 船曳建夫 (ISBN:4062919907)  P248-251

明治維新からまもない一八七一年に新政府は・・・指導者階層を二つに分けて、そのどちらかといえば若いそれ故に学習能力をもつ部分をヨーロッパと米国とに送って西洋の制度を勉強させました。

高級官僚の派遣団は西洋諸国の技術の発達とその能率から深い印象を受けます。彼らはまたその能率のある統治組織を推し進める宗教および倫理の信条をもうらやましいものと感じました。この故に彼らは能率の高い技術文明を支える力として、日本の神道の伝統を模様替えして取り入れる流儀を採用しようと考えました。こうして天皇崇拝は、日本においてそして日本だけに栄えるものになる技術文明の殿堂の思想的土台として据えられることになりました。


「戦時期日本の精神史 1931‐1945年」 鶴見 俊輔 (ISBN:4006000502) P58-59

(明治政府の)地租改正と殖産興業という2大原畜政策に結びついてもっとも巨大な利益をあげたのは、いわゆる政商であった。彼らは政府との特権的結合を基礎に活動する前期的資本家(商品・高利貸)であり、産業的基盤を得ることによって財閥に転化していく。

かかるものとしての政商は、歴史学的には、絶対王政期の初期独占と基本的には共通した性格のものとして把握することができよう。イギリスやフランスの場合、初期独占はブルジョア革命を通じて打倒され、その結果の条件を得た小ブルジョアブルジョアジーの競争のなかからやがて独占段階を特徴づける近代的独占が生み出されてくる。しかし日本の場合はこれと異なり、初期独占としての政商がなしくずしに財閥に転化し、その財閥が早くから近代的独占としての側面を帯びるようになるのであって、初期独占と近代的独占の間に系譜的断絶がない点に特徴がある。


「日本経済史」 石井寛治 (ISBN:4130420399) P136

日清「戦後経営」を通じて新しい「国家資本」が次々と作られた。産業革命期を通じて国家資本の比重がかえって増大しつつ、産業資本の確立を帝国主義への転化を推し進めていったことは、日本資本主義の大きな特徴であった。

巨大な国家資本とくに官営企業を維持・発展させるためには国家財政からの絶えざる資金投入が必要であり、そのことが農民その他からの租税収奪の強化をもたらし、農村の半封建的構造を下からのブルジョア的発展を通じて打ち破る動きを摘み取り抑圧したということであろう。

軍需に代表される国家市場の形成が民間重工業の発展を促す動きもとくに日露戦争後にはみられているとはいえ、その利益にあずかったのは主として財閥系企業にすぎず・・・「国家資本と財閥資本との関連(癒着)の仕方そのものの中に、日本型ブルジョアジーの序列的・重層的構成を決定づける契機が内包されていた」


「日本経済史」 石井寛治 (ISBN:4130420399) P243-246

GHQの)財閥解体政策によって中枢の本社機能が解体され、特に持株会社は廃止された。・・・打撃を受けたのは、どちらかといえば「新興財閥」であって、「旧財閥」は分散はしたが復活の芽を多く残していた。傘下の大企業は残されたし、・・・財閥の中枢機構としての金融機関はまったくといいほど、手がつけられなかった。

しかも、冷戦体制が明らかになるにつけて、アメリ占領政策の転換が起こった。51年7月に持株会社整理委員会は解散したので、財閥解体業務は終焉した。この後、日本の財閥解体は急激に緩和されることになり、日本資本主義の発展には有利となった。したがって、戦後復興にこれら大企業がそのまま関与して、復活した。


「戦後日本経済の総点検」 金子貞吉 (ISBN10:4762006777) P11-12

現代日本人おいて)何かしてくれる国家について国家論は盛んであり、そこに臣民意識が現れるが、国家主権といった国際政治における主体の問題としての国家とそれを動かす国民の議論はない。国債、年金、道路といった、「生活環境のインフラ」としての国家に関心があるのだ。もちろんそうしたインフラは、国家そのものである。しかし、それを動かす国民はどのようなものかは心底の関心にはなっていない。

・・・「市民」というモデルが、いわゆる「市民活動」にたずさわる人というのであるならば、それは社会に広く行き渡り、現実化している。・・・しかし、それは西洋型の市民というのとは違うだろう。・・・日本の市民は「社会」ではなく、「世間」に生きている。日本の「市民」は庶民と同義にとらえられ、使われている。「市民」のカッコはなかなかとれない。


「日本人論」再考」 船曳建夫 (ISBN:4062919907)  P297-298


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