iPadはハッカー文化の終焉か

pikarrr2010-05-30

ハッカー文化とケータイ文化


アップルがもっとも重視しているのはiPodをどこまで売り続けるか。動画に対応させ、電話機能をつけ、アプリを走らせ、大型にして、書籍に対応。ものそのものはそれほど変わっていないが価格を維持し売り続ける日本メーカーのような手法。しかしiPadは少し安直だったのでは。ただ大きくしただけで何のためが今まで以上に軽視されている。

ハッカー文化の時代から、ITの原動力はフェチシズムだった。情報交換が目的ではなく、IT技術そのものを愛する文化。発売時に行列を作りお祭りをするのもその一つの儀礼だ。それに対してケータイ文化はコミュニケーションが目的でIT技術へのフェチはない。似ているが違う文化、世代。

ハッカー文化は60年代生まれなので、「情報の自由」というイデオロギーをもつ。だから書籍の解放とか、既存産業へ対抗を語る。ケータイ文化はケータイ小説など結果的に既存産業を解体しているが、イデオロギーを持たず黙々と拡散していく。




ハッカー文化の終焉


ハッカー世代は、ケータイの囲込みを嫌悪してきた。それが時代遅れなのだが、それもまだ渋い!と言えた。でもケータイの囲込みを嫌悪しつつ、アップルの囲込みに熱狂する現状は、ほんとに中身のない趣味フェチになってしまった。まさにハッカー文化の終焉だ。

ハッカー文化フェチシズムで販売に結びつけるITバブル時代は終わった。ケータイにおいて、もはやIT技術イデオロギー、フェチを越えて身近な便利なツールとなった。電子書籍の衝撃とか騒いでいるのはオッサンだけだろう。

既存書籍の終焉とか騒いでいるが、実はITハッカー文化の終焉の裏返しなんだと思う。もはやIT文化に金は流れず、先細りする中でイデオロギーがブランド化したアップルにすがるIT難民達。 懸命に既存産業を叩くことで薄れゆく存在を誇示しようと必死だ。

ハッカー文化の継承という意味では、グーグルが残っている。しかしIT技術が身近なツールになるということは、フェチシズムがなくなることともう一つ、生活に必要な安心・信頼が重要になるということだ。ケータイの囲込みはまさに安心、安全を保証するために設けられた。グーグルにはこの習慣が全くないから、各所でローカルとの衝突を繰り返している。それは躓きの石になる可能性が高い。




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