なぜ日本人は「ガラパゴス化」するのか

pikarrr2010-06-06

習慣が破れることへの日本人の強迫性


ファーストフードではみなが淡々と注文し食事をしているが、たまにお年寄りが必死に店員と交渉しているのを見かける。はじめてなのか、注文のシステム自体を知らずに恥ずかしそうに懸命に注文している。しかしこのような場面は誰にでもあるだろう。初めての手続きに慣れないだけではなく回りから浮いていることが恥ずかしい。

日本人にとって習慣で処理できないこと、始めての場面に出くわしてフリーズしてしまうこと、は恐怖である。それは日本人でなくても恐怖だろうが、多くを習慣で処理できるハイコンテクストな社会を生きている日本人には強迫的な恐怖である。

外国人は多かれ少なかれ異文化が身近にあり生まれながらに「習慣の破れ」を経験する。そして対処方法も訓練として身につけている。習慣の破れをいかに乗り越えるかといえば、簡単に言えば開き直りの自己主張しかない。そのために西洋人は笑顔と交えた社交性の技術を身につけている。

ハイコンテクストな社会を生き、習慣の破れに慣れていない日本人は慣れずキョドってしまう。自らを主張するとは慣習を越えて自らを曝け出すことであり日本人にはとても不慣れな技術である。




強迫性がガラパゴス化を生み出す


日本人の高度な商品文化はクールジャパンとして有名である。生活の細部にわたるまで行き届いた商品群や、痒いところに手が届くようなサービス。粗雑、適当なサービスで生活する外国人には驚きである。これはまさに日本人の習慣の破れへの強迫的な恐怖心の裏返しではないだろうか。日本人は社会を習慣で満たさなければと懸命なのである。

日本とは「舗装された道」が張り巡らされたようなものだ。それによって足下気にせずに習慣で歩ける。それに対して、海外にはいろんな道があって足下に気をつけながら歩かなければならない。

それでも西洋人は段差を歩く技術を身につけている。それに対して日本人は転けても仕方がないという開き直りことができず、転けることが恥なのである。だから懸命に道路を舗装しようとしているのだ。

日本人が資本主義世界で成功しえた理由のひとつ、特に近年の消費中心社会での成功は、資本主義の成功が習慣の断絶を回避する方法であるからだ。強迫性が必要以上に商品を高度に発達させる原動力になり、内需を成長させてきた。

日本のガラパゴス化と言われる現象もここからきている。日本製品特有の過剰な多機能性は「舗装された道」への強迫性である。だから海外製品に比べて日本製品は病的であり、海外で売れるわけがなく、ガラパゴス化することになる。




「若者の〜離れ」は日本人特有の他者依存に基づく


しかし最近、内需が閉塞しているのはなぜか。経済の停滞だけでは説明できないだろう。その特徴の一つが「若者の〜離れ」に現れてるのだろう。

日本の「若者の〜離れ」のポイントは、他者回避にあると思う。社会的な他者と交わることからくる束縛=拘束を回避したい。他者と向き合うことで生じる社会的な責任を回避したい。一人でコンビニエンスな生活、ネット上のコンビニエンスな他者との会話を気楽に楽しみたい。

このような他者回避がとても日本人的であるのは、まったく他者を回避しているわけではなく、逆に社会に依存していることで可能になっているためである。

西洋のように、異文化の「他者」が身近にいて習慣が分断されている社会で、他者を回避することは、他者がなにを考えているかわからず、とても恐ろしいものになる。たとえば日本人は黒人がそばにいるだけで違和感を感じる。安心するためには積極的に社交するしかない。解り合えるということではなく、社交として安心を確認しあう。

たとえば米国でエレベーターで一緒になると笑顔を交わし合うようなことだ。逆に日本人のように無表情でいるのは西洋人には恐怖に感じる。だから多民族の西洋では日本的な他者回避は難しい。

日本人の若者の他者回避、必要以上に干渉しないで欲しいという関係は、真に他者と関係を絶つことでは不可能である。日本人のハイコンテクスト、高い習慣の同期性によって可能になる。そしてそこにはある程度のお金さえあれば一人でいけるほどに十分に成熟した資本主義の消費文化がある。



日本の良さが若者をダメにする レジス・アルノー  http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php


18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。

日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。

日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。


*1

*1:画像元 拾いもの