日本人のハイコンテクスト社会 参考文献

本文はhttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100719#p1


3 日本語はハイコンテクストな言語

日本語の多くの文で主語としての「私」が要らないのは、「私」を音にする必要がないから、ということがここまででわかった。・・・月が出ている夜空を見ている二人がいて、そのうちの一人が言うとすれば「月が見える」である。「私は月が見える」は不自然である。これは、夜空を見ているという状況を二人が共有しているので、わざわざ「私は月が見える」と言わないのである。

日本語では、共同注視という認知状態から発話という言語状態に連続的に移れるので、わざわざ「私」という必要がないと言える。これに対して、英語では、共同注視という認知状態から、発話という言語状態に連続的に移れないので、わざわざ"I"と言わなければならないのである。

日本人は、認知的主体と言語的主体の連続性が大きく、認知的な部分と言語的な部分がなめらかに統合されている。これを言い換えれば、日本人の心は状況や環境に埋め込まれて度合いが大きいので、言葉で補う度合いが少なくてすむ、とも言える。

これに対して、イギリス人は認知的主体と言語的主体の連続性が小さく、認知的な部分と言語的な部分があまりなめらかに統合されていない。言い換えれば、イギリス人の心は状況や環境に埋め込まれている度合いが小さいので、言葉で補う度合いが大きくなるともいえる。P201-204


「日本人の脳に主語はいらない」 月本洋 (ISBN:4062584107

日本語には非常に多くの一人称がある。私、わたくし、あたし、あたい、自分、僕、おれ、われ、わし、吾輩、拙者・・・・・。自分のことをどんな言葉で言うかは、その人の社会的立場や、その発話をする状況したいである。・・・日本語の「私」という言葉も、すでに社会的な色彩を帯びた言葉になっているのだろう。

「日本語の世界での自分という人は、相手という存在が作ってくれるひとつひとつの関係のなかでの、自分と相手とのあいだにある上下の位置関係を細かく計って確認し、そのような関係のなかでの話が交わされることをも確認した上で、その範囲内でのみ相手と話を交わしていく。(片岡)」

日本語の人称の多さは、認知主体と言語的主体が連続していることからも説明できる。・・・言語的主体が認知的主体の状況をひきずりながら表現されているである。P204-207


「日本人の脳に主語はいらない」 月本洋 (ISBN:4062584107

日本語の擬態語には「ヌルヌル」「ベタベタ」「グズグズ」といった反復表現が多用されているが、こうした傾向は東南アジア緒語には普通に見られる。これらに共通するのは、シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)との間に何らかの自然的な結びつきが見いだせる点である。・・・擬態語については、印欧語の場合、そもそも数が極めて少ない。

日本語を含む東南アジア諸語とアフリカのスワヒリ語などにおける擬態語の豊富さは、分析的で抽象的な語彙によって現実世界に対する象徴的世界の自立を成し遂げた印欧語圏とは異なって、現実世界を引きずったまま、その内部に象徴的世界を埋め込む性向を示すものである。それだけ、言語自体にその身体的基礎の名残が付着しているといえる。

このオノマトペ(擬音語、擬態語)の具象性、体験性、感覚性といった特質は、一言で言うならば反抽象、反分析の傾向であり、現実をそのままに具体的かつ臨場的に体験したままに表現しようとする性向である。日本語の言説は、経験的現実から完全に自立することなく、現実のコンテクストに半ば埋め込まれているのである。オノマトペの多用といった点からするなら、日本語とは、現実世界=生活の現場(「場所」)に「参加」し、「内属」した立場と「視点」によって、そこで体験的に感受し、感得した事態をなるべく抽象することなく、具体的に、出来事の経過するがままに、連続的に、「生き生きと」描写するよう「動機付け」られた言語であるということができる。P19-22


「日本のコード―〈日本的〉なるものとは何か」 小林修 (ISBN:462207446X

<俗語革命>から十八世紀、遅いところでは十九世紀、二十世紀初頭にかけてヨーロッパが辿った道のりは、さまざまな「出版語」が、<国民国家>の言葉として次第に固定されていった道のりである。

さまざまな「出版語」が<国民国家>の言葉として固定されていくうちに、人間には、同じ言葉を共有する人たちとは同じ共同体に属する、という思いが生まれてくる。同じ「想像の共同体」に属するという思いが生まれてくる。すると、ナショナリズムが芽生えてくる。じきにそのナショナリズムは、隣国との戦争を重ねるうちに形成されつつあった<国民国家>によって、自覚的に利用されるものとなる。

このナショナリズムを育むのに大きく貢献したのが、新聞などの出版物であり、さらには、ほかならぬ<国民文学>である。<国民文学>は、<国民国家>という均質な空間に同時に生きる「国民」というものを想像させ、その「国民」に対して同胞愛をもつのを可能にする。そして、そのような<国民文学>をそもそも可能にしたのが、<国語>である。<国語>は、「出版語」が<国民国家>の言葉に転じたときに生まれたものだが、一度生まれてしまえば、「国民」がもつ国民性の本質的な表れだとされるようになる。P112-113


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」 水村美苗 (ISBN:4480814965

日本は、非西洋にありながら、西洋で<国民文学>が盛んだった時代にたいして遅れずして<国民文学>が盛んになったという、極めてまれな国であった。

なぜもかくもはやばやと日本に<国民文学>が存在しえたのか。それは明治維新以降、日本語がはやばやと、名実ともに<国語>として成立しえたからにほかならない。それでは、そもそもなぜ日本語がはやばやと、名実ともに<国語>として成立しえたであろうか。

一つは日本の<書き言葉>が、漢文圏のなかの<現地語>でしかなかったにもかかわらず、日本人の文字生活のなかで、高い位置をしめ、成熟していたこと。もう一つは、明治維新以前の日本に、ベネディクト・アンダーソンがいう「印刷資本主義」がすでに存在し、その成熟していた日本の<書き言葉>が広く流通していたということ。P156-158


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」 水村美苗 (ISBN:4480814965

日本人が、日本語を他の外国語と本格的に比較するようになったのは、明治維新以降である。・・・西欧列強に追いつくための手段の一つが、日本語の英語化であった。学校教育や翻訳を通して、上から権力や権威を使って組織的に、日本語を改変してきた。

明治維新から百四十年あまり経った現在の日本語は、江戸末期の日本語とはずいぶん変わったものになってしまった。たとえば「私は日本人である」という文は、現在ではまったく普通の文である。しかし、この「〜は・・・である」という文は、明治時代に登場した表現であり、目新しくてハイカラな響きがしたようである。・・・また句点(。)も明治に作られた。

明治維新のころを現在の日本人を比べれば、明治の日本人のほうが、より多くの場所の論理を用いた表現や思考をしていたのではないかと思う。学校の義務教育で模倣されることや翻訳文が数多流通することで、われわれの日本語は百四十年間を経て大きく変わってしまった。「主語」に対しても違和感がないし、私、彼、彼女等の人称代名詞も、それなりに日本かして定着きている。P233-235


「日本人の脳に主語はいらない」 月本洋 (ISBN:4062584107




4 日本人と理性

わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問[人文学]をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試練を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点を引き出すことだ。

つまり、われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ。こうしてわたしは、われわれの自然[生まれながら]の光をさえぎり、理にしたがう力を弱めるおそれがある、たくさんの誤りからだんだんに解放されたのである。P17-18


方法序説 デカルト (ISBN:4003361318

19世紀の確率論者たちは自分たちの理論を統計的頻度を用いて理解した。19世紀の社会科学者たちは規則性を探究したが、それは個人行動というミクロのレベルではなく、むしろ社会全体というマクロのレベルでの規則性であった。18世紀の思想家にとり、社会は法則に支配されたものであったが、それは社会が合理的個人の総計であったからである。19世紀の反対者たちにとっては、社会はその構成員が非合理的な個人であるにもかかわらず、法則に支配されていた。P200


「確率革命」 第6章 合理的個人と社会法則の対立 L.J.ダーストン (ISBN:4900071692

ケトレーはこれらの初期の著作において、何よりも次の事実に関心を向けた。すなわち身長的特徴の平均や非身長的特徴、たとえば犯罪や婚姻の比率は、長期をつうじてまた国のいかんを問わず、年齢その他の人口学的変数と驚くべき安定的関係を示すということである。彼が社会的世界の「法則」とよんだのはこれらの関係である。平均人という考え方は、1835年の彼の最初の本で最大の役割を果たしている。しかし彼は1840年以降になると、平均や比率の安定性だけではなく、それ以上にこれらの特性の分布に関心を示した。彼は人間の身長や体重の分布をグラフに描いてみると、今世紀初めから研究されていた観測誤差の分布と非常に似ていることに気づいた。そこで彼は、身長的属性の分布を正規分布であるかのごとくみなせるという固い信念を持つようになった。・・・彼の確信によると、十分な観察ができれば、身長的特性の分布のみならず、身体的でない特性の分布もつねに正規分布になる。P234-235


「確率革命」 第8章 生命・社会統計と確率 ベルナール=ピュール=レクイエ  (ISBN:4900071692




5 日本人の慣習とリベラリズム

認知言語学の指導者の一人G・レイコフは、論理学的な「論証」という思想に、「客観主義」形而上学が含まれていることを明らかにしました。ここにいう「客観主義」形而上学とは、次のような見方のことです。すなわち、あらゆる現実は人間の理解の働きから独立した「もの」からなっていて、「もの」はいついかなる時点においても同一であり続ける属性および関係を有する、とする世界観です。

客観主意は、人間がどのようにしてものごとを知ることができるのか、人間の正しい論理的思考とは何か、真理とは何であり意味とは何であるか、といった哲学の基礎的な問題に対して、首尾一貫した解答をもたらそうとする企てでもあります。P23-24


「新修辞学」 菅野盾樹 (ISBN:4906388965




6 日本人の民主主義

仏教が日本に迎えられた最初の時代には、それはどういうふうに理解され信仰せられたのであるか。・・・当時の日本人の大多数が原始仏教の根本動機に心からな共鳴を感じ得なかったことは、言うまでもなく明かなことである。現世を止揚して解脱を得ようという要求を持つには、「古事記」の物語の作者である日本人はあまりに無邪気であり朗らかであった。

・・・彼らは仏教を本来の仏教としては理解し得なかった。彼らは単に現世の幸福を祈ったに過ぎなかった。それにもかかわらず彼らの側においては、この新来の宗教によって新しい心的興奮が経験され、新しい力新しい生活内容が与えられたのである。しかもそれは、彼らが仏教を理解し得たと否にかかわらず、とにかく仏教によって与えられたのである。従って彼らは、仏教をその固有の意味において理解し得ないとともに、また彼らの独特の意味において理解することができた。P45-46

かくして受容せられた仏教が、現世利益のための願いを主としたことは、自然でありまた必然であった。彼らは現世を否定して彼岸の世界を恋うる心を持たなかった。・・・がこれを、ある人がいうように、「功利的」と呼ぶのは正当ではないであろう。彼らの信仰の動機は、物質的福祉のために宗教を利用するにあるのではなくして、ただその生の悲哀のゆえにひたすら母なる「仏」にすがり寄るのである。この純粋の動機を理解せずには、彼らの信仰は解し得られないと思う。P52


「日本精神史研究」 和辻哲郎 (ISBN:4003314476

日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとえようとすると、誰でも容易に手がつかない所以は、研究の立ち遅れとか、研究方法の問題をこえて、対象そのものにふかく根ざした性質にあるのではなかろうか。・・・これはあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関係を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で −否定を通じてでも− 自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。P4-5


「日本の思想」 丸山 真男 (ISBN:400412039X

日本において丸山真男がいう「古層」が抑圧されなかったのは、日本が海によって隔てられていたため、異民族に軍事的に征服されなかったからである、と。日本に入ってきた宗教が仏教であったがゆえに、「去勢」がおこらなかった、ということではない。仏教は特に寛容な宗教ではありません。逆にいって、一神教が特に苛酷だということもない。苛酷なのは、世界帝国による軍事的な征服と支配です。宗教がたんにその教えの「力」だけで世界に広まるということはない。その証拠に、世界宗教は、旧世界帝国の範囲内にしか広がっていないのです。世界帝国は多数の部族や国家を抑圧するために、世界宗教を必要とした。P104

「島」においては、自らの輪郭を維持するためのエネルギーが消費されず、また、外から何でも受け入れるが、プラグマディックにそれを処理して伝統規範的な力にとらわれず創造していくことが可能になる。こういえば、宣長「やまと魂」と呼んだものが、いかにして生じたかが説明できます。日本列島には多くの種族が古来渡来してきていますが、軍事的な征服は一度もなかった。だから抑圧あるいは「去勢」がなかったのです。P111


「日本精神分析 柄谷行人 (ISBN:4061598228




7 日本人の成功法則

芥川龍之介はたくさんの短編小説を書いていますが、素材から見て、主に、明治の文明開化期、十六世紀のキリシタン平安時代「今昔物語」などに依拠しています。それらの選択は恣意的に見えます。しかし、よく見ると、芥川に、彼が生まれる以前の日本人が、外国の文化や思想をどのように受け取ったかという問題を検証しようとする一貫した意思があったように思われるのです。

それを明確に示すのが、「神神の微笑」という作品です。これはいわゆるキリシタンものの中で最も重要な作品です。ここには特に筋のようなものはありません。主人公、イエズス会の宣教師オルガンティノは、日本の風景を美しく思い、キリスト教の広がりにも満足しているのですが、漠然と不安を覚える。「この国の山川に潜んでいる力と、多分は人間に見えない霊と」戦わなければならないと、彼は考える。彼はしばしば幻覚におそわれるのですが、そのなかに老人があらわれます。彼は日本の「霊の一人」であり、日本では、外から来たいかなる思想も、たとえば儒教も仏教も、この国で造り変えられる、と語ります。《我我の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。》P62


「日本精神分析 柄谷行人 (ISBN:4061598228




8 日本人の「和」と「他者回避」

私達の伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果たしえず、そのために新思想はつぎつぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。

・・・問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同居存在している点にある。多様な思想が内面的に交わるならばそこから文字通り雑種という新たな個性が生まれることが期待できるが、ただ、いちゃついていたり喧嘩したりしているのでは、せいぜい前述した不毛な論争が繰り返されるだけだろう。


「日本の思想」 丸山真男 (ISBN:400412039X) P63-64

なぜ、市場原理主義が貧しい形式的合理主義・マクドナルド的な再帰性に陥るのか・・・マクドナルド化における予測可能性とは、偶然性を排除することであり、計算可能性においては、質より量を重視する。

マクドナルド化は、形式的合理性の内部に留まり、実質的合理性を欠く事態を指す。ここから形式合理性の内部で反射的に振る舞うマクドナルド的主体」という概念が導き出される。哲学者の東浩紀は、この「主体のマクドナルド化動物化という概念で記述している。動物化とは、・・・通常の主体と構造は変わらず、形式的合理性の論理で行動するマクドナルド的主体」を指すものと考えられる。


ネオリベラリズム精神分析 樫村愛子 (ISBN:4334034152




9 日本人の国家依存

(日本人には)「人間」日本教「空気」「常識」、こうした概念、その意味内容は、中性的で、無性格で、どこにでもあるという点で共通している。空気のように毎日それを吸っているのに感じないという点である。

つまり、法律として国家で決められようと、その条文を理性的に読めばそのとおりであろうと、その理屈の外、法律の外に、日本教「人間」という観念を措定しており、それに抵触するような「非人間的」なこと、たとえば生きていけなくなる、あるいはそこまで行かなくても、人間らしく暮らせないようであれば、法は無視してもよいと考えられているのだ。

・・・日本では、神ではなく自分たち「人間」が最上の価値なのである。だから、その「人間」レベルにある「常識」は、「人間」が解釈して使いやすくすることに何の問題もない。・・・その「人間」自体も、観念として抽象化されてはおらず、常に生身の裸の人間という具体のレベルで捉えられ解釈され直すのであって、抽象化された言葉で書かれたりしてはならない。

というものの、そうした曖昧さと言い合いにもかかわらず、日本社会は壊滅することなく動いているし、むしろその安定さを指摘されることが多い。逆に言えば、「人間」「常識」「場の空気」を正しく認識するために、日本人は多くの時間を互いの考えのすり合わせのために費やしているということであり、かつ、結果としてはかなり程度まで、共通理解を獲得することに成功しているということである。これはまた、こうした共通解を会得しなければ、「日本人になれない」ということである。


「日本人論」再考」 船曳建夫 (ISBN:4062919907)  P248-251

明治維新からまもない一八七一年に新政府は・・・指導者階層を二つに分けて、そのどちらかといえば若いそれ故に学習能力をもつ部分をヨーロッパと米国とに送って西洋の制度を勉強させました。

高級官僚の派遣団は西洋諸国の技術の発達とその能率から深い印象を受けます。彼らはまたその能率のある統治組織を推し進める宗教および倫理の信条をもうらやましいものと感じました。この故に彼らは能率の高い技術文明を支える力として、日本の神道の伝統を模様替えして取り入れる流儀を採用しようと考えました。こうして天皇崇拝は、日本においてそして日本だけに栄えるものになる技術文明の殿堂の思想的土台として据えられることになりました。


「戦時期日本の精神史 1931‐1945年」 鶴見 俊輔 (ISBN:4006000502) P58-59

(明治政府の)地租改正と殖産興業という2大原畜政策に結びついてもっとも巨大な利益をあげたのは、いわゆる政商であった。彼らは政府との特権的結合を基礎に活動する前期的資本家(商品・高利貸)であり、産業的基盤を得ることによって財閥に転化していく。

かかるものとしての政商は、歴史学的には、絶対王政期の初期独占と基本的には共通した性格のものとして把握することができよう。イギリスやフランスの場合、初期独占はブルジョア革命を通じて打倒され、その結果の条件を得た小ブルジョアブルジョアジーの競争のなかからやがて独占段階を特徴づける近代的独占が生み出されてくる。しかし日本の場合はこれと異なり、初期独占としての政商がなしくずしに財閥に転化し、その財閥が早くから近代的独占としての側面を帯びるようになるのであって、初期独占と近代的独占の間に系譜的断絶がない点に特徴がある。


「日本経済史」 石井寛治 (ISBN:4130420399) P136

日清「戦後経営」を通じて新しい「国家資本」が次々と作られた。産業革命期を通じて国家資本の比重がかえって増大しつつ、産業資本の確立を帝国主義への転化を推し進めていったことは、日本資本主義の大きな特徴であった。

巨大な国家資本とくに官営企業を維持・発展させるためには国家財政からの絶えざる資金投入が必要であり、そのことが農民その他からの租税収奪の強化をもたらし、農村の半封建的構造を下からのブルジョア的発展を通じて打ち破る動きを摘み取り抑圧したということであろう。

軍需に代表される国家市場の形成が民間重工業の発展を促す動きもとくに日露戦争後にはみられているとはいえ、その利益にあずかったのは主として財閥系企業にすぎず・・・「国家資本と財閥資本との関連(癒着)の仕方そのものの中に、日本型ブルジョアジーの序列的・重層的構成を決定づける契機が内包されていた」


「日本経済史」 石井寛治 (ISBN:4130420399) P243-246

GHQの)財閥解体政策によって中枢の本社機能が解体され、特に持株会社は廃止された。・・・打撃を受けたのは、どちらかといえば「新興財閥」であって、「旧財閥」は分散はしたが復活の芽を多く残していた。傘下の大企業は残されたし、・・・財閥の中枢機構としての金融機関はまったくといいほど、手がつけられなかった。

しかも、冷戦体制が明らかになるにつけて、アメリ占領政策の転換が起こった。51年7月に持株会社整理委員会は解散したので、財閥解体業務は終焉した。この後、日本の財閥解体は急激に緩和されることになり、日本資本主義の発展には有利となった。したがって、戦後復興にこれら大企業がそのまま関与して、復活した。


「戦後日本経済の総点検」 金子貞吉 (ISBN10:4762006777) P11-12

現代日本人おいて)何かしてくれる国家について国家論は盛んであり、そこに臣民意識が現れるが、国家主権といった国際政治における主体の問題としての国家とそれを動かす国民の議論はない。国債、年金、道路といった、「生活環境のインフラ」としての国家に関心があるのだ。もちろんそうしたインフラは、国家そのものである。しかし、それを動かす国民はどのようなものかは心底の関心にはなっていない。

・・・「市民」というモデルが、いわゆる「市民活動」にたずさわる人というのであるならば、それは社会に広く行き渡り、現実化している。・・・しかし、それは西洋型の市民というのとは違うだろう。・・・日本の市民は「社会」ではなく、「世間」に生きている。日本の「市民」は庶民と同義にとらえられ、使われている。「市民」のカッコはなかなかとれない。


「日本人論」再考」 船曳建夫 (ISBN:4062919907)  P297-298




11 日本人の習慣の破れに対する強迫性

日本の良さが若者をダメにする レジス・アルノー
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php


・・・18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。

日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。

・・・日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。

だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。

文の構造、すなわち言葉の秩序が、具体的で特殊な状況に超越し、あらゆる場面に通用しようとする傾向は、中国語にくらべても、西洋語とくらべても、日本語の場合、著しく制限されている。そういう言葉の性質は、おそらく、その場で話が通じることに重点をおき、話の内容の普遍性(それは文の構造の普遍性と重なっている)に重点をおかない文化と、切り離しては考えることができないだろう。この文化のなかでは、二人の人間が言葉を用いずに解りあることが理想とされたのであり、主語の省略の極限は、遂に、文そのものの省略にまで到ったのである。またおそらく文の構造が特殊な状況に超越しない言語上の習慣は、価値が状況に超越しない文化的傾向とも、照応している。P19-20

本来日本的な世界観の構造を叙述することは、明示的な理論体系の特徴な列挙するほど容易ではない。神道の理論的な体系は、ト部兼倶から平田篤胤に到るまで、儒・仏・道、またキリスト教の概念を借用している。外来思想の影響をうけない神道には理論がない。そこで儒・仏の影響の少ないとされる記・紀・風土記から土着的と想像されるものの考え方を抽象するほかないだろう。P36-37


「日本文学史序説」 加藤周一 (ISBN:4480084878




12 日本人に甘えが氾濫する

甘えという語が日本語に特有なものでありながら、本来人間一般に共通な心理的現象を表わしているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近なものであることを示すとともに、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにできあがっていることを示している。いいかえれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概念となるばかりではなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念となるということができる。P45


「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295

義理も人情も甘えに深く根ざしている。要約すれば、人情を強調することは、甘えを肯定することであり、相手の甘えに対する感受性を奨励することである。これにひきかえ義理を強調することは、甘えによって結ばれた人間関係の維持を賞揚することである。甘えという言葉を依存性というより抽象的な言葉におきかえると、人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛るということもできる。義理人情が支配的なモラルであった日本の社会はかくして甘えの瀰漫(びまん)した世界であったといって過言ではないのである。

恩という概念と義理との関係を考察してみよう。「一宿一飯の恩」というように、恩というのはひとかけらの情け(人情)を受けることを意味するが、してみると恩は義理が成立する契機となるものである。いいかえれば恩という場合は恩恵をうけることによって一種の心理的負債が生ずることをいうのであり、義理という場合は恩を契機として相互扶助の関係が成立することをいうのである。P54-56


「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295




14 マクドナルド型規律訓練権力

人口が管理されようとしてたこのときほど、規律が重要なものとなり、価値あるものと見なされたこともありません。人口を管理するとは、単にさまざまな現象のなす集団的な集積物を管理するということでも、単に包括的結果の水準で管理するということでもない。人口を管理するということは、これを深く繊細に、細部にわたって管理するということでもあるのです。

したがって、統治を人口の統治として考えることは、主権の創設に関する問題をさらに先鋭化させるものであり、さまざまな規律を発展させる必要もさらに先鋭化されます。・・・というわけで、主権社会の代わりに規律社会が出てきたとか、規律社会の代わりに統治社会というようなものが登場したというふうに物事を理解してはならない。ここにあるのはじつは主権・規律・統治的管理という三角形なのです。主権的管理の標的は人口であり、主権的管理の本質的メカニズムは安全装置です。P131-132


「安全・領土・人口」 ミシェル・フーコー (ISBN:4480790470) 

私が自由主義的」という言葉を用いるのは、まず、ここに確立しつつある統治実践が、しかじかの自由を尊重したり、しかじかの自由を保障したりすることに甘んじるものではないからです。より根本的な言い方をするなら、この統治実践は自由を消費するものです。・・・自由を消費するということはつまり、自由を生産しなければならないことでもあります。自由を生産し、組織化しなければならないということ。したがって新たな統治術は、自由を運営するものとして自らを提示することになります。

・・・自由の生産と、自由を生産しながらもそれを制限し破壊するリスクをもつようなものとのあいだの、常に変化し常に動的な一つの関係が、そこに創設されるということです。・・・一方では自由を生産しなければなりません。しかし他方では、自由を生産するというこの身振りそのものが、制限、管理、強制、脅迫にもとづいた義務などが打ち立てられることを含意しているのです。

自由主義、それは絶えず自由を製造しようとするもの、自由を生み出し生産しようとするものなのです。そしてそこにはもちろん、自由の製造によって提起される制約の問題、コストの問題が伴うことになります。・・・自由製造のコストを計算するための原理は、・・・もちろん、安全(セキュリティ)と呼ばれるものです。・・・自由主義は、安全と自由の作用を運営することによって、個々人と集団とができる限り危険に晒されないようにしなければならないのです。

自由主義自由主義的統治術の第二の帰結、それはもちろん、管理、制約、強制の手続きの途方もない拡張であり、これが自由の代償と自由の歯止めを構成することになります。私が十分に強調しておいたとおり、あの大いなる規律の技術、すなわち、個々人の行動様式をその最も細かい細部に至るまで毎日規則正しく引き受けるものとしての規律の技術が、発達し、急成長し、社会を貫いて拡散するのは、自由の時代と正確に同時代のことでした。経済的自由、私が述べたような意味での自由主義と、規律の諸技術とは、ここでもやはり完全に結びついているということです。P77-82


「生政治の誕生」 ミシェル・フーコー (ISBN:4480790489