なぜ日本人は(政治的)市民として四流なのか

pikarrr2011-06-22

経済は一流、政治は三流、国民は四流


居座り菅が首相とは思えない醜態をさらしている。経済は一流、政治は三流と言われる日本を絵に書いたようだ。政治家を非難するが彼らを選んだのは国民である。いまも菅への国民の支持はそれほど低いわけではない。正確には菅支持というより、自民不支持なんだろう。自民に戻ってもいいのか、と民主党、そして国民を強迫しつづける。国民の政治能力が四流であることを知り尽くした菅の作戦勝ちだ。




秩序ある日本人(苦笑)


震災において冷静で秩序ある日本人の行動は世界から称賛されたが、いまになると笑うに笑えない。いまになって東電、政府から重要な情報がでてくる。あのとき、あの2ちゃんねるでさえ、危機を煽るようなことをいうな。政府の情報を信じようと言論圧がすごかった。秩序ある日本人はなんだったのか(苦笑)

日本人は近代化も(政治的)市民意識の芽生えなく、政府主導で行われた。いまも政府も含めて運命共同体意識が強く、西洋のような市民対国家のような対立意識は薄い。なんだかんだ同胞として悪いことはしないだろうと考えている。

それでもここまで政治活動に対して、従順で、無関心になったのは、「政治の季節」を抜けて、それほど古いことではないだろう。日本人はなんだかんだいって世界でも有数な豊かな国になった。「政治なんか誰がやってもいっしょだ」と開き直って済ませられるほどに。首相がだだっ子のようになっても、なんか自民党嫌いで済ませられるほどに。



底がない不安と空想的理想主義ヒステリー


貧しいと今日明日のことで手いっぱいである。だが豊かになるとそんな心配はなくなってくる。しかしその代わりいまを維持したいから、より先の心配をするようになる。人間は心配の生きものだ。そして先の心配には底がない。突き詰めすぎると抜けられなくなる。

空想的理想主義を語るヒステリー。これがいまの日本人の政治的な姿である。顕らかに贅沢病である。現にこのような傾向は都市部の中流以上に多い。反原発の理念は良いとして、弊害を被るのは下流層である。経済への影響は避けられない。電気代の高騰、雇用の閉塞など。貧しくとも原発のない世界とは、富を持つものがいえることだ。

ヒステリックで理想主義的政治行動は、民主党の選択という間違いを犯した。そしてまた脱原発で同じ間違いを犯そうとしている。そうして過去の遺産を食い潰しいくしかないのかもしれない。
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*1:画像元