なぜオタクは純真へ回帰しつづけるのか

pikarrr2011-07-26

オタクの起源は少女趣味


オタク文化の起源をたどれば、少女文化に行きつくだろう。オタク文化は少女趣味文化を基礎として育ってきた。少女趣味とは女性が思春期を迎えたときに起こる潔癖で過剰に純真を求める性向である。

女性は少女期に人間味が抜けた白馬の王子様へ感染する。それがアイドルであったり、物語のヒーローであったりする。オタクはこのように少女趣味として作られてきた文化を利用し、独自の純真を表現する文化を創り上げてきた。


オタクはなぜか思春期の少女に酷似した性向をもつ。しかし女性のそれが生物学的である。オタクが求める純真は少女であり、ロリコン系の無垢な女性である。オタクは神学的であるように見える。女性が純真に生理的に熱狂している発散しているのに対して、オタクは純真を実在させようと探求し続けているように見える。




不良少年の純情とオタクの純真


いままで男性が思春期の表現としたのが「不良少年」である。不良少年はジェームスディーンを象徴とする50年代のアメリカ文化の影響による。思春期の男性が「汚い大人」という社会への欲求不満を表現するスタイルとして確立した。日本でも「ヤンキー」という独自の文化として定着した。

オタクは、従来の不良少年のカウンターの意味もある。オタクがネガティブにとられるのは、健全には「不良少年」になるべきが、よりにもよって「乙女」になるとは、という意味がある。

人は思春期に力がみなぎり、現状への不満をもち、純真を求める傾向があることからすれば、不良少年とオタクは必ずしもそう遠くにない。「不良少年」もまた純真を求める表現の一つであった。




ネガティブに繋がるオタクコミュニティ


不良少年はもはや単に思春期の表現を越えてロックミュージックなどによって年代を超えたスタイルとして確立している。しかし一方では「不良少年」スタイルは風化しつつある。現代の洗練された消費社会の中で、ヤンキーは田舎臭くかっこいいものではなくなっている。このためにB−Boyなど、ロックからヒップホップというような音楽スタイルの変化をなぞりつつ、「不良少年」のスタイルは変化している。

オタクも形式化している。オタク文化は乙女のように純真を求める神学的運動を基礎としていたとして、もはやオタクすべてが原初的に必ずしも純真を求めているわけではないだろう。オタクのコミュニケーションにおいては純真を求める姿勢が挨拶のように形式化されている。

またオタクは現代の洗練された消費社会で、勢いを増している。その自虐的なネガティブささえも活用している。ヤンキーのようにベタに反抗するのはかっこ悪い。社会は複雑であり、簡単に反抗する対象はあいまいで、単純な展開は馬鹿っぽい。そして彼らの不満は自虐へと向かう。自虐をキーワードとして傷を舐めあうようにコミュニティの絆を強める。




それでもオタクは純真へ回帰する


たとえ一人一人がどうでもいいと言おうと、純真を核にしてオタクは回り続けている。純真の周りをまわり、また回る軌道によって初めて純真という中心が神学的に描かれる。

たとえばセカイ系と言われたように、オタクの純真を浮き彫りにしようとする乙女な心情は特徴的である。たえずそこに回帰し続ける。ボーカロイドの可能性は無限にあるのに初音ミクに回帰しつづける。ただのソフトのパッケージに描かれたイラストではないか。この神学的構造こそがスタイルには還元できない純真への渇望だろう。