なぜスマホ支持者は若い世代ではないのか 世代論の困難

pikarrr2011-09-20

なぜスマホ支持者は若者ではないのか


ボクが少し前からなんかおかしいなと思っていたことがある。なぜスマートフォン支持者は若者ではないのか。いまではスマホは広い世代に受け入れられているが、数年前にケータイをバッシングするスマホ支持者はIT好きの中年層が中心だった。

そこにいかなる違和感があるかというと、中国の辺境島国である日本人は、軍事的、文化的侵略は行われなかったが、文化的に閉塞してしまう傾向があった。このために日本人は自ら定期的に外国文化へカブレることで文化の閉塞を破ってきた。

そこで重要なことは、古い文化と外国カブレが、古い世代と若い世代の世代対立として転化されることで、文化的な新陳代謝の役割を果たしてきた。そして若い世代は自らの成長と友に単なるカブレではなく新たな日本文化として成長させていく。このように日本文化は年輪のように非連続的な文化構造をもつ。




文化的高齢化現象による若い世代の弱体化


ガラケースマホの対立が世代論へと展開できないことの理由のひとつはいまの若者層に比べて中年層に経済的余裕があるからだろう。人口推移からわかるように、物量的にも若い世代は少ない。また経済成長のサイクルから、日本経済の成長期を生きた中年層が既得権益として居座るっている。

ガラケースマホの対立が世代論でないことの「不健全さ」として、古い世代はスマホにカブレて愛(め)でることが中心で、日本文化としての新たな創造へ繋がっていないように感じる。

ようするに文化的高齢化現象によって若い世代が弱体化し、「健全」な文化的新陳代謝が生み出されないことにいまの日本人の閉塞を象徴しているように感じる。





なぜ若者は韓流カブレを憎しむのか


最近のネットウヨにも同様なものを感じる。韓流は新たな外国カブレだ。そしていま韓流ブームは広い世代に広がり、そこに世代論はない。それに対してむしろ韓流カブレを憎しむネットウヨの方に若い世代が多く、世代対立を感じる。

本来、若い世代の特権である外国カブレの優位性は崩れてしまった。その反動として若い世代は外国カブレを否定する側に閉塞の出口を見いだそうとしているのではないか。創造性を健全に発散できない現代の若い世代、そして日本人全体の閉塞を感じてしまう。

基本的に人は相対的存在だ。上の世代との対立により、下の世代の熱意は生まれ、上の世代は下の世代からの追い立てられることで退場の時期を感じる。そして文化は代謝し、環境への適応能力をつける。極端に言えば世代対立がなければ時代はとまってしまう。特に閉塞しやすい日本は世界競争の環境に適応できなくなる。
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