なぜ日本は短期で近代化できたのか 暴力としての西洋近代化 

pikarrr2011-10-03

なぜ近代化は中国ではなく欧州で起こったのか


なぜ近代化は中国ではなく欧州で起こったのか。それは世界史の最大の謎の一つといっていいだろう。西洋の近代化は、中世のカトリックにより抑圧されたギリシャ、ローマ時代の高度な文化が再発見される、すなわちルネサンスされることに始まると言われる。これはほぼ西洋中心主義の神話だろう。

近代化のほぼ手前まで中国では達していた。それはギリシャ、ローマのような原型ではなく、そのままである。貨幣が流通する広大な市場経済、分業した生産体制、印刷技術、石炭燃料、火薬兵器、羅針盤、遠洋航海など。単に技術の起源があったではなく、普通に使われていた。

ほぼすべては中国でととのえられていた。あとはただ着火するだけだった。では着火とはなにか。産業革命蒸気機関によって起こったというのは嘘で、蒸気機関が産業を引っ張るのはテイクオフ後、鉄道時代になってからだ。




近代と鉄のイメージ


たとえば近代化前の江戸時代の風景と、現代の風景は大きく異なっている。この違いは鉄による。木造、石、煉瓦による建築物から鉄筋な街並み、それこそが近代のイメージである。近代とはそれまでと決定的に異なる世界になった。エッフェル塔という鉄筋むき出しの高層物の意味はまさにここにある。

しかし逆に近代化は鉄のイメージを重視しすぎているのではないだろうか。鉄の風景は近代化を見せるが、近代化において鉄の風景はいわば仕上げでしかない。それ以前に様々な革命が起こっている。貨幣による市場経済、遠洋貿易、資本主義、農業の生産性向上、分業、(人海による)大量生産、科学革命など。そしてそのほとんどは中国で起こっている。

たとえば鉄の力は建築物だけではなく、機械化である。木材と石で機械化は困難だ。木材で機械を作れば消耗が激しすぎて使い物にならない。石材は加工が難しい。アダムスミスの国富論にあるように、機械化による分業が世界をかえた。

しかしいまもそうだが、大量生産は機械化のみによってできるわけではない。機械化には問題が多い。無理な機械化は設備投資費がかさみ、複雑すぎて故障が増え、メンテナンスに時間とコストがかかる。さらな仕様変更が困難となる。いまでも賃金を考慮すれば人海戦術は有効である。




鉄と暴力


もし鉄が近代化に重要であったとすれば暴力においてだろう。鉄の重要性はその始めから暴力と結びついていた。古代において中国でも日本でも優秀な鉄器が支配権を決めた。やがて中国において、火薬、そして鉄砲が発明される。

その後、鉄をより破壊力のある兵器として発展させたのは西洋であった。仮に欧州が市場経済を世界へ拡大させても、武力でイスラム、中国圏に勝てなければその後の発展はなかっただろう。日本においても、たった数隻の黒船が衝撃を与えたのも、大砲、蒸気機関などの暴力として鉄のイメージによってだろう。

結局、欧米にしろ、日本にしろ、近代化が行き着いた先が世界大戦であったのは、結局西洋の近代化の本質的な意味が暴力であったからだろう。




宋の影響と日本の貨幣経済


中国の唐の末期から、新たに宋が統一するまで100年近くで中国は大きく変わってしまった。唐の儒教を重視した貴族中心の律令制国家から、貴族による荘園が解体され貴族は衰退し、隣国から様々な民族が流入、小作農の自由民の増加、そして消費層の増加による商業、工業が発展し、貨幣経済が広がった。

唐の時代は、唐はアジアの王者として、日本までも軍事的に抑止力を持つような中心であった。日本人は海外大使が常駐し、絶えず唐の動向を日本に伝えた。

しかし宋の時代は、中国内そのものに強い中央集権体制はなく、アジアへの抑止力は働かない。その代わりに経済圏としてアジアに大きな影響を与えた。その特徴なのが宋銭である。日本においても、宋銭が広く流通した。

そして宋の貨幣経済への移行に同期するように、日本も貴族による中央集権から、武士を中心として地方分権時代へ移行し、開放されたように、商業、産業が発展し、貨幣経済が広がっていく。




日本が短期で近代化できた理由


唐とは違う形で、宋は唐以上に日本のあり方に大きな影響を与えた。唐は軍事的な脅威を背景に、倭国を日本国として立ち上がらせ、日本は中央集権を進めた、ヒエラルキーを作り上げた。宋は経済圏として、日本を取り込み、日本のヒエラルキーを解体して、日本の土着性を開放するとともに貨幣経済を浸透させて、いまの日本へと続く、日本文化を作り上げることに強い影響を与えた。

ここに明治維新以後、短期で近代化できた秘密がある。中国文化の影響によって、すでに日本人は近代化の準備はできていた。明治維新とは近代化というよりも、それは富国強制を中心とした西洋化であった。

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