なぜ日本人は職業を重視するのか 資本主義と日本人の職信仰

pikarrr2011-11-04

中国人の「一族」


人が血の継承という縦の繋がりを重視することを、安易に本能と言うのは自然主義の誤謬ですが、世界中で見られる傾向であるのは確かです。たとえば中国人は「一族」を重視とすると言われます。多民族であり、競争の激しい社会の中で、信用できる血縁の一族を重視するのはわかります。

さらには孔子以降、儒教では君主論として忠が重視されますが、儒教のより宗教的な部分で重視されるのは「孝」です。その基本はもっとも血の濃い親を一番尊び、以後血の濃さへ人びとを重視します。

しかし日本人にわからない部分ですが、中国人の「一族」とは血だけの関係ではなく、名字が同じであるなど「気」を重視するということです。この辺りにより実働的な中国人らしい柔軟性があるのかもしれません。




日本人の「イエ」


日本人も当然、血を重視します。しかし日本人の特徴として、閉鎖した島国からくる日本人としての運命共同体という横の繋がりが強く働きます。横の繋がりとは共同体にいかに貢献しているのかという「役割」です。

横の繋がりは縦の繋がりと相まって、共同体に貢献する一族の役割として、家督、家柄、家業などの「イエ」重視となります。日本人の一族は、単なる血の系譜だけでなく、古代から連続した擬似的単一民族として、社会的な役割が重視されます。より由緒正しい役割を担ってきた一族が優秀とされます。

日本人の縦の繋がりを象徴するのが天皇です。すべての日本人は先祖をたどれば天皇の子孫であるという構造になっています。しかしそれとともに天皇との関係は役割=職が重視されますたとえば技能職は遡れば天皇から与えられた使命であり、また農民などの庶民では農業という役割の基本となる土地は天皇からのあずかりものということになります。




なぜ武士政権は1000年近くも続いたのか


なぜ武闘集団である武士が1000年近くも支配層であり続けられたのでしょうか。ただ暴力で人びとをねじ伏せてきたというのは間違いです。平安末期から武装したのは武士に限らず、ほぼすべての人たちです。平安末期に中央集権がゆるみ、地方が豊かになり、誰もが刀など武器をもてるようになります。

誰もが集団を形成し武装します。たとえば信長が天下をとるために苦慮したのは、武装した仏教徒と農民です。また秀吉が刀狩を決行するのも庶民から武器を取り上げるためです。

武士の起源はいまでいう警察官です。このような暴力の拡散に対して、武闘に長けた下級貴族が地域の治安維持のために、重要視されていきます。貴族は生まれですが、武士とは職業(家業)です。武士は支配層になったあとも、天皇からの承認に権力の正当性を求めつづけた一つの理由は、最初に天皇による与えられた役割(職)であるためです。




武士というパフォーマンス


中国の儒教の影響の強い貴族は貴族(君主)主義から、庶民は下層、自らは生まれながらのエリートでした。しかし武士そのものに下層出身が多く、また庶民の指示によってその権力は維持されていました。

たとえば武士の大きな特徴の一つにすべてにおいてどこかパフォーマンス的である点が上げられます。その派手な衣装、主従への忠誠心の神話、腹切りなどの殉死など、その多くが物語になっています。義経と弁慶忠臣蔵など、物語になるからパフォーマンス的なのではなく、その始めからパフォーマンス的なのだと思います。

武士は治安維持部隊として生まれましたが、台頭したのは地方の大きな武装反乱を鎮圧することによってです。その成果は、実際の結果以上に民衆の熱狂的な支持によりました。そしてその先に支配者までの道があります。だからたえず周りの受けを意識してきました。

「武士道」は多くにおいてパフォーマンス的ですが、単に見せかけではなく、パフォーマンス自体が存在意義に繋がっているので、自らの死さえもパフォーマンスとなります。そこで重視されるのが、自らの命よりも家督、家柄、家業などの「イエ」です。

このように武士が1000年近くも支配層であり続けられたのは、民意指向と、支配を治安維持という「イエ」の役割(職)とし運営したためだと思われます。とても日本人的な存在です。




資本主義と役割(職)信仰


ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神ではプロテスタントの天職という概念と勤勉さが西洋に資本主義を根付かせた原動力になったと言われます。日本では明治以降、少しずつ「イエ」という考えは解体されていきますが、日本の近代化においてあれほど速やかな近代化という分業体制への移行を可能にした理由のひとつには、日本人の役割(職)信仰があったのではないでしょうか。

明治以降、天皇が重要な役割をしたことは象徴的です。単に国民国家ナショナリズム)という精神性の想起のためというよりも、実働的には天皇を頭に据えることで、日本人としての横の繋がり=社会への役割(職)を全うすることが明確化にされたのではないでしょうか。

そして戦後においても、役割(職)信仰は会社中心主義として働き、奇跡的な経済成長を遂げました。日本人は職業に強く自らのアイデンティティーを見いだす傾向があると言われます。よく欧米人に批判されるのが、日本人は自己紹介のときに、職業についてばかり話して、自分自身のことを言わないということです。




役割(職)信仰と経済停滞


日本では社会保障は終身雇用によって会社が担ってきました。さらには個人も会社が儲かることが重視されて政治活動も企業に任せてきました。欧米的な市民としての政治活動はほぽありませんでした。しかし最近は、それに限界がきました。会社が終身雇用のコストを維持できなくなり、職の非定常化が進んでいます。

ただこのような経済的な傾向以上に日本人は定職をもたない者が社会的に虐げられる傾向があるように思います。日本人としても役割を果たしていないという役割(職)信仰が働いているのではないでしょうか。

また日本企業が国際競争に勝てない要因として、間接人員の生産性の低さが上げられますが、いまも終身雇用が働き、既得権益の居座りによって、雇用の流動化が進まないためとも言われます。このような既得権益にも役割(職)信仰が働いているのでしょう。

韓国では一部の財閥系企業のみが躍進して、庶民の生活は良くならないと言われます。日本人の役割信仰が重たく閉塞して、中国人や朝鮮人「一族」を重視した企業がその強いトップダウンの身軽さから国際競争力をもって躍進しているのはおもしろい。

このような根深い慣習はそう簡単にかわるものではないように思います。再度、役割(職)信仰をうまく、生産性へ展開できる仕組みを考える必要があるように思います。

江戸時代の日本の「家」は、「家業」の観念と切り離せないものであった。武士の家ならば、知行として世襲的に与えられた石高に応じ、それぞれの定められた軍事・行政的な職務を果たすこと。農民の家なら、代々受け継がれてきた田畑を守り、農耕に精を出し、年貢を納めること。商人の家ならば、それぞれののれんを守り、店を潰さずに繁盛させてゆくこと。さらに、将軍家も天皇家もそれぞれ、軍事・行政を通じ、あるいは祭祀・学問を通じ、日本国全体の安全と秩序を守るといった。家としての職務を果たすべきものと考えられていたのである。「家」にはそれぞれの家名があり、それと結びついた家産と家業(家職)があった。

そうした「家」の集合として社会全体がイメージされていたのであり、社会のなかで割り当てられたその家の役割を正しく果たしてゆくには「家」のそもそもの存在意義があったといえよう。・・・「家」というものは、個人を越えた団体としてあり、同じ「家」に属する人びとの共同意識は、血縁関係そのものよりも、「家」の目的のために共同で働くことによって支えられていた。

それに対して中国の場合は、そうした「家業」という観念が、ほとんど存在しなかった。・・・中国では、「家」という概念の範囲は必ずしも一定していない。「同居共財」すなわち、同じ家に住み家を共にする集団を指すことも多いが、より広く宗族を指すことも普通である。しかしいずれにせよ、「家」は特定の生業を行う単位とは考えられていなかった。P473-474


世界の歴史 (12) 明清と李朝の時代 岸本美緒 ISBN:4122050545  


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