なぜオタクに童貞が多いのか

pikarrr2011-11-28

草食! 童貞36・2%彼女いない61・4%
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20111126-868754.html


国立社会保障・人口問題研究所が25日、通称、独身者調査と呼ばれる「出生動向基本調査」を発表・・・性経験に関しては、20〜24歳では「経験なし」が男女ともに4割以上。35〜39歳でも男性が27・7%、女性は25・5%だった。[2011年11月26日9時1分 紙面から]

梅雨どき、長雨にうんざりすると若衆たちは、気がねのいらぬ仲間の家の内庭や納屋へ集まって縄ないなどの手作業をした。君に忠、親に孝などというバカはいないから、娘、嫁、嬶(かかあ)、後家どもの味が良いの、悪いのという品評会になる。

・・・まあムラのイロゴトは筒抜けで、まことに公明正大である。こうしたムラの空気がわかっていないと、夜這いだの、夜遊びだの、性の解放だのといっても、なかなか理解できず、嘘だろうとか、大げさなこというてとかと疑うことにもなるだろう。教育勅語を地で行くようなムラはどこにもあるはずがなく、そんなものを守っておればムラの活力は失われ、共同体そのものが自然死するほかなかった。

いくら田舎でも大正時代となると女郎買いにも行けるし、郡役所のある田舎町でも芸妓の十人ぐらいはいる。いわゆる「駅前」にはどこでも仲居、酌婦のいる旅館、料理屋ができた。遊ぶのならいくらでも遊べるやないかといっても、タダで遊ばせてくれるところはない。昔ながらの夜這い、夜遊び、性民俗は、男は魔羅、女は女陰さえあれば、お互いに堪能するほど遊べる。それが夜這いが近代社会にも残った、根本的要因である。P13-14


夜這いの民俗学[文庫] 赤松啓介 ISBN:4480088644




日本人は性にあけっぴろげだった


古来より日本人は性に開放的であった。正確には開放的というよりもあけっぴろげだったということだろう。世界的にも土着的未開文化においては、性に開放的であることが多いが、日本人は儒教、仏教、キリスト教などの強い倫理に影響を受けて文明化してきた。それでも江戸時代まで農民などの下層では性の開放は土着性として生き続けた。

明治以降の近代化の中で、このような性の開放性は禁止され、一夫一婦制、処女、童貞などの結婚までの純潔主義、そして仲人による結婚などのシステムが導入された。

一つには、キリスト教的な「純潔」の倫理が導入されたためだ。それとともに、教育勅語の根底にあるのは、江戸時代の武士の倫理であった儒教が練り直されていたこれらに共通するのは、富国強兵である。フーコーが指摘するように、資本主義の生産性重視のために国民として人びとが規律訓練された。




戦後の性の解放


戦後、高度成長の中で、純愛は自由恋愛という西洋的な性の解放が行われる。これもまた資本主義に関係する。経済成長の重点が生産から消費へ移る。効率よく安価に作れば作るほど売れた生産重視から、いかに生産したものを売るかの消費重視へのシフトが起こる。だから勤勉な労働者は自由な消費者として重視されていく。

恋愛は解放されたというよりも、商品化された。このような性の解放は新たな文化として西洋から流れてきて、遅れて日本に到来する。

もともと西洋に比べて、日本の方がずっと性に解放的だった。しかし解放の仕方が違う。西洋的な解放にはその根底にキリスト教的な男女の一対一の恋愛がある。その倫理を保持しつつの解放である。それに対して、日本人の性の解放は西洋の倫理とはまったく関係なく、雑多で開けっぴろげであり、かわらず許されるものではない。フーコーでいえば、規律訓練権力から生権力への展開である。




虚像の純愛世界に閉じ込められてしまったオタク


オタクの「萌え」はこのような時代背景の中で生まれてきた。オタクはとても真面目な人たちだ。彼らは純潔主義を真面目に信じている。しかし日本において純潔主義は歴史が浅く、文化的な背景がない。

日本には西洋のような純潔主義をまじめに信じる人びとを救済するような、男女の出会いを救済する性のシステムにとぼしい。お見合いが一時期それに相当したのだろうが、自由恋愛文化を通過し、より高度な純愛=運命的な出会いを求める人びとにとっては、お見合いは不十分である。

彼らに童貞が多いのはまさに象徴的である。前世代がカブレた純潔主義といううわべを信じてしまったが、現実とのギャップに行き場を失っている。また純潔主義の彼らは風俗にいけない。虚像の純愛世界に閉じ込められてしまっているのだ。そして現実のギャップから「萌え」を見いだす。




優秀な商品としての萌え


萌えが成立するには、まず西洋的な純潔主義が必要である。正しい男女の恋愛としてのリア充がある。そのそもリア充が純潔主義の虚像であるが、そこにリア充があり、そこから排除された人びとの救済として幼児性愛的な「萌え」が生まれる。オタクは逆には強い純潔主義を隠し持つが故に萌える。

現代における純潔主義はキリスト教ではなく、資本主義経済と関係する。すなわち商品として、純潔があり、またそこから派生して様々な性の商品が生まれ、経済を活性化し続ける。萌えもその一つである。そしてオタクの萌えへの終わらない回帰を見ると、とても優秀な商品であることがわかる。現に消費が閉塞する日本の中で、萌えはめずらしく減退しない商品である。




日本人はグローバルな田舎者


萌えの幼児性愛は、西洋人が驚き、眉をしかめたように、西洋では決して認められない性のタブーに触れている。しかし日本で許容されているのは、日本人が土着的にもつ性への寛容さがある。そのような性への寛容さが萌えを楽しむことを許容してきた。

日本人は外来文化にとてもかぶれやすい。しかしその反面、日本人は強い倫理を嫌う傾向がある。だからみずからに良いように薄めて調整して取り入れる。仏教伝来から、その強さを薄めて、現世利益のような実用的なものとして薄めて受け入れた。

征服された経験がなく外来文化に寛容であるが、また単一の価値をゆるく保持し続ける日本人には強い倫理を受け入れる動機付けがないのだろう。

経済大国として発展した日本だが、女性の社会進出の低さ、性表現の反乱、幼児性愛思考など、特に性的なものにおいて、ローカルである。日本人は実は性への開放性などのような土着的な文化を深く残している。たとえば最近言われるグローバルへの対応が苦手であるのも、そもそも日本人が強い倫理が苦手な田舎者であるためだろう。




ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの書いた『日欧文化比較』という小さい書物があります。・・・フロイスは十六世紀の中ごろ、一五六二年に日本に来て、一五九七年に世を去るまで、三十五年間、日本で生活しました。

その第二章に「女性とその風貌、風習について」という一節があります。フロイス自身もびっくりしたのでしょうが、われわれ自身もこれを読むと、ちょっとドキっとするようなことが、そこにいくつかあげられております。

たとえば、「日本の女性は、処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ結婚もできる。」・・・さらに「日本では、堕胎はきわめてふつうのことで、二十回も堕した女性がある。日本の女性は、赤子を育てていくことができないと、みんなのどの上に足を乗せて殺してしまう。」「日本では比丘尼の僧院はほとんど淫売婦の町になる。」


日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫) 網野善彦 ISBN:4480089292

ざっと紹介したように、夜這いは、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みがあったが、このような重要な民族資料を、日本の民族学者のほとんどは無視し続けてきた。・・・そのために、戦前はもとより戦後もその影響が根強く残り、一夫一婦制、処女・童貞を崇拝する純潔・清純主義というみせかけの理念は日本人に振り回されることになる。

婚姻の調査についても、彼らがわかっていないのは、明治から大正、昭和初期にかけて生きた女性の大半は、マチなら幕末、ムラなら村落共同体の思考、感覚でしか生きていけなかったということである。教育勅語によってそれほど汚染されていないということだ。尋常小もロクにでていないような人間に、家父長制とは一夫一婦制といった思考方法がなじまないのは当たり前で、夜這いについても淫風陋習などと感じておらず、お互いに性の解放があって当然だと考えている。

村外婚が普及し仲人業者が一般に活動するようになったのは大正に入ってからのことで、三々九度の盃を上げてという小笠原式の婚姻が普及するようになったのはさらに後のことであった。P33-35


夜這いの民俗学[文庫] 赤松啓介 ISBN:4480088644


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