なぜ資本主義にリベラル(社会的自由主義)は必要なのか

pikarrr2011-12-04

市場経済にリベラル(社会的自由主義思想)は必ずしも必要ない


「資本主義」とはなにか、というのは難しいですね。資本を活用した市場経済は、古くからあります。そもそも資本がない市場経済は可能なのか。貨幣交換が活発に行われれば、商品を入手するタイミングと貨幣を払うタイミングにズレが生じます。商人が大量の商品を仕入れる場で、代金を即決することはできないし、効率的ではない。それを補うために資本は必要で、また資本によって金儲けをする金貸しが発展します。

市場経済とは、広い地域である程度貨幣交換が浸透し物価に連動が見られる「市場」が形成された状態だと言えます。その起源は明確ではありませんが、現代に続くところでは、中国で宋時代に発達し、その後元(モンゴル)の世界帝国の影響で、中世西洋にまでおよぶ世界的な経済圏ができたと言われます。そのときに技術流入とともに西洋の市場経済の発展がはじまります。

日本もその世界経済圏の一部で、宋銭が大量に流入した室町時代に発展します。その後、江戸時代に治安が良くなり人口増大とともに、市場経済が急激に広範囲に、高度に発達しました。当然、資本も発展します。江戸は世界的にも有数な経済都市だったと言われます。

ようするに、市場経済の発展と、社会的な自由主義思想(リベラル)は必ずしも関係しないということです。




日本の農本主義貨幣経済


日本の農業を基本とする農本主義は、飛鳥時代に唐の中央集権的な律令制を取り入れたときからです。島国日本にはもともと様々な産業、交易があり、農本主義は必ずしもそぐわなかったと言われます。平安末期から武士・地方の台頭とともに、中央集権が緩み、再び多様な産業が発展し、市場経済が広がり始めます。

江戸時代では儒教が取り入れられ、農本主義が重視されますが、江戸時代には逆に農本主義市場経済を活性化した面があります。武士は農民からの年貢を税収の基本として、商業に対する管理は緩やかでした。

江戸時代の市場経済にはすでにインフレ、デフレなど市場経済の変動があり、幕府はそれに対応する経済政策を進めていますが、農本主義経済に比べて、複雑な市場経済を管理コントロールすることは困難だった。

また武士は、儒教的な倫理もあり、商業を卑しい行為として距離をおいていましたので、経済面では、商人層の方がずっと力がありました。また商人だけではなく、農民層にまで商業は広がり、市場経済が発達しました。たとえばいまでも地方には町の名産品がありますが、これらは農民が作り売り副収入をえていました。

武士はまず自らが儲けることはありませんので、特に下層武士は質素な生活をしていました。江戸が商人層を中心に、庶民の文化活動が活発だったのは、商業による豊かさ故でしょう。




「資本主義」にリベラル(社会的自由主義思想)は必要か


資本主義を、資本制を行っている経済だけで定義するのは正しくないでしょう。古くからある資本制度を、新ためて「資本主義」と名付けた理由は、西洋の社会主義者にあります。社会主義者には、封建制→資本主義→社会主義というような経済進歩史観があります。社会主義の良さを示すために、その時代の制度を「資本主義」と名付けて分析したわけです。

社会主義者が批判する資本制の問題点は、資本が生みだす利潤を資本家が独り占めにして、労働者は安い時間給で働かせて、分配しないことです。さらにそこにある背景は、その時代、人びとの多くが自給自足の農業から賃金労働者へとかわっていました。賃金労働者は農業という生産手段を失い、資本家に賃金をもらうことで生活する不安定な状態にあり、悪い労働条件のもと搾取されていると考えたわけです。

資本主義とは、単に資本制度が行われているだけではなく、多くの人びとが賃金労働者であること。そして賃金労働者による生活が可能であるためには、産業の分業体制が発達し、生産性が飛躍的に向上して、なんでも「商品」がお金で買えるまでに市場経済が発展しているような状態だと思います。そこまで達成したのは、産業革命後の西洋だったということでしょう。

市場経済が社会の下部構造となるまで発展するには、人びとが自由に市場経済活動を行えるような積極的な制度としての経済的な自由主義が必要です。そしてそれを支える一面としてリベラル=社会的な自由主義思想が不可欠なのかもしれません。政治的に保証された個人の自由と主権によって、彼らは思う存分、自由な経済活動が行える。そのときに資本主義経済はもっとも成長する。

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