なぜ現代日本女性は魅力的なのか 恋愛と性欲の誕生

pikarrr2011-12-15


現在であれば、躊躇なく「性」「性欲」という表現を用いるところだが、鴎外が外国語を用いているのは、肉体に特化された男女関係や、精神性を伴わない肉体的欲求を表現するために適当な表現が、それまでの日本語には存在しなかったということを示している。逆に言えば、男女関係を、”肉体と精神”という二分法でとらえる発想が、「好色」「色事」という表現には希薄であったということである。

・・・鴎外の『ヰタ・セクスアリス』は、明治に青春をすごした青年(金井)が「色事」「性欲」のはざまに生き、「色事」の世界から決別して「性欲」の世界へ移ってゆく様を示す大変興味深いケース・スタディである。遊女と初めて関係をもった金井君は、「僕の抗低力を麻痺させたのは、慥に性欲であった」と、遊女との交際を肉体関係に限定して理解し、「あれが性欲の満足であったか。恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎないのであるか。馬鹿々々しいと思う」と、その経験を「性欲」の問題と切って捨てている。ここにはもはや、「色事」の世界にあったスピリチュアルな「遊び」の要素は無く、ただ、むき出しの欲望があるのみである。「色事」ではなく、「性欲」の対象となった遊女たちは、もはや「娼婦」であり、芸能者ではありえない。P51-53


「愛」「性」の文化史 (角川選書) 佐伯 順子 ISBN:4047034312




日本女性の魅力


途上国にいくと、女性が「素」でびっくりすることがある。素とは化粧やファッションで美しく飾っていないということだけでなく、愛想がない。彼女たちに接すると日本の女性がいかに女性的で愛想がいいかわかる。ニコニコあいそを振りまいているなどではなく、小さな仕草一つしても女性的なのだ。途上国では女性というようりも「人間」なのである。

特に最近、総美人化とも言われる。街の女性たちがそうだから、メディアに取り上げられ演出され反乱するマスメディア情報をあわせると、現代の日常の性化はとんでもない。

よく現代の都会は毎日が祭りのようだ、という比喩があるが、祭りと性が切り離せないように、毎日が性的な祭りである。これはセックス産業の反乱の話ではなく、ボク達の日常のことだ。だから男たちはたえず性的な誘惑にかられてしまう。




一般女性はおっさんで遊女が女性だった


江戸時代、田舎なら高度成長期頃まで、日本でも少し前まで女性はおっさんのようだった。化粧はしないし、ファッションなどなく、体を美しく保つ努力もなく、乳たれ、寸胴で、愛想無い。男性とともに肉体的な労働をになって、きれごとを言っている場合ではない。

おっさんでない「女性」にあうためには遊廓へいかなければならない。遊廓は単に性交渉をする場所ではなく、「女性」にあうことを楽しむ場であった。遊女は売春婦ではなく「女性」だった。

現代の男なら女性の裸を見ることに必死だし、遊女に性交を求めるのだろう。しかし「おっさん女子」が普通の時代、美しい女性を見ることはそれだけで価値があった。またおっさん女子は裸を見られることも気にしないし、性交にも積極的であるから、女性の裸そのものや性交そのもの希少性は低かった。逆に美しく着飾っている遊女の芸を楽しみ、擬似的な恋愛をすることに価値があった。




江戸時代の結婚、恋愛、性交の分離


江戸時代の身分制は仕事を固定し、人の流動性を抑えた。農民は貧しくても経済的には安定していた。そして結婚は個人的な契約ではなく、家同士の契約であり、家の経済性が重視された。

だから結婚と恋愛や性関係は切り離されていた。結婚は家同士の関係だから個人の自由恋愛は抑制される。そして性関係は家の経済圏から切り離されている。かとって西洋文化が入る前なのでキリスト教的な結婚相手に処女を求めるようなこともないので、夜這いの風習などに見られるように、性交はある程度大人になると参加できる村の娯楽であった。




女性の商品化と恋愛の誕生


地方のヨバイの風習が廃れたのは、若者が都会で就職し始めてからだ。村の昔から顔見知りの中で性経験も共同体の行事の一部に組み込まれていたのとは違い、都会では流動性が高く、性関係以前に人間関係に注意が必要である。

また明治以後に結婚が家中心から個人同士の契約関係となったとき、特に経済的弱者である女性にとって、結婚前の「恋愛」期間は、見ず知らずの他人が将来に渡り、頼ることができる男子であるか、見極めるための重要な確認期間である。そして女性はよりよい男性を求めて美しさを磨くようになる。

美しい女性にあるメタファーは「商品」である。美しく装飾されそしてまだ誰も使っていない新品であることが商品の価値を高める。ここに恋愛が現れる。さらには裸は隠されエロティックになり、性交も禁止され「性欲」が誕生する。




性のエンターテイメント化


現代はもはや純潔主義は古くさいものとなり、自由恋愛、自由な性交が認められている。経済的には女性の社会進出によって、以前に比べて、女性だから経済的弱者であると言えなくなっている。また男性雇用の不安定から結婚することで経済的に安定することがなくなり、結婚制度そのものも崩れてきている。

現代の日本の女性が美しいのは、もはや単に結婚相手を見つけるためだけではなく、すぐれた街のエンターテナーとして裸を美しく隠すことでエロティックを演出し、男子の性欲をエレクトさせることを楽しむ。そして毎日が祭りのように性が氾濫し、エンターテイメントとして消費を盛り上げる。




オタクの性は神聖な二次元へ回避する


しかし性が氾濫するのに童貞が増えているのは不思議な現象だ。性の氾濫によって、彼らは本来女性の商品化によって生まれた恋愛、そして性欲を、少女のごとく繊細な感性でより崇高な次元まで引き上げている。

たとえばオタクたちは風俗にいけばできる性交を認めず、純愛の先の「神聖なもの」として崇拝し「処女」を守り通す。もはや純愛の対象は3次元ですらなく、性消費文化を洗練させている。しかしそこには女性が先鋭化させた性のエンターテイメント化から取り残されたための回避の結果であることも否めない。



そもそも日本人は、現代で言うパンツをはく習慣はなかった。ましてブラジャーをや、である。男性は褌、女性は腰巻である。ただ女性の腰巻きだと、場合によってその中が外部の視線にさらされてしまう。

一九十五年代に新聞記者から下着デザイナーに転身して人気を博した鴨居洋子氏の言葉である。関東大震災が動機になつて、日本ではじめてキモノの下にズロースをはくことが提唱されたときも人はなかなか素直にそれをはかなかつたものです。ズロースが腰巻きなどと違って、マタや尻やモモにぴつたりとまとわりつくのが、異質的な刺激であり、まごついてしまったのです。彼女たちはそれが局部を保護するものであることが分かつていながら、感覚的には、局部を冒涜するような気がして恥ずかしがつたいいます。」

・・・日本人にとってパンツが一般的になるのは一九三〇年代後半から四〇年代の初めのことになる。・・・さらに注目したいのは、同じく井上氏が指摘する次の言葉である。「彼女たちは、陰部の露出がはずかしくて、パンツをはきだしたのではない。はきだしたその後に、より強い羞恥心をいだきだした。陰部をかくすパンツが、それまでにはないはずかしさを、学習させたのだ。」

そして、「性器を見られた時に感じるだろう羞恥心も、前よりふくらみだす」。先の鴨居洋子は「局部を冒涜するような気がして恥ずかしがつた」ため、世の女性はパンツをはくのをためらったと述べた。しかしパンツの着用という一線を越えることで、局部への冒涜が実際となる。こうなると冒涜されている自分に対して「それまでにはないはずかしさ」を感じるようになるのも無理はない。パンツをはくということは、外部の視線を遮断する。意識的か否かは別にして、見ることを禁止する。P206-214


裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書) 中野明  ISBN:4106036614


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