なぜ日本人は笑顔を失ったのか 渡辺京二「逝きし世の面影」

pikarrr2011-12-31

伝統としての日本の若い女性の魅力


過去の風俗を記述することの問題は、いかに客観的な事実に基づくかである。渡辺京二「逝きし世の面影」ISBN:4582765521)の成功は、幕末、明治に来日したかずかずの外国人の証言を積み上げることで、当時の日本人像を浮き彫りにしたところにある。

「逝きし世の面影」によると、幕末に来日した異人さんたちも、日本の若い女性の魅力にまいったらしい。若さもあるが、天真爛漫さ、従順さとかわいらしい仕草など。しかし結婚すると家に入り、社会的に規律に組み込まれて天真爛漫さ失われる。それまでに奇跡的な魅力を生む。

このような日本の若い女性の魅力は現代にも残っているのではなだろうか。日本のアイドル文化も、そもそも日本の若い女性がもつ魅力を、商品化しものだろう。アイドルは商品化されすぎると色褪せるためにたえず素人さを残す。社会に組み込まれない自由な、天真爛漫さがもとめられる。




日本人の家業中心主義と封建制の自由


「逝きし世の面影」によると、江戸時代は言われていることと違い、庶民はかなり自由だったらしい。異人さんによると西洋の近代的自由な市民より自由だといっている。その理由の一つが、武士の世界と庶民の世界が分離していたことだ。武士は厳しい規律のもとにあったが、庶民はそれとは別に地域的な共同体として自立した自治を営んでいた。庶民を拘束したのは年貢の徴収による経済的な面であったが、実は土地面積に根ざした年貢はいい加減で、農民たちが努力した生産性向上分まで考慮されず、また農作物以外の副収入もあり、それなりに豊かだった。

武士は比較的良心的な統治者だった。武士の倫理として私欲に走ることを抑制し、また庶民の生活を守ることを重視した。それは武士がそもそも職業だったことと関係する。生まれながら武士であり封建的な支配者層だが、また政治家、役人、警察官などのように職業的な面が強かった。将軍だろうが一面で職業であった。

この職業というのは日本人を考える上で重要なキーワードだ。武士に限らず、農民、町民と日本人は職業を通して、自己存在を示してきた。世襲が普通なので職とは「家業」であり、家業中心主義な民族であるといえる。

庶民が強かった理由も身分制が職に根ざしていたことによる。みなが社会的な貢献として家業に誇りをもって重視していた。その意味では身分に関係なく職において平等であったといえる。西洋の下層のように上流に対しての絶対な従順さはない。農民も家業に誇りを持って新たに改善に取り組む。だから職に関して武士も口出ししない。

家業中心主義は年齢階層型社会をうむ。大人になると仕事に入り、技術を研いていく。先に言った日本若い女性の輝きは大人になる前(嫁に行く前)の自由から来ている。




職業中心主義はいまも残る


現代の日本の若者にもその傾向が残っている。就職するまでは自由が許されるが、社会人になったとたんに、別人になる。そして女性は現代でも結婚まで自由で、天真爛漫さの魅力を放つ。

現代の女性の社会進出が遅いのも単に女性差別だけでなく職中心の年齢階層型によるだろう。家業中心では主婦は家を守る重要な仕事として認められていた。それが現代にも残って、西洋のように専業主婦は社会貢献しない人とは見なされない。

現代、学校教育をおえて正社員につかない人間は日本人として認められない。無職に対して、経済的以上に、社会的に風当たりが強い。逆に無職側もまっとうな職につくことにこだわりすぎて職につかない。日本人も税金という金の奉仕だけでなく、実務的な奉仕義務を作ればよい。日本人はなんにしろ職を通して存在意義を見いだす。




近代化と自由の抑圧


日本人が明治以降に近代化を速やかに行えたのも、家業中心主義によるものか。西洋人のプロテスタンティズムの職業倫理のように、日本人にも職の倫理があったと言えるのかもしれない。

しかし「逝きし世の面影」によると、日本人の家業中心主義は職人的で、近代産業としては非生産的だったらしい。時間労働という観念がなく、自分たちのペースで仕事をこなしていく。だから明治以降には近代的に規律訓練が必要とされただろう。

職を時間労働へかえることは日本人には一番の変化だっただろう。江戸時代の職は尊厳、そして自立した労働手段としての自由を支えていた。それが管理されるわけだ。このことから逆に江戸時代よりも明治の近代化によって、自由の抑圧や貧困が問題になった。農民一揆が増えたのは明治初期だし、過酷な労働や、貧困が問題になったのも同様だ。




日本人の外来文化カブれ


それでも日本人はうまくやったし、ムラからでることは一つの憧れだった。この当たりには外来文化に対する日本人の柔軟性がある。

日本人の特徴は、島国という閉鎖域で育まれたハイコンテクストにある。しかしそれとともに世界帝国の中国の周辺という緊張感が維持されてきた。たえず中国情勢をサーチしてその最先端文化を取り入れてきた。朝鮮をはじめ周辺国との競争状態にあった。このように外来文化に敏感で吸収力が早いのは弥生時代からの伝統である。

外来文化に敏感であるもう一つの理由は、外来文化が新たな空気を入れ、とかく閉塞しがちなハイコンテクスト社会を破る重要な要素だったからだろう。「逝きし世の面影」でも初めてみる西洋人にみんな興味津々で無防備でひとなつっこくよってくる日本人の好奇心の旺盛さが紹介されている。実際に侵略されたことがないのんきさと、新しもの好きの貪欲さがそこにある。




現代日本人のせき立てと陰鬱


それとともに「逝きし世の面影」でもかかれているのが、西洋人がややオリエンタリズムに日本人を称賛することに対してネガティブであることだ。日本人は褒められることを嫌い、古い自分を否定する。

このような日本人の自己否定は今もかわらない。少し前にも西洋人ジャーナリストが、これだけの経済大国で成功したのに日本人はみずからに対してネガティブであると指摘していた。また震災後の日本人規律ある行動は世界に称賛されたが、日本人は照れではなく本当に不快に感じていた。

定期的に外来文化を吸収し断続的に変化し続ける日本人は、冷静に過去の自分をほめられることを嫌う。日本人は振り返った一世代前を醜くいと感じている。おそらくそこに安易に外来文化へのカブれる姿があるからだろう。それは実はいまの新たな外来文化にカブれる自分の姿であり、それを冷静に分析されたくない。ただ前を見ていたのだ。江戸時代の人々の異人からの高い評価を抑圧してきたのもそのためだろう。

「逝きし世の面影」は、いまは失われた日本文明を浮き彫りにする試みだか、それらの一部、もしかすると本質的な部分は、明治以降の近代化という激変の中、今も生き残っている。しかし西洋人たちが称賛した江戸時代の人々がみんな笑顔で明るく、世界一の幸福な人々である面は大きく変わってしまった。これだけ成功したのにいまもみな陰欝な生活を生きている。

それは、過去を否定し新たな外来文化をもとめて変化し続ける明治以降の「せき立て」が継続しているのかもしれない。




童貞たちの俗な純潔主義


「童貞」は近代化の中で新たに作られた価値で、西洋キリスト教の性の抑圧、性の美化から来ている。童貞は西洋的な美しい恋愛を夢見る先にある一つの神話だ。しかし西洋でも初体験にここまでの神聖さはないだろう。

「逝きし世の面影」にも書かれているが、日本では西洋キリスト教のように性を規定する文化がなくて、あけっぴろげでだった。女性も結婚するまでは性関係は緩かった。その開放的だったことが、逆に明治以降の西洋的な建前的な性の抑圧によって強く日本人を縛った。

しかしその反面雑誌やオタク文化などあいも変わらず性表現に開放的で無頓着だ。純潔主義の童貞オタクたちが性を氾濫させるという不思議。結局、西洋的な性の抑圧文化のうち、純潔主義が自己愛としてのみ消化され、本来の宗教的な面は無視されている。

本来、キリスト教的な神聖なクリスマスを、性的な恋愛の神聖さへ安易に変換しえる日本人の外来文化にカブれる軽さがある。

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