なぜ日本人に思想はないのか

pikarrr2012-02-09

日本人の思想は慣習に埋め込まれている


西洋は客観主義の文化である。客観主義とは自らの考えを客観的に分析する。これは現前化させて他者に見せるためである。思想とは見せることを基本とする。多民族社会では「見せる」ことがとても重要なのだろう。見せるためには当然、記述する方法が有効である。このために西洋思想史は、記述が多くのこり、それに後続者が言及することで継承されて連続性をもつ。

それに対して、日本人は慣習主義の文化である。日本人の思想は慣習の中に埋め込まれている。慣習は基本的に行為のレベルにあり、言葉にできるレベルにない。行為のレベルとは、自転車に乗れるようになったからといってどのように乗っているのかを言語記述することはできない。

擬似単一民族社会の日本人の思想は慣習に埋め込まれており、ともに生きる中で伝わっていく。だから改めて思想を言葉にして現前化させる必要はなかった。日本人の思想にも当然、連続性はあるのだろうが、記述として残っておらず、過去にたどることは困難である。




日本人はみずからを世界で一番普通の人々と思っている!


しかし近代化によって、西洋と対峙したときに、当然のように「俺たちの思想は〜だ!日本人の思想をなんだ」と迫られる。特に明治に入り近代を勉強するために日本人エリートが多く留学したが言い返せなかったことは大きな屈辱であったようだ。このために生まれたのが、「武士道」であり、神道である。これらは西洋では日本人の象徴のように言われるが、日本人にしっくり来ない。西洋人に日本人を説明するために作られた言語思想だからだ。

現代も日本人は慣習に埋め込まれ言語化できない思想を伝承して生きている。面白いのは、日本人自身もそのことに気がついていないことだ。日本人の慣習思想は日本人だけの島国で生きていく場合にはあまりに当たり前すぎて、日本人に独特であることに気がつかない。世界でもっとも変わった人々である日本人が「自分達は世界でもっとも普通の人々である」と考えている事実は、西洋人が知れば驚愕するだろう。

西洋人はいまも、不思議の国の日本人の秘密を知りたくて思想を見せろと問い続けている。そのために集団主義「恥の文化」「禅的」などが考え出されている。また日本人自身は日本人の世代世代にカブレた西洋思想のつぎはぎで、「日本人は普通の人でとくに思想などない」と考えている。




日本人の思想は職の慣習に埋め込まれている


日本人の思想は生活慣習全般に埋め込まれている。しかし人類史からみるとむしろそのほうが普通である。西洋人のように思想を現前に示す方がかわっている。ただ近代化にとって、思想を現前化する客観主義は必要不可欠だっただろう。

日本人の思想は生活慣習全般に埋め込まれているが、その中でも特に職の慣習を重視することに特徴をもつ。日本人にとって職はキリスト教のような原罪ではない。だから日本人はいかなる上流層でも職をもつ。また世界には、宗教、血族、一族、文化共同体などさまざまな強い絆があるが、日本人にとっては、家業(家督)をつぐ者は血族より重視されたように、血よりも職のつながりが重視されてきた。

日本人にとって職は生活の糧をえる、または生きがいを見つける以上の意味をもつ。職の集団に帰属することで儀礼を学び、社会的な位置をえる。日本人の多くは農民であったが彼らは武士の支配者層に多くの税を取られて搾取され、飢えに苦しんでいたという考えは、西洋の奴隷制を日本の歴史に当てはめた近代の誤謬である。

日本では農民は農業を営む職業として尊重された。自治権をもち、決まった税(多くにおいて古い土地測量に基づいていい加減だった)さえはらえば改善した分は自らのものになった。このために日本の農民の識字率は高く、農業書を読み、改良を試み、飛躍的に生産性が向上させた。

現代の日本人がかつての農民から受け継いでいるのは、決して勤勉さではなく、職に対する誇りと自主性である。近代的な勤勉さは時間効率に関係するが、前近代には時間的な効率の概念はなかった。仕事は時間に追われることなくマイペースで行われた。

また彼らは単に自らの利益をあげるために働いたのではない。言わば、農民という職業だから働いたのである。それは役割であり、慣習である。このような職の姿勢が日本人の思想である。




日本人はみなサムライという職を担っている


たとえば世界戦争で日本人が「玉砕」覚悟で戦ったのはなぜか。天皇中心の神道を信仰していたからか。近代戦争の経済性を知らずに武士時代のように負ければ家族もろとも皆殺しにされると考えたためか?

軍人とは職であった。そして日本人にとって職は国家への奉仕としての「役」と結び付いてきた。日本人にとって職は、単に労働でなく、国家への奉仕である。またその意味で、天皇はそのはじめから縦の身分制の頂点である以上に、日本人の役割=職の体系の横のつながりの中心に位置する存在であった。

すなわちその時代の軍人という職業、さらには総日本人の軍人化では、死ぬことも仕事だったのだ。死ぬことも仕事であるのは、(葉隠れ的)武士道から来ているだろう。明治以降、日本人は誰もが一部で武士という職業を担うように訓練された。早急に日本人が富国強兵して、西洋人に追いつくために、職の慣習思想を活用することがもっとも効果的な方法だったのだろう。

いや凄惨な戦争を考えればあまりに効果的でありすぎたというべきか。まただからこそ近代化において戦争前後を問わずに、国家・財閥主導、また護送船団・大企業中心の日本型資本主義システムは職の慣習思想の活用によって奇跡を起こすことができた。

このような思想は現代でも継続されている。海外で活躍する日本人のサラリーマンやスポーツ選手がサムライのメタファーで語られるのはその名残である。彼らはいまも日本人の思想を担っている。
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