なぜオセロ中島問題は盛り上がるのか

pikarrr2012-03-04

日本人の一枚岩の硬い価値基準


なぜ日本人は他国人ばかりを分析して自らを分析しないのか。そして分析したときはネガティブなのか。後ろ向きというか、日本人にはこれだ!という思想がないんだな。だから自己主張することができない。「〜と思うだろう!」と海外から強く言われると、曖昧にしか返答できない。

かといって価値が混沌かというと、そうでなくて、逆に他国民以上に一枚岩の硬い価値基準をもっている。それは戒律や思想のように言語で保持されていない。日本人自らは一枚岩の硬い価値基準をもっていうことさえ、気がついていないし、それがなにかもわからない。

ではどうやってその基準は保持されているのか。慣習として身体伝授の形で脈々と維持される。この情報化時代にそんな時代遅れな?と思うかい。そもそも言語って身体伝授で伝わっていくんだから、別にそんなおかしなことでもないんだよ。日本人はいまも辺境島国に閉じこもって生きてるから、様々な価値観を身体伝授できるんだろうね。




オセロ中島問題の盛り上がり


最近、ワイドショーでおもしろいのがオセロ中島問題だよね。それが盛り上がる理由は、一つは宗教問題だからだよね。日本人は宗教問題が大好き。なぜなら宗教嫌悪というのは、日本人のわかりやすい共通価値観だから。ワイドショーも気兼ねなく、叩ける。最近は、ワイドショーも倫理とか、プライベート問題とかうるさい。芸能スキャンダルとかもそこまで報道する必要があるのかと叩かれる。

オセロ中島問題も犯罪ではなくてプライベートな問題だけど、宗教に関係するから、徹底的に叩いても、日本人はみんな宗教嫌悪を共感しているから問題にならない。海外ではなかなかそうはいかないだろう。基本的に多様な宗教があって変な戒律もたくさんあるから、法にでも触れない限り、他の宗教を叩くことは許されないだろうね。だからこれだけあからさまな宗教嫌悪はかなり独特な一枚岩の硬い価値基準なんだけど日本人は気がつかない。




日本を中心に世界は回っている


日本人の他国民以上の一枚岩の硬い価値基準は、言語化されないからわかりにくいというのもあるが、もう一つは、日本人はそれを言語化、すなわち客観視されるのを嫌う。それは自分達が世界の中心にいると思っているから。自分達が世界でもっとも標準的な価値をもっていて、外人はみんな変、と思いたいから。

いや結構、日本人は外国人の日本人評価を気にするよ、と思うかもしれない。確かにそうなんだけど、海外からの日本人批判の受け取り方には特徴があって、批判されたことを、世代論に変える。外人「日本人は〜がダメだ!」、日本人「ほらみろ、古い世代が批判されている。おれら新しい世代の時代だ」

だからむしろ賞められることを嫌う。震災のときに日本人の助け合いが世界から称賛されたけど、あれもいやだった。日本人/外国人の差異をつくり、客観視されるのがいやだから。日本人は外国人と相対化された「日本人」という特殊な人々であると思われることを嫌う。辺境島国の住人は、日本が中心に世界が回っていると漠然と考えている。あたかも「日本人」という一枚岩など存在しないように振るまう。