禁欲主義の系譜(作成中) 

pikarrr2012-03-01

1 環境と欲望
2 西洋禁欲主義の起源
3 武士道と禁欲主義
4 禅と禁欲主義
5 西洋の台頭
6 資本主義と禁欲

禁欲主義とは、感性的欲望を悪の源泉、またそれ自体が悪であると考え、それを出来る限り抑圧し徳に進み魂の平安を得ようとする道徳上宗教上の立場。(Wiki)




1 環境と欲望


1) 環境と切り離された人間

禁欲主義とはなんだろうか。欲望を禁ずるとは、簡単には自己コントロール術である。そこにあるのはまず心身二元論である。欲望のままの身体と、それをコントロールする精神。すなわち身体と切り離した精神が重視される。

禁欲主義以前は、心身一元論。心と体を切り離すような考えはない。ベタにいえば、動物のようにとなるが、重要なことは、心身一元論では、環境−心身という、環境に埋め込まれているということ。主にあるのは環境であって、人は環境に従属して生きるということである。環境に従属することで欲望は拘束されざるをえない。

だから心身二元論では、切り離されるのは心と体というよりも、環境と人であり、環境と切り離された身体を心がコントロールするということだ。環境と人が切り離されるとは、環境に埋め込まれなくても、生きていける。それは豊かさ、富の蓄積。富が蓄積されていれば、環境が悪くなっても、蓄積された富で生きることができる。環境の変化に左右されること減る。

富を蓄積するとは、農業の生産量が増えるということだが、単に蔵に貯蔵するということではなく、余剰は商業を発達させて、市場が発達する。貨幣は蓄積に優れた商品である。腐らずに容易に貯めることができ、またいつでも必要なものになんでも交換できる。要するに、禁欲主義と貨幣の普及は深い関係にある。


2) 精神の理想像とは

社会が富むと、富をめぐり闘争が生まれ、格差が生まれる。そして裕福層は欲望を増幅させる。そして逆に欲望こそが悪であると、禁欲主義が生まれる。あえて欲望を抑えることは欲望をコントロールする精神を生み、心身二元論であり、理性的な精神がめざされる。

では精神の目指す在り方とはなにか。正しい精神、善、理性とはなにかが研究される。キリスト教は他者へ愛。仏教では悟り。儒教は君子としての礼。そしてギリシアではピタゴラスの数学的美をへて、プラトンイデアという社会的な役割。西洋近代化ではプラトンイデア論は重要な役割を示す。それはキリスト教プロテスタンティズムも経由して、社会倫理の基盤となる。

枢軸時代・・・自己の限界を自覚的に把握すると同時に、人間は自己の最高目標を定め・・・人間いかに生きるべきか・・・この世界史の軸は、はっきりいって紀元前500年頃、紀元前800年から紀元前200年の間に発生した精神的過程にあると思われる。

この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し、墨子荘子列子や、そのほか無数の人々 が思索した、―インドではウパニシャッドが発生し、仏陀が生まれ、懐疑論唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまであらゆる哲学的可能性が、シナと同様展開されたのである、―イランではゾロアスターが善と悪との闘争という挑戦的な世界像を説いた、―パレスチナでは、エリアからイザヤおよびエレミアをへて、第二イザヤに至る預言者たちが出現した、―ギリシャでは、ホメロスや哲学者たち、―パルメニデス、へラクレイトス、プラトンー更に悲劇詩人たちや、トゥキュディデスおよびアルキメデスが現われた。以上の名前によって輪郭が漠然とながら示される一切が、シナ、インドおよび西洋において、どれもが相互に知り合うことなく、ほぼ同時的にこの数世紀のうちに発生したのである。


歴史の起原と目標(1949) カール・ヤスパース




2 西洋禁欲主義の起源


1) 算術から数学への飛躍の狂気

ピタゴラスはエジプトで学んだと言われているので、天文学的な周期や、建築・設計的な算術から学んだわけだが、純粋に抽象的な数学、幾何学を探究したところがそれまでと違う。そしてその抽象的な数学の探究の動機が、学問的な探求心などではなく、それがこの世界に埋め込まれた神の(真実の)言葉と考えたからだろう。ピタゴラスはどこまでも神秘主義者だったわけで。

重要なことは、数学調和的な想起説がいかに非論理的な、神秘主義的な狂った考えか、ということ。エジプトなどに、天文学的な周期に根ざした調和ではなく、より抽象的な数学として発見した法則性をなんの根拠もなく、世界の真実として、神秘主義的に考えた異常性がピタゴラスの特徴ということ。現代では当たり前の数学の抽象性が、このような狂った考えからしか生まれなかった。具体的な算術から抽象性への飛躍は、普通の考えでは生まれない。

ピタゴラスの想起が、抽象的な数学的調和とすれば、プラトンの想起のイデアはさらにソクラテスの倫理取り込んで、善へとつなげる。イデアとはそれぞれの正しい役割。イデア的世界ではみなが正しい役割=善に配置されるということで達成される。そのためには刺激を抑えた道徳教育によって、人々に正しい役割を想起させる。ピタゴラス機械的で、こんな道徳的なことを言っていない。

キリスト教ではピタゴラスプラトン系の神学は東ローマで継承されて、西ローマはアリストテレスの現実主義へ傾く。理論より信仰が超える。ご託並べるよりも祈れが、西ローマ=ローマ教皇側で継承されるので、ある意味で、のほほんと進む。それが近代になると、再び、プラトンピタゴラス的な数学原理主義が台頭する。ルネサンス人文主義とかいいながら、ガリレオとか、世界を数学法則で記述しようとする。

「まず、われわれがいましがた、完全な哲学者となるために必要な資格として要求したような諸条件を、全部残らずそなえた自然的素質というものは、人間たちのなかにきわめてまれに、少数しか生まれてこないということ、この点は、すべての人がわれわれに同意するだろうと思う。

では、そのまれにしか生まれない自然的素質を堕落させるものが、どれほど数多くあり、どれほど大きなものかを考えてみたまえ・・・恵まれた好条件と一般に言われているもののすべてが、堕落と逸脱の原因となる。すなわち、美しさ、富、身体の強さ、一国において勢力をもつ親族関係、およびすべてこれに類するものがそうだ。

植物にせよ動物にせよ・・・そのすべての種子、あるいはそれから生じるものについて、われわれは次のような事実を知っている。すなわち、もしそうした種子が、それぞれに適した養分や、季節や、場所などに恵まれなかった場合には、それが力強いすぐれた種子であればあるほど、それだけいっそう多く、自分が本来必要とするものに不足することになる。なぜならば、悪いものは、善くないものに対してよりもむしろ善いものに対してこそ、つよい反対関係にあるからだ

では、・・・われわれは魂についてもこれを同じように、最善の自然的素質に恵まれた魂は、悪い教育を受けると、特別に悪くなると言うべきではないだろうか?・・・こうして、われわれが規定したような哲学の自然的素質は、思うに、もし適切な教育を与えられるならば、成長して必ずやあらゆる徳性に達するであろうが、逆に、もしふさわしからぬところに蒔かれ植えられて、育てられるならば、たまたま運よく神の助けでもないかぎり、およそまったく正反対の結果にならざるをえないだろう。」P40-42


国家(下) プラトン (岩波文庫) 


2) 現代のピタゴラス的精神

ボクがピタゴラスプラトンの流れを重視するのは、その思想がいまも基本的にかわらないから。ピタゴラスが発見(発明)したのは、それまでエジプトなどで建築、天文術などで発達した算術を、抽象化して数学。このような抽象化を行ったのは、世界が数学でできているという神秘主義的な核心。

この興奮はいまもかわらない。この世界が数学によって記述できること、そして数学を使うことで、通常の人間の認識を超えた。この世界の原理に到達できること。超弦理論によると、この世界は10次元らしいが、数学による認識があってこそ到達できる世界。

これは物理だけの話しではなく、確実に人間社会にも適用されている。近代の基礎を作った啓蒙主義は、ようするにニュートン力学に触発されて、人間社会の統一理論を探す運動。それはそうそうに失敗するが、続いたのが、第二次科学革命と言われる統計力学。たとえば人間は全体として使えば、もののバラツキを示す。正規分布に従うという核心。いまの経済学はこの流れから生まれてきたし、そして近代の政治とは経済を中心にしている。功利主義、リベラルとか、リバタリアンとか基本は富の分配議論。現代の社会の根底には、ピタゴラスからかわらずに、世界には数学的法則性があるという神秘主義的な核心によって運営されている。


3) 数学的調和を人間に適用する欲求

「抽象的な数学的調和」というのは、具体的な算術との対比になっている。天文学や建築設計のために、外部の対象との関係を記述するのが算術である。これは、バビロニアにしろ、エジプトにしろ、古くからある。それに対して、数学、幾何学は、具体的に外部の対象とどのような関係があるかを超えて、数の法則の体系化をめざす。すなわち数の法則性そのものが目的化する。これを抽象化という。

現代でも同じだが、数学は抽象的な学問である。具体的な世界との関係を超えて、独自の世界で試行されて発展している。それにもかかわらず、物理学などで適用されると、現実的な現象を記述できる。これが不思議なところである。ピタゴラスは現代にも続く、神の言葉としての数学を初めて見つけた人だろう。信仰しすぎて神秘主義といわれる。

では数学は本当に、神の言葉なのか、といえば、現代では、数学は発見ではなく、発明であることがわかっている。数学は新たな定義を追加して、進歩する。それはこの世界の真理とは関係がない。にもかかわらず、いまでも物理学など、世界を記述できることが不思議なのである。

このような成功があるから失敗がある。すなわち数学を信仰し、拡張しすぎる。その失敗の多くが、物理現象での成功を人間科学へと拡張しすぎることである。プラトンはすでにその間違いを起こしている。人間の倫理にも数学的な明確さがあるという核心がある。先にあげたように、ニュートン力学からの啓蒙主義、そして統計学からの優生学社会進化論など。これらはプラトンから現代まで全体主義的に現れる。数学的な調和を人間に適用したいという主知主義的な欲求は現代もまったくかわらず継承されてつづけている。

A・N・ホワイトヘッドの有名な表現によれば、西洋哲学史は、要するにプラトン哲学に対する一連の脚注にすぎない。宗教思想の歴史においても、プラトンは同様に重要であり、古代後期、とくに四世紀以降のキリスト教神学、イスマーイール派の霊知、イタリアのルネサンスなどはすべて、程度の差はあるもののプラトン派の宗教的なヴィジョンの痕跡をとどめている。

プラトンが、ときにはイデアの世界を現実の世界のモデルとして語り、またときには、感覚的現実の世界がイデアの世界に「参与する」ことを認めたりしたことは問題にならない。しかし、この永遠のモデルとなる世界がいったん正しいものと仮定されれば、人間がいつ、どうやってイデアを知ることができるのかが、説明されなければならない。プラトンが、魂の運命に関するオルフェウス派的」ピタゴラス派的理論を踏襲したのは、この問題を解決するためにほかならない。・・・みずからの体系にあわせて、魂の輪廻と「想起」アナムネーシス)の理論をとり入れた。

プラトンは、知ることは、要するに思い出すことに帰着すると考えている。地上での生と次の地上での生とのあいだに、魂はイデア観照し、純粋で完全な知識にあずかる。しかし、転生の過程で魂はレテの泉から水を飲み、イデアを直接観想することによって得た知識を忘却する。しかしながら、この知識は転生した人間に潜在化しており、哲学の働きによってよびもどすことができる。P265-266


世界宗教史3 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085637


4) ニーチェの反禁欲主義

道徳の系譜のように、ニーチェキリスト教的禁欲主義の不純さを負け犬根性と非難した。それに自立した強さとして「超人」を対立させる。これがニーチェの基本の構図で、悲劇の誕生では、アポロン的とディオニソス的を対立させる。静的、禁欲的、道徳的な社会秩序と、動的、欲望的、力の思想の対立。当然、プラトンの禁欲主義も前者になるわけだが、おもしろいのが、プラトンもまたピタゴラスも、ディオニソス系のオルフェウス教」の影響を受けている。ニーチェが非難する禁欲主義ももとをただせば、ニーチェが信仰するディオニソスから来ている。禁欲的と欲望的は同じ根を持つ。

正しい対立は、素朴さと禁欲(反禁欲)だろう。この素朴さとは、簡単に言えば、土地に根ざした農耕生活にもとづく。豊作を祈る土着的で素朴な信仰。宗教と言っても日々の生活慣習や豊作の儀式(呪術)と密接に結びつき、個の精神性を求めるような強い禁欲さはない。強く一人の神を信仰するのではなく多神教で、他の宗教にも寛容。これと対立するのが、強い1神教。ユダヤ教キリスト教、仏教、(宗教ではないが)儒教。土地、農耕、生活慣習と切り離され、明確化された人間主義的で、禁欲的な教義、強い1神教。他宗教への不寛容。

これの強い宗教がどのように生まれてきたのかは、いろいろ説はあるが、土地から切り離されて、社会の流動性が上がったことによるだろう。土地から切り離されて、社会の流動性が上がるのが、民族対立、民族征服だろう。ユダヤ教に強い戒律を生まれたのは、バビロン捕囚のあとと言われる。戦争に負け、捕虜としてつれられ、またバラバラになり、どこにいてもつながっているために強い1神教、強い戒律が求められた。キリスト教は、ユダヤ人を超えて、都市層の流動民を取り込むことで広まっていった。

このような強い禁欲主義の一方で、ディオニソス的な強い欲望の信仰も求められる。もともとディオニソス的な信仰は、日本でいうハレのように、土着的で素朴な信仰の中で、豊作を祝う祭りとして生まれたのだろうが、それが禁欲主義的宗教と同じように、土地から切り離され、比較的裕福な都市層の中で一つの強い宗教になったのではないだろうか。このような意味で、禁欲と欲望的の対立を超えたところに、素朴な信仰と強い宗教の対立がある。そしてニーチェの批判は、強い宗教の中からでていない。

強い宗教(禁欲 VS 反禁欲) VS 素朴な信仰

禁欲主義的理想を除いては、人間は、人間という動物は、これまで何の意義も有しなかった。地上における人間の存在には何の目標もなかった。「人間は一体何のためのものか」−−−これは答えのない問いであった。人間および地上には意志というものが欠如していた。あらゆる大きな人間的運命の背後には、それよりも更に大きな「徒らに!」が折り返し文句のように響いていた。何物かが欠如していたということ。人間の周囲に一つの巨大な空隙があったということ、このことをこそ禁欲主義的理想は意味するのだ。−−−人間は自己自身を弁明し、説明し、肯定するすべを知らなかった。彼は自己の意義の問題に苦しんだ。彼はそれ以外にも苦しんだ。彼は要するに一つの病気の動物であった。

しかし苦しみそのものが彼の問題であったのではない。むしろ「何のために苦しむか」という問いの叫びに対する答えの欠如していたことが彼の問題であった。人はそれを欲する、かれはそれを求めさえもする。もしその意義が、苦しみの目的が彼に示されるとすればだ。これまで人類の上に蔓延していた呪詛は苦しみの無意義ということであって、苦しみそのものではなかった。−−−そして禁欲主義的理想は人類に一つの意義を提供したのだ!それがこれまで唯一の意義であった。何らかの意義を有するということは、全く意義を有しないということよりもましである。わけても禁欲主義的理想は、確かにこれまでに存在したかぎりでの優れた《間に合わせ》であった。苦しみはその中で解釈を得た。

巨大な空所は充たされたかに見えた。門扉はすべて自殺者的ニヒリズムの前に閉ざされた。この解釈は−−−それには疑いを容れない−−−新しい苦しみを持ち来たした。それは一層深い、一層内的な、一層有毒な、一層生命に喰い入るような苦しみであった。この解釈はあらゆる苦しみを負い目の見地のもとに持ち来たったのだ・・・・・しかしそれにも拘らず−−−人間はそのように救われた。彼は一つの意義をもった。それ以来、彼はもはや風の中の木の葉ではなくなった。無意義の「没意義」のお手玉ではなくなった。彼は今や何物かを欲することができた。−−−彼が差し当たり何に向かって、何のために、何によって欲したか、というようなことはどうでもよい。意志そのものが救われたのだ。

禁欲主義的理想によってその方向を与えられたあの意志全体が、もともと何を表現しているかを包み隠すことは絶対に不可能である。人間的なものに対する、それにもまして動物的なものに対する、それにもまして物質的なものに対するこの憎悪、官能に対する、理性そのものに対するこの嫌忌、幸福と美に対するこの恐怖、あらゆる外見や変化や生成や死滅や願望や欲求そのものから脱がれようとするこの欲求−−−それらはすべて、これを敢えて概念的に一括するならば、無への意志であり、生に対する嫌忌であり、生の最も根本的な前提に対する反逆である。しかし、やはりそれが一つの意志であるということに変わりはないのだ!・・・・・・そこで、私が最後にもう一度繰り返すならばこうである。−−−人間は欲しないよりは、まだしも無を欲するものである、と・・・・・P207-208


道徳の系譜 ニーチェ (岩波文庫




3 武士道と禁欲主義


1) 武士道という禁欲主義

日本人の禁欲主義の代表である武士道は儒教と仏教の強い影響を受けているが、「武士道とは死ぬことなり」と、独特な倫理観を持つ。武士道という禁欲主義は日本の独特な文化から来ている。武士道の基本は、世界や社会や組織よりも、卑近な君主への忠義から来ていると言われる。この人と決めた人に対して自らの死を超えて忠義を尽くす。このような考えは、小さな武闘集団に起こりやすい。誰が敵か、見方が混沌とした闘争環境では、卑近な見方との信頼関係だけが頼りである。

武士が台頭した時代が応仁の乱のあとの日本列島の治安が不安定で混沌とした時代であったこと。また武士たちが地方の農民層から生まれたことなどから、卑近な信頼関係が重視される環境にあったと考えられる。

しかしまたこのような武士道が実在したか、という問題がある。武士道として体系化して考えられるのは、戦乱も終わった江戸時代から明治である。いわば、もはや武闘集団としての武士が終わったときに、「武士道とは」と理想像が語られた面が強い。そもそも武士という地方の田舎者がほとんどの中で、そして下克上など裏切りが基本だった時代に、武士道を実践し生きたか疑問である。


2) パフォーマンスと家督

ボクは武士の倫理を考える場合に重要なのは、パフォーマンスと家督だと考えている。武士は上級貴族護衛や地方統治補佐の下級貴族職にはじまる。職は代々引き継がれ、家督が重視された。また職級をあげることが家督代々の念願となるが、そのために重要であるのが、パフォーマンスである。地方で討伐を成功させて凱旋し、庶民に支持されることで、貴族へ影響をあたえることができる。また地方統治には名声は欠かせない。名声に兵力となる支持者が集まる。武士が卑近な関係を重視するのも、組織だった徴兵より、人望で人を集めたからだ。

これには日本人に独特の統治構造がある。日本人は、オリエント、西洋のように、民族闘争によって、支配民族の入れ替えがない。また中国のように、同じ民族内でも支配者=皇帝の入れ替えがない。天皇の系譜が名目上の支配者であり続ける。天皇は、日本人の擬似的単一民族としての漠然として共同体意識に支えられているので、それを無視して、武力だけで新たな皇帝になることはできないし、日本民族を征服する多民族がいない。だからいくら強い武力を持っても、支配者になれない。

このような固定した支配構造で、武力に長けただけの下級武士が台頭するには、民衆の人気と、民衆から志願によるさらなる軍事力の増強による影響力の増加が重要になる。またこのような影響力の行使は、1代でなるものではなく、家督の継承の中で徐々に上げていくことになる。葉隠れの「武士道とは死ぬことなり」とは、一つにはパフォーマンスである。卑近な主君との関係を重視するために、法を超えた忠誠を示す。さらには、家督の名を上げるために、自らの死さえ道具とする。というような武士道の表れであるが、また実働的には、理想像であった、すべてがそうであったわけではない。


3) 武士道は禁欲主義か

世界的な禁欲主義の流れからみると、武士道は、そもそもの禁欲主義の目的である、欲望をコントロールするための在り方とは少し違う。武士道には心身二元論はない。むしろ心身一元論の先鋭だ。そもそも、日本人には禁欲主義の精神は馴染みがない。禁欲主義は、環境から切り離されることで暴走する欲望をコントロールする術であるといったが、日本人は環境と密接に生きてきた。

日本人の擬似的単一民族意識は、身分制度があっても、富の吸い上げや、下級への搾取は西洋に比べて緩やかだった。天皇を頂点とした縦の身分制度とともに、天皇を中心とした横の職(役割)の体系があった。誰もがみな、日本人のために役に立つことが慣習であり、役にたつ上では、互いの職を尊重する。農民は従属的に農業労働をさせられているのではなく、農業の職に誇りをもち、自ら地方自治し、自分達のペースで仕事をして、農業技術改善を進め、改善分は自らの収入となった。

ようするに、西洋的な禁欲主義と、武士道の禁欲主義には大きな差がある。しかし日本が近代化するときに、西洋的な禁欲主義の導入とともに、武士道が活用される。その後の日本のたどった経緯を考えると、なかなか危険な融合である。日本人総武士化は、富国として、みごとに近代化の勤勉な労働力としては役だったが、強兵において小さな戦士を生みだしていった。




4 禅と禁欲主義


1) 「我無し故に我有り」

再度言えば、西洋的な禁欲主義は、豊かになり環境と切り離されて、欲望が肥大する上流、あるいは貧富が広がり、搾取される苦しむ下流のための、環境とは切り離された、精神の理想像、救いを求めるものだ。正しい精神、善、理性とはなにか。キリスト教は1神そして他者への愛。来世での救い。仏教では修行による悟り。来世での救い。儒教は君子としての礼。そしてギリシアではプラトンイデアという社会的な役割。儒教ギリシアは貴族主義的で、救いはない。儒教ギリシアは原理論として、キリスト教ギリシア哲学、仏教と儒教は融合し、体系化されていく。

禅宗というのは中国で流行った仏教の一種で、日本では武士層に支持された。その核心を、デカルトの「我思う故に我有り」と対照させれば、「我無し故に我有り」。「我思う故に我有り」は、心身二元論の極限で、理性的な精神を基本に据える。まさに西洋哲学の精神至上主義。ニーチェはこのような精神至上主義に対して、身体を力の思想として復活させる。それに対して禅の「我無し故に我有り」とはなんだろうか。

「我無し故に我有り」。これは論理として破綻している。禅問答で有名なように、禅では論理は否定されレトリックが重視される。仏教の基本はこの世界は苦しみの世界である。だから来世で救われるように、神に祈る。しかし禅宗は来世にかけるようにも今の自分を作り直す。言語で語られる正しいことを既成の我である。既成の我は欲へ囚われているから苦しいだから新たな我を作る。それが禅的な悟りである。ではどのように新たな我を作るのか。欲を無くし、自然を感じ、何げない日常に喜びを感じて生きる。たとえば日本では、禅宗から茶道、華道などを生みだした。有名なワビ、サビであるが、これは簡単にいえば、何げない日常に、そこただある環境に、「わびしい」もの、「さびれた」ものを楽しみ、美を感じる。


2) 禅の精神は日本人の心か

このような禅の精神は、日本人の心だろうか。確かに禅宗は日本で武士道、茶道などに取り入れられて発展し、いまでは世界で残っているのは、日本だけである。他の大陸系のアジア人にはわかりにくいのかもしれない。日本人が禅をここまで発展させたのは、そもそも日本人は素朴な土着的自然信仰を生きてきたためとも言われる。日本人の自然信仰では、神は自然のあちこちにいる。禅宗の何げない日常、自然の対象を重視する方法にあった。

しかしまた禅宗は禁欲主義としては、とても強いものである。「我思う故に我有り」のような、理性的な精神を重視するだけではなく、「我無し故に我有り」は、精神そのものは否定する。逆に日本人は禁欲主義がなかったように、このような極端な禁欲主義を受け入れることができたともいえる。だから禅宗を重視したのは武士層である。新たな支配者層なので、新たな知的文化を求めたこともあるが、この強い禁欲主義が、死を身近に生きる武士にはよかったのかもしれない。

それでも結局のところ、禅宗そのものは江戸時代までは、茶道などのように一部の知識層だけに流行ったものだろう。日本人に広く広まったとすれば、明治以降に禁欲主義として、武士道が取り入れられたなかだろう。それでも、日本人は禅的であるかはあやしい。ただ日本人は禅宗以前に、あるがままの環境を敬い、楽しむ素朴な特性は持っていた。それが西洋人にはいまも禅的と理解されるのかもしれない。




5 西洋の台頭


1) 西洋が見いだした金と軍事力のスパイラル

そもそもギリシアにしろ、ローマにしろ、オリエント、エジプトの端として栄えわけで、現代の西洋が成功したのはほんとについ最近、産業革命前ぐらい。それまでは中国圏、イスラム圏の方が発展していた。なぜ西洋が台頭したのかは軍事力の増強に成功したから。火薬、銃、高炉は中国の発明だか、大砲や銃を活用した規律訓練された軍隊は西洋で発展していた。兵器が強力になると、それまでのマンパワーと軍事力の相関関係から、兵器を手に入れる金と軍事力の相関が高くなる。

軍事力を誇示した海外貿易により金儲けと、儲かった金でさらに軍事力を増強する。金と軍事力のスパイラルを最初に見いだしたのが、西洋であったということ。たとえば東アジア周辺ではおこぼれにあずかるような取引しかできなかったのに、アヘンを売る非道を正当化するまでになるのは、なんといっても短期間で身につけた強力な軍事力のためでしょ。アヘン戦争で負けるまで中国にしろ、たぶんイギリス自身も、ここまでの差ができているとは思わなかった実は軍事力による優位は、戦争の時代を越えた現代でも変わらず継承されている。

そもそもにおいて、市場経済と軍事力は強い関係にある。近代では強い軍事力がなければ市場は育たない。強い軍事力の維持には金がいる。それだけの金を生み出すのは市場を活用するしかない。また商品交換より略奪の方が簡単だから。略奪を抑制する軍事力がなければ真面目な市場は育たない。


2) 軍事力はマンパワーから資金力へ

なぜ封建主義から絶対国家へ権力の集中が起こった。なぜ絶対主義国家がコロンブス達を支援し、資本主義を後押ししたか。金と軍事力だろ。ボクが軍事力といったのは、兵器の能力だけではない。日本でも鉄砲が入って刀が廃れたわけではない。火縄銃を活用するには軍隊システムから見なおさないと意味がない。規律訓練化された軍隊だ。それは大砲にしても同じ。ナショナリズム、徴兵、規律訓練、国民教育が重要。それは兵器技術より重要なのではなくて、銃、大砲などの兵器を活用するために必要。

絶対王政から民主主義は国家という意味でそれほど遠くない。フランス革命のあと皇帝ナポレオンが出たりするのはそのため。富国強兵競争において、民主主義化の方が金が儲かる、そして儲からないと軍事力競争に負けるから。だから重商主義から自由主義があり、絶対主義から民主主義がある。欧州はそういう競争の時代だった。変化に遅れるとポルトガル、スペイン、イギリスと最強国がころころかわる。

大砲技術はトルコの方法が進んでいたし、トルコから買っていたわけだが、その後差がついてのは、やはり資本主義と軍事力の正のスパイラルを回した西洋と資本主義化に失敗したトルコの違いだろう。西洋が成功し、オスマントルコ帝国が負けた、というよりも、欧州は経済と軍事力を増やすために脱皮しつづけたことが重要だろう。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス。経済では、重商主義重農主義自由主義・・・。政治では絶対主義、民主主義・・・。より富を生むように西洋の資本主義は脱皮し続けた。そして富に比例して、軍事力も強化されていった。

ようするにマンパワーのように、国内でまかなえれば金はそれほど重要ではない。他国と貿易することで金が入り、また最新の材料、技術が手に入る。近代は資本主義化に乗り遅れたら負ける。たとえば中国が近代化におり遅れたのは、資本主義化せずに、権力者が富を独占した。マンパワーさえあれば戦争に勝てる時代ならそれでよかった。国を解放して、貿易を促進して資本主義化して国の富を増やさなければ、勝てない。それはいまも変わらない。昔の戦争って、何万人対何万人で語られる。基本的には人数で計られる。いまは人数だけでなく、保有兵器が重視される。それで最新兵器の高いこと。戦闘機一台いくら?

十六世紀のヨーロッパにおいて、どのようにして、また何故、富と軍事的能力が手をたずさえて進んだかを示した。すなわち、「金こそ戦争の活力」ということである。・・・ヨーロッパにおいて戦争を支え政治権力を維持する能力は、十七世紀においては、ヨーロッパ外から引き出された富か、あるいは商業によって作り出された富、これも結局はヨーロッパ外の富に由来する、を手に入れることにますます頼ることになった。P73-74

重商主義論全体は、その理論に優雅さと首尾一貫性を持ち、多くの優雅な経済論と違い、実践においても反駁されなかった。交易は実際富を生んだのである。もし政府が富をつかめば、それは艦隊と軍隊に変えられた。そして、艦隊と軍隊は、もし然るべき装備され指揮されれば、国家権力を現に増大させたのである。P89

十六世紀の末に、火力は衝撃というよりむしろ決定的要素であり、槍はマスト銃を守るものであってその逆ではない・・・火力を極大化する隊形と、統制されしかも不断の発射を確保する手順の双方を、工夫することが必要であった。・・・戦闘行為のこのような発展は、戦場それ自体における非常に高度な統制を必要とした。運動の統制、火力の統制、とくに兵士の自制である。このために訓練が必要であり、訓練以上に規律が必要であった。規律という考えはあまりに軍事生活についてのわれわれの考えの一部になっているので、それが十七世紀ヨーロッパの戦争に現れた新しい現象であることを知ることはむずかしい。封建騎士は全体として見事に無規律だった。P100


ヨーロッパ史における戦争 マイケル・ハワード




6 資本主義と禁欲


1) 日本人には強い禁欲主義がない

そもそもが禁欲主義が富の問題だとすれば、環境に埋め込まれた土着の農耕社会から、富の増加により環境から切り離された階級社会への変化があり、さらには、近代化という資本主義社会がある。近代化では、禁欲主義は近代思想として、新たな形態へと変化する。

そもそも日本人には強い禁欲主義がない。明治以降に色々な思想が輸入されて、日本人の好奇心旺盛は、次々にかぶれていった。保守主義自由主義、民主主義、社会主義キリスト教マルクス主義・・・しかし結局のところ、日本人が身につけたものはなにか。資本主義である。そもそも資本主義って思想か

資本主義とはなにかといえば、社会主義の対立である。資本主義とは資本制による経済活動を重視する思想となるが、そもそも資本制は、江戸時代の日本でも、中世の欧州でも行われた。お金が使われているところに、積極的な金の貸し借り=資本は普通にある。だからそもそも積極的に資本主義化しよう!という思想家はいない。あるのは、積極的に資本主義を無くそうという社会主義思想だけである。

ようするに日本人は西洋に侵略されないように富国強兵を進めるために、西洋の法治国家としての資本制の経済を導入したのだ。だから日本人には市民革命はなかった。我思う故に我有り!自立した理性的主体であれ!国家から資本家と対して権利を守れる市民であれ。そのために禁欲主義であれ、と言われたことはない。

ただ国民教育として規律訓練、そして時間労働概念を訓練されただけだ。このような労働生産性を上げるために禁欲を訓練されただけで、政府はみんなの仲間で、企業も仲間の集まりだ。国家主導型資本主義、終身雇用、護送船団・・・それらが近代化、戦後の復興、経済成長、世界1の経済大国という成功を勝ち取ってきた。