なぜ欧州は近世に台頭できたのか?

pikarrr2012-08-08

中世 イスラム帝国の時代


ユスティニアヌス没後すぐにマホメットが生まれるのは象徴的ですね。その後、ローマ帝国に変わってイスラム帝国が席巻する。わずかな間に、彼らは明らかに宗教的覇権を持って地中海圏を侵略する。十字軍あたりまでの数百年は明らかにイスラム独断場です。

そのころ欧州はゲルマン達の混沌の時代です。十字軍までまとまった力を持てなかった。西洋史では欧州前史のように語られるが、田舎地域の集まりです。実質的には前近代化前の絶対主義まで欧州諸国は重要ではなかった。

イスラム圏はキリスト圏より宗教による律則が強くて、発展性がないように語られますが、ほんとにそうなんだろうか。欧州では宗教的権威と、政治的権威の分離という特徴があります。ローマ教皇と国王の分離。西ローマ帝国滅亡後もカトリックはよく権威を維持したと思います。イスラムの対等が差異的にカトリックの存在を求めたのかもしれません。十字軍以前にもイスラムとの対立の精神的な中心はローマ教皇でした。神聖ローマ帝国イスラム対抗ためのローマ教皇のアイデアです。




イスラム教に比べキリスト教の緩さ


そしてイスラム帝国史と関係するのですが、なぜ欧州は台頭できたのか?たとえば交換と略奪。宗教が違うなら略奪を正当化したイスラムと、交換の秩序を維持しようとしたキリスト教圏という対比はあまりに単純すぎるでしょうか。

欧州の台頭が海軍国家に支えられた海外貿易によるのは、1つはイスラム海賊との長い戦いによる海軍力の発展にあるでしょう。地中海において、イスラムが海賊、すなわちキリスト教圏からの略奪を、正規な「経済」活動として承認したこと、経済性以上にジハード(布教のための侵略)を重視した。

キリスト教も金融を禁止しています。ただイスラム教ほどに強制力をもって働かない。キリスト教権力と国家権力に乖離がある。キリスト教の戒律は聖書という物語の解釈で、解釈の仕方という猶予がある。このキリスト教のいい加減さ、緩さが、近代化を可能にしたとも言える。




交易の巨大化と国家の台頭


山のものを海へ、海のものを山へ。交易はいつの自体もある。そしてそこにはギャンブル性がつきまとう。大損するかもしれないし、大儲けするかもしれない。交易で大きな成功した商品が香辛料です。インドから欧州へ送られ莫大な富を生んだ。これを独占していたのが都市国家ヴェネチアです。

近代の芽生えとも言われる大航海時代に成功したポルトガル、スペインがめざしたことの大きな理由の一つが、ヴェネチアの地中海航路に変わる新たにインドへの航路開拓です。その先に航路ではなく生産地自体を植民地として抑える手段にいたる植民主義があります。これらは、もとをただせば交易競争です。それほどの巨大な交易になった。

このようにして動き出した交易は、その後、重商主義重農主義、自由市議と形をかえながら、覇権国家を変えます。でも富を求めるグローバルな活動としては連続的です。そしてこのときに生まれた国家というシステムはいまもかわらない。国家はグローバルな交易のプレイヤーです。ヴェネチア共和国という都市国家が衰退したのは、グローバルな国家プレイヤーとしては、富国強兵というパワーゲームのプレイヤーとしては小さすぎた。

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