なぜ現代日本人男性はロリ萌えへ向かったのか

pikarrr2013-02-08

アイドルはもはやネタ


アイドルはもはやネタ。なんでもアイドル。バラドル、ママドル、AVアイドル。彼氏つくったり男遊びを控えたアイドルをヲタは好み、彼氏つくったり男遊びを普通にしているアイドルを女性や一般人 は好む。AKBはまだアイドルをガチで信じているわずかなオタが支えている。だから一般人はAKB が恋愛しようが気にしない。

実際、ここまで処女にこだわるってなんなのかなと思う。一般からかけ離れたオタという男性たちがAKBを支えるほどたくさんいるのは、ある種の宗教と言われても仕方がないほど不気味ではある。そもそも処女って精神的しかないと思う。肉体的にはほぼ意味を持たない。

なんでみんな恋愛しないの?そんな不細工なの?気持ち悪いの?そんな人たちがこんなにたくさんいるの?ヲタがすべて不細工で、キモいわけではない。見た目は普通の人が多いと思う。でも童貞で、性的なコンプレックスをかかえて、アイドルの処女性に没入する。

これって、伝統的にはプラトニックラブと呼ばれる。精神的恋愛。プラトニック=ギリシャ時代の哲学者プラトン。その後、キリスト教に受け継がれる純愛主義。それが現代日本人の一部の男性へと受け継がれている不思議。世界的には死にかけているのに

なぜ日本人男性は純愛主義へ向かったのか。これって基本、一昔前の少女の精神性なんだよね。AKBだけでなく、オタク全般は精神の少女化を起こしている。これってなに?AKBはジャニーズを一つのモデルにしているのはそのため。少女のための疑似純愛システムが、少年でも求められてきている。




さしこの博多左遷事件の成功


ガチでアイドルの処女性を信じれば危なすぎるよ。信じつつも、ゲームであることを楽しんでいる。リアリティショー。文春はそこに外的な要因としてうまくゲームの一部を占めて、資金の流れを作り出した。もはやあきらかにAKB商法の一部を占めた。その大きなきっかけがさしこの博多左遷事件だったわけ。

さしこがおもしろいのは、アイドルを脱構築しているからだよね。自らアイドルファンであることで、アイドルを演じているアイロニーをいつも持っている。アイドルの処女性を絶えず宙づりにする。アイドルがネタであることを示して、アイドルをベタに信じるメンバー、ヲタを宙づりにして、一般人にも共感を与える。

AKBヲタはそんな馬鹿ではない。アイドルがネタであることも分かってると思う。これがアイドルゲームであることを知って楽しんでる。でもやはり性的なコンプレックスは現実の苦痛としてあり、マジでもある。

これをネタとして取り込めたのはさしこだからでしょうね。さしこ事件の謝罪、処罰はラジオの生放送でされて、その後もテレビの生放送でネタにされた。これができるのはさしこの得意なキャラクターに負うところが大きい、アイドルでありながらネタであるというアイロニカルなさしこという存在がスキャンダルもネタとしてAKBシステムの一部に取り込むことを可能にした。

でもその後も次々あらわれる文春のAKBスキャンダルを見ると、運営とぐるなんじゃないかと勘ぐりたくなる。AKBを盛り上げるために、内部のリークがあるんじゃないか。まさに炎上商法。これってほんとにないかな。

それでも、なぜ日本人男性は純愛主義へ向かったのかという疑問は興味を引くね。日本人特有の現象だから。




処女の誕生


江戸時代には処女性を重視する考えはなかった。そもそも若者という概念がない。子供は子供の頃から少しずつ仕事を思えて大人になる。子供と大人の間の若者、青年、青春という時期がない。だから性経験も特別なものではなく、適当に大人との関係の中で済ましていく。祭りには村中で性的に解放されるし、夜這い文化もあるし、売春もあるし,娯楽の一つだった。社会に性を楽しむ装置がたくさんあった。

明治に入り近代化すると、西洋のキリスト教倫理が入ってくる。キリスト教は禁欲的で、結婚への純愛のみが認められる。日本人の開放的な性が規制されていく。キリスト教ととのも重視された儒教の影響で男性中心主義によって、男尊女卑が明確になり、男性はそこまで性的に厳しくなかったが、女性の貞操が厳しい規律となる。

嫁にいくまで純潔でいること、嫁にいったあとも旦那一筋が道徳となる。その中で、少女の純愛主義が生まれてきた。禁欲を厳しくしつけられた少女は、抑圧された性の中で、白馬の王子様的な純愛を夢見るようになる。

一つの転機は、戦後の売春禁止法だったと言われている。合法的売春宿がなくなることで、男性が童貞を捨てる装置がなくなってしまった。それとともに、戦後、若者文化が生まれてくる。豊かになった社会の中で、子供と大人の間に青春、若者という時期が暇な時期が生まれた。そこに自由恋愛という娯楽が広まる。

子供から若者になり、お見合いではなく、自由な交友から運営の相手を見つけるゲーム。これの洗練されたのがバブル時代だろう。そのこと、「東京ラブストーリー」などの洗練されたおしゃれな恋愛ドラマが作られて、一つの理想型となる。




ロリコン萌えという社会性からの逃避


いま、オタク用語リア充という言葉があるが、実際に男女交際してもそれはそれで現実でいろいろあり、オタクがそこに理想像を夢見る。そのモデルはバブル時代の洗練された純愛像があるんだろう。

バブル時代の洗練された純愛像を夢見ることで、恋愛のハードルはものすごく高くなる。彼女はかわいい性格が良い純真な処女女性で、自分もかっこよく、洗練されている。そして二人で深く愛し合い、洗練されたデートを繰り返し、結婚へいたる。こんな理想は実際にはどこにもない。ハードルをあげすぎることで、現実の恋愛へ向かうことができなくなる。

リア充という理想像である時点で、恋愛は精神性になっている。そして情報化社会は、現実の恋愛へ向かわなくても疑似恋愛の娯楽をたくさん用意する。むしろ商品である疑似恋愛の方が理想的なリア充に近い。

面白いのはオタクの対象がロリコンにむかったことだ。これも日本の大きな特徴である。メディアの発達で擬似的な性関係は世界中に広まっているが、より肉感的な成人の女性、いわゆるセクシー系だが、日本ではある時期なぜかロリコンへシフトした。オタク文化も様々あるがひとつに括るとすればロリコンだろう。

ロリコンが示すのは、社会的責任からの逃避。作り上げられたリア充像からの逃避。リア充像に込められた、よき会社員、よき息子、よき大人、よき夫、よき父親像からの逃避。

日本人男性の純愛主義には、性経験装置が失われたこと、ここには個人が孤立化する面があるだろう。それとともに豊かさの中で理想されすぎだ性関係、のみならず社会的理想像からの逃避がある。AKBはこれらを補完すると考えれば、一つは疑似恋愛装置であるとともに、あらたなコミュニティである。現実の社会性から離れた離散的なゆるいコミュニティ。




ロリコンをキーにしたゆるいコミュニティ


ここで恋愛禁止が重要なワードになっていることは確かである。単純には疑似恋愛を壊してしまうこと。さらにはよく聞かれるのが、みついだ金を返してくれといういいかただ。AKBを商法として考えた場合には金が特別な意味をもっている。愛を測る数値になっている。本来、金は愛と逆と考えられる。たとえば親しい人へ贈り物をする場合に、直接金をあげるのは失礼でプレゼントをあげる。これは金が等価交換、精算の意味を持つからだ。すなわち性急な見返りを求める。たとえば売春ならばその場で性的サービスを受けて後腐れがない。

キャバクラ嬢への貢ぎでも現金は渡さない。高価なプレゼントを渡して、キャバクラ嬢はそれを自らの現金に換金する。AKBも現金を渡すわけではない。握手会へ参加する。たくさん参加することで推しメンに恥をかかせない。総選挙で投票し、上位にすることで喜ばせる。直接的なプレゼント行為を行うことで参加する。

より多額を投入することで、メンを独占するのではなく、推しメンチームを助け、また優位を誇る。多様なオタクと言われる人々を括ると、ロリコン萌えにつきるだろう。ロリコンをキーにしたゆるいコミュニティの形成が特徴だ。なぜロリコンか。なぜロリコンは美旗になりえるのか。人々を集めることができるのか。




ロリ萌えコミュニティ


かつて結婚は家と家の繋がりでした。日本は家督、家業を中心とする文化です。武士や商人ならいざ知らずと考えますが、農民も土地に根ざし家を繋ぐことを重視しました。だから結婚は家同士の利害がからんで決定されます。結婚してから相手をしることはよくありました。恋愛結婚が一般化するのは戦後でしょう。若者が誕生して、恋愛が一般化する。

しかし実際の恋愛相手は社内関係でした。戦後、日本は家中心の地域社会から、会社中心社会へと変わりました。年功序列、終身雇用システムには、青年部など若者の出会いの場があり、結婚後の住まいから養育などの福利も完備されていました。社内結婚がもっとも多いケースです。このような会社による社会保障が弱体化し、かわるコミュニティそのものがなくなっています。

地域コミュニティから会社コミュニティへ。しかしさらにかわるものがありません。また状況が大きく変わりました。豊かになりかつてほどコミュニティの助けが必要なくなっている。金でさまざまなものが購入できる社会になった。それも安価に。人々はむしろコミュニティ拘束を疎ましく思うようになっている。価値観も多用し、好きな趣味的なものへ時間をさく。そして情報化です。さらに身近な他者の助けもコミュニケーションも必要なくなる。

しかし孤立したいわけではなく、興味を同じくする人々と緩くつながりたい。それがいまのコミュニティのあり方でしょ。しかしコミュニティとしての集客力がいる。その大きなものがロリ萌えです。ほんと不思議なのがなぜなにがなんでもロリ萌えじゃなければならないのか。ロリ萌えならなんで何杯でもめしが食えて人が集まるのか。




ロリ萌えはキモいからコミュニティを作る


初音ミク現象とはなんなのでしょうか。初音ミクを中心とした創造性はすばらしいと思います。曲づくり、動画作品など。あの運動を回しているのは、初音ミク、より突き詰めれば、ヴォーカロイドという音声ソフト製品のパッケージに書かれた一枚のロリ萌えな少女画それだけでしょう。ヴォーカロイドを使ったクリエーターの技術はすばらしいと思うが、ならば別にもっと広く多様に創作活動が展開されればと思うが、とにかく初音ミクをネタにすることで人が集まる。もはや条件反射になっている面も高い。ロリ萌えに反応するように。ロリ萌え好きということだけで暗黙の同士になり得る。

ロリ萌えはカッコ悪い、キモい、グロい。どこまで言ってもキモい。だからこそ普通の人々と差違化できる。不良のような反社会的でなく、脱社会的で自虐的で快楽主義的。この先にAKBがいることは当然だ。いまでこそメジャーになり一流タレントのように振る舞っているが、かつてと違いもはやアイドルは純真で処女でネタでしかない。だからロリ萌えというグロい対象の一部になりえた。いまどき小学生女子でも憧れるのはモデルだ。アイドルになりたいなどといえばキモいやつだろう。

そうするとさしこの存在の意味がわかってくる。そう、さしこだけが分かっている。アイドルはネタであることを、アイドルはキモいことを。そしてだからこそ盛り上がることを。
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