なぜアメリカは科学主義国家なのか

アメリカの科学主義国家


アメリカは、心理学、認知科学脳科学遺伝子工学など人間科学の本場だろう。社会を統計や経済学、経営学とか、科学的に分析することを重視する。だから優生学とか微妙に残り続けている。天才教育とか、遺伝子操作とか。タイガーウッズの浮気は病気だから矯正入院を義務づける国だから。実は結構危ない国だったりするよね。

サブプライムローンとか金融商品金融工学とかで科学者のスカウト組が統計学をもとに作り出したんだよな。アメリカ人の科学フェチは根深い。それが統計学で分析できない不確実性によって破綻する。リーマンショックも一種の科学主義の悲劇の一つだよね。




キリスト教と科学的合理性


アメリカの思想の基盤は移住したときのキリスト教プロテスタント)と(社会)科学。新しい国というのもあって伝統的な価値観がないから科学に思想的基礎を見言いだしてきた。ある種真逆だがこれらが混在するところが面白い。キリスト教の国で倫理的でうるさいと思うと科学的にドライで合理的。進化論もキリスト教的には反論するが、実は進化論からのリベラル(自由平等)はアメリカの思想の基礎になっている部分がある。

アメリカではキリスト教的保守と自由主義(経済)は対立してない。むしろ協力している。少し前はブッシュのネオコンネオリベ。一つにはキリスト教的保守は白人層で富裕層が多いので合理的で自由経済にする方が豊かになるという構図がある。要するに(合理的に)金があれば正義がかえる国だから。




自然科学は絶えず社会倫理へ応用てきた


そもそも社会科学は必ずしも宗教、思想と対立しない。たとえば優生学って人種差別を科学的に正当化するものだから。これは結構、科学の本質をついている。いまでこそ科学は無思想のような顔をしているけど、それは戦後の倫理であってそれ以前は科学と思想は密接だった。自然科学は絶えず社会倫理へ応用された。

ニュートン力学以来、みんな科学に熱狂した。産業革命も起こして豊かになった。そしてダーウィンが神を破壊した。その中でみんながめざしたのが社会を科学すること。正しい社会のあり方を科学的に示すこと。その絶頂が世界大戦前。社会統計学社会進化論優生学、サイバーネティックス、行動心理学、生体実験などなど、いまでいうと危ない社会科学がたくさん生まれた。

でも社会進化論優生学、行動心理学とか、あの当時は全然、異常じゃなかった。みんな人種優劣を普通に信じて科学で証明できると思っていたし、黒人が人種的に劣ってないとされたのは戦後。戦後も科学はしらーと進歩して戦前の黒歴史はほとんど語られない。いまでは優生学基地外はわかるが、遺伝子の優劣は信じられている。




アメリカは世界大戦前の科学へ信頼をいまも残している


欧州は世界大戦で戦場になり、ナチスがあったので、科学には懐疑的で監視する倫理として構造主義以降を発展させた。でも特にアメリカは世界大戦で戦場になってないから、世界大戦前の科学へ信頼をいまも残しているんだろう。いまも社会科学を重視する。

社会統計学社会進化論優生学、サイバーネティックス、 行動心理学、生体実験などなど 社会を科学できると信じられた科学至上主義の時代 。哲学もフッサールフレーゲ論理実証主義ハイデガーが最後 。一つの論理(科学)至上主義の流れだよね 論理大系の完全性が信じられた

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その反省から来るのが他者の思想時代。修辞学の時代、コミュニケーションは必ず失敗する。絶対にわかり合えない他者=他者性とどのように関わるか。哲学は(ウィト後期)、構造主義分析哲学、システム論・・・でも遺伝子工学脳科学、社会統計学・・・科学は変わらず科学至上主義。



一世紀前、正確には一八六〇年に実験心理学の最初の著書、フェヒナーの「精神物理学要論」が出た。哲学的関心から発しているとはいえ、この著作は心的現象を研究するために自然科学や生物学とおなじ方法を用いることによって、哲学的心理学の伝統とは縁を切ったものである。医者であり物理学者であるフェヒナーはこのようにして心理学を実験科学として、したがって厳密な意味での科学として確立した。

それにもかかわらず、この確立が本当に公的な体裁を帯びるようになったのは、それが制度化された時からでしかない。その制度化の実現の一つは、一八六二年、ヴントによる<自然科学の観点からする心理学>の一貫教育の開始であり、この具体的成果が一八七三−七四年に刊行された最初の実験心理学概要であるあの有名な「生理学的心理学要論」である。

・・・合衆国では、実験心理学の成長は<工業都市に似合って>いた。「ヨーロッパでは、心理学はその場所を諸々の学科や制度のなかから勝ちとらねばならなかったし、自分をたんに哲学の一分肢としてではなく、科学としてみとめさせねばならなかった」とすれば、反対にそれはアメリカの諸大学からは何の造作もなく受け容れられたのであり、それゆえにまったくの新顔として遇された。

そのようにして、ウィリアム・ジェームスに学んだスタンレー・ホールは、ライプツィヒのヴントのもとで数か月研究をつづけたあと、バルチモアのジョン・ホプキンス大学にアメリカで最初の心理学実験所を創設した。他の諸大学も直ちにこれにならい、一八九二年には既にその数は十七になる!

一八八七年になると、ホールはアメリカの最初の心理学雑誌である「アメリカ心理学雑誌」を創刊するが、おなじ頃、フランスの心理学はその自由な発表機関としてはリボーが始めた「哲学評論」しかもたず、ドイツにおいてさえも、ヴントが自分の諸研究を「哲学研究」に発表したのである。 

ほかの意味深い事実をあげれば、一八九二年から、ホールは三十一人の心理学者を<アメリカ心理学会>という最初の学会によく糾合しているが、これこそが世界で最初の心理学会であった。P19-20


人間科学と哲学 (西洋哲学の知)  フランソワシャトレ編 ISBN:4560023735

ダーウィンに先立つ十八世紀の西洋科学においては、人種間差異の説明に関して二つの理論が優勢だったが、いずれも平等主義的ではなかった。人間はすべてある共通の祖先に端を発するという考え(単一起源説として知られる立場)を信じていた人びとは、人種間の不平等を、退化の比率の違いと帰着させた。単一起原論者の考えによれば、種という種のすべては、その創造以来衰退の一途をたどってきているが、ある種のグループは(通常には)気候の影響によって、他のグループよりも衰退の度合が著しくなっている。一方多元発生論者は、もともとの人種は別々に創造されたものであり、それらは最初から異なった属性と不平等な才能を賦与されてきたのだと信じていた。

・・・「ニグロが他の人種と一緒のときは、いつでも奴隷だった」・・・「このことは疑いようがない事実である。しかしなぜ彼は奴隷で有り続けいるのか」・・・結局のところ、単一起原説と多元発生説のあいだには、たいした違いはなさそうだということになる。どちらも深く植えつけられた人種的差異を当然のこととしているし、またどちらも序列構成的である。しかし、理論としてよりラディカルなのは多元発生説である。というのも、その説は、黒人と白人が異なった比率で進化(もしくは退化)してきたというだけでなく、彼らが全く種を異にするという主張をもまた指示するからである。P105-106


メタフィジカル・クラブ――米国100年の精神史 ルイ・メナンド ISBN:4622076101