なぜAKBの恋愛禁止は限界なのか

pikarrr2014-06-15

「恋愛禁止は病んだヲタが自主的にやってること」


若い女子が恋愛したから仕事を減らす、雇用を切るって、世界的な人権問題だよ。峯岸事件が世界に知られたのは、国際問題スレスレだった。あれから運営は恋愛禁止をあからさまに語らなくなった。だから恋愛禁止は運営のルールにはならない。あくまで女性に相手にされない病んだヲタが自主的にやってることと言うだろう。

でも運営は恋愛禁止を撤回もしないだろう。恋愛禁止の一番の効果は、20すぎたメンバーを自主的にやめさせること。実際、AKBは暗黙でも恋愛禁止で高齢メンを切っていかないと維持できないだろう。いままでのアイドルは高齢化して終わってきた。それを避けるためだ。




純愛信仰男子=オタク


純愛なんて少女漫画の世界だった。しかし高度成長期を経て、豊かになった団塊の世代のジュニア世代は進学率も上がり、青春期という余裕が生まれた。80年代トレンディドラマなどで純愛文化が社会に広まった。

でも当然だが純愛なんて幻想でそうあるものではないが、ナイーブな男子は純愛を信じ、また純愛できない自分にコンプレックスをもつ。いままで童貞喪失なんて酒の勢いで先輩につれていかれる風俗が一般的だったが、純愛信者の彼らは純愛で童貞を捨てたいと言い、また童貞である自分を非モテとして恥じる。

このようなナイーブな青年たちの受け皿になったのがオタク文化だ。純愛信仰の彼らは、女性に純粋を求める。女性が様々なことを経験し成熟することを、汚れたとマイナスにとらえる。そこには成熟できない自分へのコンプレックスが隠されている。彼らが求めたのが幼女である。経験が少なく純であり、また自己主張しない弱い存在。彼らのコンプレックスは「萌え」と呼ばれるオタク文化を産み出していく。

この音楽業界の不況の中で、なぜAKBだけが成功できるのか?オタクが一人当たり高い単価を支払うからだ。大島の名言「票(のための金)は愛である。」こんな経済原則が成立するのはキャバクラとAKBである。通常、金は愛を排除した交換のためにある。この新興宗教的ローカルの世界では、金は愛であり、アイドルは恋愛すると追放される。このようなことが可能なのが、オタクの純愛信仰であり、コンプレックスである。




より多くの人が楽しめるアイドルエンターテイメントへ?


これがローカルのネタならば、好き勝手に恋愛した少女をつるし上げ、解雇することも良かった。しかしAKBは国民的アイドルになってしまった。もはやオタクとオタクから金を巻き上げる大人と従順な少女というローカルの世界では済まなくなっている。様々に歪みが起こっている。

そしてかしこい大人たちはそうそうに切り替えている。彼らはもはや、恋愛禁止を公言しないだろう。それは「病んだオタがかってにやってる」立場を貫くだろう。また国民的アイドルになることで、金ずるはオタだけでなくなっている。オタに集中した集金モデルを変えていく。より広い人々から金をえる仕組みを考える。

たとえばその実験は博多HKTで先行している。指原支配人が目指すのは、単なるオタクのロリコン趣味、村社会ノリから脱却して、都道府県をこつこつまわり、より多くの人が楽しめるアイドルエンターテイメントを作りあげること。それが今回の「指原アイドル劇団」とも言われる試みだ。これが見事に成功して、いままでのAKBコンサートとは違う楽しさがあると好評だ。




地鳴りまゆゆコール」は旧勢力の断末魔?


その意味では、まゆの総選挙1位は旧ローカルオタク勢力の巻き返しといえる。地鳴りまゆゆコール」はAKBファンの総意などではなく、ここ数年の指原を先頭とする運営の改革に対する旧勢力の反動である。逆に言えば、ここ1、2年の改革が以下に進んでいるか、そしていかに旧勢力がきびいしい状況にあるかを示している。

旧勢力とはまさに旧神7時代である。チンピラアイドルからメジャーに引き上げたのは、まさに彼らの人生を切り取った金=愛である。しかし次々を神7は去っていった。高橋、こじはるはもともと中立的として、優子が去りもはやまゆ一人となった。風前の灯火の旧世代にとって、まゆの1位はかつての夢の再来を予感させただろう。




AKBはかわらざるを得ない


しかし残念ながら、時代は逆戻りしない。今回の握手会事件は今となっては起こるべくして起こったようなことで、AKBがかわらざるを得ないことを示している。

なぜ前田はまだ若くそうそうに去っていったのか。なぜ神7は次々消えていくのか。簡単なことである。もう世間からずれたくだらないオタクのローカルゲームから降りたいからだ。彼女たちは売れた。人気者だ。かわいい。金もある。いつまでも病んだオタクのローカルゲームに縛られて処女人形を演じることに飽きて、人間=女性として成長(成熟)していきたい。

このくだらなさは、いまのほとんどのメンバーだってわかっている。最初から国民的アイドルに入った彼女たちの嫌悪は露骨である。そこにも大きな歪みができている。メンバー自体が楽しくないことも、変革さえざるをえないだろう。

さらにもっとも大きな問題は、オタクという存在はいつまで生き残るのか。オタクは高度成長期とバブルが生んだ、豊かな親世代のジュニアだ。もはや日本はその時代の豊かさを維持できなくなって、団塊の世代も去っていき、すねかじりの子世代もいままでようにいかない。多くの人は貧しく、ハングリーになっている。いつまでオタクの財布をあてにできるのか。
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