なぜファミリーヒストリーに泣いちゃうのか 日本人の中の儒教

pikarrr2015-07-16

ファミリーヒストリー儒教


NHKファミリーヒストリーhttp://www4.nhk.or.jp/famihis/)を見て毎回泣いちゃうよ。ファミリーヒストリーってほんと儒教的だよね。先祖回帰、親子愛の再確認、父方の系譜。最近、母方の系譜もちょっと入れるようになったけど、サヨ系からクレームが来たんだろうか。ルーツを父方だけでたどるのは差別だとか。サヨ系?ゲストもことごとく泣かせてきた。やっぱなんだかんだいってみんな日本人なんだなと。

前にテレビでやっていた実験で、見ず知らずの若者を集めて、集団活動をさせる。そのときに名札に年齢を書いた場合と書かない場合では、書いた場合の効率が良かったという。日本人にとって年上、年下は重要な要素となる。たとえば日本語には敬語があり、年齢がわからないと話もスムーズにいかない。西洋では敬語がないのももちろん、社会の中でも年齢は重視されない。敬語は一つの礼である。

日本人は自分の中に仏教的精神や西洋合理主義があることはすなおに認めるが、儒教的な精神があるといえば、とたんに拒絶反応を示す。儒教は古くさい身分制度の考えかたで敵だ!となる。やはり世界大戦での敗戦が大きいんだろか。儒教は戦争責任の大きな部分を担わされて、その後タブー視されている。いまさらガシガシと礼儀とは!と儒教教育することはないが、自分達のルーツとして、儒教について教育すべきだと思う。そうすれば、自らが、日本人がなぜ礼を重視するのかなど府に落ちる。




儒教化する中国仏教


中国に仏教が入ってきたのは漢時代だ。実際普及し始めたのは次の三国志の時代。普及に時間がかかった理由は、中国人には儒教道教などの思想があり、仏教の来世思考と違い、中国人は現世思考が強いこと。あるいは仏教の空の思想が道教の無の思想と近いことで注目を引かなかったなどが言われている。逆になぜその後、仏教が受け入れられるようになったのかは、社会の貴族化が進み、格差が固定するなかで、集団の規律を重視する儒教よりも、個人の救済を重視する仏教が求められたためと言われている。

しかしそれとともに、なんと言っても、すでに成熟した儒教道教文化のなかで、仏教がこれらを柔軟に取り入れて、中国人になじむ中国仏教として変化したことが大きいだろう。たとえば、儒教道教などにかわる新しい効果的な祈祷術として受け入れられる。まさに中国仏教の日本での受容のされ方は、新たな祈祷方法だ。天才空海でさえ始めは新しい強力な祈祷師として名をあげた。




インド仏教の輪廻転生と儒教の招魂再生


仏教ではこの世界を苦しみの世界と考える。そして仏教の死生観は輪廻転生だ。死んだあと魂はまた生まれ変わる。ここで日本人が勘違いしている人が多いのが、この世界に再び生まれ代わることはうれしいことではないということだ。この世界は苦しみの世界なのだから、まだ生まれ変わるのは苦しいだけだ。そして輪廻転生では繰り返し、繰り返し生まれ変わってしまうという罪悪の事態となる。だから修行し祈る。救ることで悟り、この輪廻から抜け出してこの世とおさらばして、涅槃に行き救済されることが目指される。仏教の救済は個人の問題だ。家族、友人も、生まれ変われば赤の他人。だから死んだ後の肉体は無用物です。川に流すか、焼いて散骨する。

これに対して、中国人はこの世界が、そして家族が大好きだ。死んでもこの世界にまた生まれ変わって家族と会いたいと願う。だから死んだ後に、魂が家族の元にかえってこられるように、肉体は大切に保管される。この肉体が位牌であり、お墓だ。残された家族は魂が帰ってくるように日々、お祈りする。この死生観は招魂再生といわれ、本来儒教のものだが、仏教が中国化するなかで、取り入れられた。この招魂再生という祖先崇拝は、儒教の根本思想につながっている。儒教のもっとも重要な概念の「孝」は親子愛だが、この家族を、親の親の親・・・とつなげる連続性に祖先がある。

さて儒教の中に置いて、新興の道教(ただしその原形は古い)、新来の[異国の文化としての]仏教の三者の鼎立は、やがてしだいに融和へと変化してゆく。それは、信者の増加とともに道教や仏教の教団が成熟し、現実的になっていったからである。すなわち教勢を伸張させるには、抗争ばかりしていたのではだめであることを知っていた。仏教側としては、儒教と抗争するよりも、すでに普遍化している儒教の本質的なものを取り入れることによって、儒教信奉者の自分たちに対する抵抗感をなくしてゆこうという考えかたである。

そのとき仏教が最も注目した点は、死生観という本質的な問題であった。儒教の死生観から生まれてきている祖先崇拝に基づく祖先祭祀が中国に普遍的であるので、それを取り入れる必要があった。

祖先祭祀の導入――――その具体化とは、(一)神主を建て、招魂するシャマニズムを認めること(すなわち神主をまねて位牌を作った)、(二)墓を作り、形魄を拝むことをなんらかの形で認めること(仏教においては、遺骨を拝むことはありえない。・・・)、(三)儒教式喪礼を取り入れた葬儀を行なうこと、等である。


P68-69 「沈黙の宗教――儒教」 加地伸行 ISBN:4480093656




日本人は中国仏教を通して儒教を学んだ


日本では隋唐時代に中国化が進む。この時はたまたま中国では仏教の全盛期だった。たとえば聖徳太子の十七条憲法に盛り込まれた思想は、儒教、仏教、道教などがごちゃまぜだ。また中国での仏教の受容のされ方と同様に日本でも新しい効果的な祈祷術として受け入れられた。招魂再生思想では恨んで死んだものたちの魂が現世に悪い影響を与えると考えられた。だから祈祷で沈める。日本でも奈良時代に遷都を繰り返えすのもそのためだ。

いまや日本での仏教の大きな需要が葬式仏教と言われているが、その儀礼の多くが儒教からきている。たしかに儒教の厳格な礼が守られることがなかったが、中国仏教を通して日本人が儒教から受け継いだのは単に招魂再生思想だけでなく、孝と中心とした家族主義の思想そのものである。儒教の中心的概念、孝(親子への愛)、梯(兄弟愛)、忠(上司、先輩への愛)もまた日本人の生活に深く根付いている。逆に、インド人の輪廻転生、個人主義、なぜインド人はあれほど現世が苦しいのか、日本人には本当の仏教を理解できないだろう。

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*1:論語出展元 総合心理相談 ES DISCOVERY 「孔子の『論語』と中国古典の解説」 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/confucius.html#RONGO