儒教となにか

pikarrr2015-08-04


ヒューマニズム、管理技術、政治術
 天の思想と民意
 禁欲主義、ヒューマニズムとしての礼
 ヒューマニズムとしの失敗と管理技術としての成功
 仁の贈与論


●反精神主義、美学
 反精神主義
 礼により精神がつくられる
 孔子の美学




天の思想と民意

殷王朝においては、すべての主宰者は帝であった甲骨文には、雨風や年穀、戦争や都邑の安否について、帝にと卜し、帝の佑助を求めるものが多い。帝は人格神であり、殷王はその直系者、すなわち嫡子であった。嫡とは・・・すなわち帝を祀るものをいう。帝を祀るものがその嫡子であり、地上の王であった。かれらは帝を至上神とする神話の体系をもち、その祭祀権の上に王権を成立していた。

殷周革命が行われたのは、おそらく紀元前千百年前後のことであろうと思われる。それは内からの革命でなく、外からの革命であった。異質の文化をもつ東西の勢力の交替であった。しかし殷に代わった周には、殷王朝のような神話の体系がなく、また神話継承の条件もなかった。人格神としての帝の観念はすてられて、非人格的な、いわば理性的な天の観念がこれに代わった。中国における合理主義的な精神の萌芽は、この天の観念に発している。

しかしこの非人格的とされる天も、また意志をもつ。天意の奉承者は天尹(てんいん)と呼ばれた。・・・天はみずからその意志を示すことはないが、天意は民意を媒介として表現される。為政者が天の徳を身に修めていれば、民意の指示を受けることができる。天意はそれによって動く。ここでは人民が、天意の媒介者として意識されている。政治の対象として、民衆の存在が自覚されてきたのである。このような政治思想は、天の思想とよばれる。殷周革命を契機として、天の思想が成立した。「書」の「周書」とよばれる部分には、周初に成立した文献を多く含んでいるが、そこには天の思想について述べたものが多い。・・・天意が民意によって媒介されるとすれば、それは絶対にして神聖なる王権ではない。受命によって生まれた王権は、また革命によって失われる危険をつねに包蔵する。天の思想はまた革命の思想である。


P92-94 孔子伝」白川静 ISBN:4122041600


白川静孔子伝」を読んでいるが、西洋的な神と中国の天の違いが、中国に徳治政治を産み出したという。確かに「天」という思想はほんと不思議だなあと思っていた。普通は神に向かうんじゃないだろうか。アミニズム、自然信仰では神性は漠然としているが、それが時の権力者により物語となり、擬人化され意思をもち、権力者を通して実現される。権力者がその正当性を担保するためには、神とはなんだ?そしてその世界観を作ってしまうのではないだろうか。しかし天は擬人化されず世界観もない。ここで寸止めできるのはなぜだ。正当性を物語ではなく、民意に求めるからだろう。そして民意を得る方法が徳である。

中国の時代劇ではよく、「そんなことすれば天下の笑い者ですよ。」という言い方をする。権力者は民意を見方につけなければ勝てない。民意を味方につける方法は武力ではなく、民からの信頼。民への安心。それが徳である。この思想を継承したのが、孔子であり、儒教である。

徳とは、仁(忠、孝、梯)であり、それを実現するのが礼である。そのように考えると、礼楽は、民意へのパフォーマンスの面も強かったのだろう。私はこれだけ、家族を、祖先、そして民を大切にしていますから支持してください。このような思想が生まれるということは、中国は伝統的に民の力が強かったんだろう。




禁欲主義、ヒューマニズムとしての礼


禁欲主義は古くからある。都市化して富の遍財が起これば、快楽が広まるとともに反動的に自己救済から禁欲主義を生まれる。禁欲とは自己の管理であり、快楽により自らを見失う恐怖への救済である。大きな流れでいえば、儒教もその一つではあるが、多くにおいて禁欲への目覚めは、自己への目覚めであり精神革命であり、優れた人の自覚として起こり、個人の問題である。儒教の場合、社会全体として禁欲主義への覚醒を図るところが画期的である。そのための装置が礼である。互いに敬い、その関係に節度を持つことで、社会全体が禁欲主義へむかうことができる。

礼とはなにか。相手に敬意をあらわすこと。なぜ敬意を表すのか。立場により敬意の表し方は様々だが、そこにあるのは人への愛に近づく。すなわち仁。孔子ヒューマニズム人文主義)である。ただし人は時代によって変わる。孔子の時代、奴隷は人ではない。異民族は人ではない。女性は人ではない。人類愛の境地にたつこと。なんだかんだ言って、広い愛をもつこと。そこに神聖なものが現れる。現代では、人は人類全体である。儒教の知とは、人間の関係性に礼を導入したこと。




ヒューマニズムとしの失敗と管理技術としての成功


別に周公が儒家だったわけじゃなく、その生きざま、政治手腕に感化された孔子が、徳礼主義を考え出した。そして「かの、周では…」という説得の背景にあるのは天の思想である 。それにしても、徳礼によって国を納めるというのは、すごい発想だ。よくまあ国が争う時代に考えたものだ。しかしほぽ機能しなかった。

儒教が広まったのは、その後、漢で国教になったのが大きいだろう。国教となった儒教=経学は経書の編集、解説を中心としたが、国の儀礼儒教式に行われて、様々な価値判断に使われた。しかしもし孔子が生きていたらどう思っただろう。おそらく権力に都合のよい活用された儒教を批判しただろう。

なぜ孔子は失敗したのか。孔子が、発明した儒教ヒューマニズムな理念をおいて、権力者の体制維持のための管理技術として成功した。なぜ孔子の夢見た徳治政治は働かなかったのか? 孔子の時代から徳知政治は認められず、登用されることがほぽなかった。徳により国が収まるというのは最初から理想論だった。

孔子は自分が発明したのではなく、周初期に成功した制度を繰り返そうとしているだけだと、実績を訴えたが、実際遥か遠く数百年前のことなどわからないし、まあ徳治政治などなかったんだろう。逆に、儒教孔子の理念はおいて、民衆の統治術として優れていたということか。礼とは差をつけることという。礼により組織は強固になる。さらにそこに孔子の発明した愛の理論である仁が加われば、単なる命令ではなく、自主性に作動する。

里仁13
子曰く、
能く礼譲(れいじょう)を以て国を為めん(おさめん)か、何かあらん。
能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何(いかん)せん。



[口語訳]先生が言われた。礼節と譲り合う精神で国を治めることができるだろうか?それは、難しいことではない(それが、どれほどのことがあろうか)。
礼節と譲り合う気持ちで国が治められないのであれば、礼が何の役に立つというのか?(いや、何の役にも立たない)。

礼記 曲礼
徳仁義も、礼に非ざれば成らず。
教訓俗を正すも、礼に非ざれば備はらず。
爭を分ち訟を辨ずるも、礼に非ざれば決せず。
君臣上下、父子兄弟も、礼に非ざれば定まらず。
宦學し師に事ふるも、礼に非ざれば親しからず。
朝を班ち軍を治め、官にのぞみ法を行ふも、礼に非ざれば威嚴行はれず。
たう祠祭祀、鬼神に供給するも、礼に非ざれば誠ならず莊ならず。
是を以て君子は、恭敬そう節退讓、以て礼を明かにす。




仁の贈与論


仁とはなんだろう。エコノミー(経済)として近いのが贈与交換だ。信頼に基づく、時間を越えた貸借り。しかし徳は単に贈与交換に還元できないものがある。そこから、仁は見返りを求めない贈与という考え方がでてくる。仁とは見返りなく施すこと愛。それが儒教の仁であると。

孔子の仁は、誰にも等しい愛ではない。もっと現実的だ。親子の愛=孝、兄弟の愛=梯、上下関係の愛=忠。そしてそれを実現するための礼楽。孔子は自らが生きていけないほど施すのは間違いだという。とても現実的だ。

キリスト教などの宗教の無償の愛は、彼岸で満たされるなら現世は犠牲にすることで、無償の愛を成立させている。これに対して、現世を生きる孔子は現世で問題を解決しようとする。だから無償の愛には至らない。だから仁は、忠、孝、梯そして礼という現世を生きるテクニカルなものとなる。

たとえば挨拶をされた人は、なにかを受けとる。だから挨拶を返さないと負債が残り気持ちが悪い。これは基本的な贈与交換の原理である。贈与と返礼は決してプラマイゼロと精算されない。そこに信頼が生まれてくる。信頼は他の行為への誘導、拘束力を産み出す。たとえば現代、挨拶を避けたがるのは挨拶するのがめんどくさいわけではなく、そこに生まれてしまう信頼関係がめんどくさいからだろう。流動性が高い現代ではいちいち挨拶して関係を気づいていては精神的な負担が大きい。だから儀礼的無関心が礼となる。逆に挨拶にそれだけ力があるということだ。

儒教といえば、忠や孝であり、親や上司などへの忠誠することだと思われているが、逆である。礼をもって接するとは、距離感を保つことである。 ただ親、上司との権力圏に巻き込まれないように、距離感を保つことでもある。たとえば他人行儀だ、という親密さを表す言葉があるが、礼とは他人行儀を保つことでもある。親密であればよいということではない。




精神主義

論語 顔淵5

顔淵、仁を問ふ。
子曰はく、
己れを克めて礼に復るを仁と為す。
一日己れを克めて礼に復すれば、天下仁に帰す。
仁を為すこと己れに由る。
而人に由らんや。

顔淵曰はく、請う、其の目を問はん。
子曰はく、
礼に非ざれば視ること勿かれ、
礼に非ざれば聴くこと勿かれ、
礼に非ざれば言ふこと勿かれ、
礼に非ざれば動くこと勿かれ。
顔淵曰はく、回、不敏なりと雖ども、請ふ、斯の語を事とせん。



[口語訳]顔淵が仁についてお尋ねした。先生は答えて言われた。『自己に打ち克って礼に復帰することが仁の道である。一日でも自己に打ち克って礼の規則に立ち返ることができれば、天下の人民はその仁徳に帰服するだろう。仁の実践は自己の努力に由来するので、他人に頼って仁を実践することなどはできない。』。顔淵がさらに質問をした。『どうか、仁徳の具体的な実践項目について教えてください。』。先生はお答えになられた。『礼の規則に外れていれば見てはいけない、礼の規則でなければ聴いてはいけない、礼の規則を無視した発言をしてはいけない、礼の規則に外れた行動をしてはいけない。』。顔淵が申し上げた。『私は愚鈍な人物ではありますが、先生の言葉を実践させて頂きたいと思っています。』。


もはや現代人は、西洋近代の精神主義でしか思考できない。だから孔子の、仁は徹底的な礼の先にあるという考えを現代人は理解できない。その理由は、現代人の常識から転倒しているからだ。仁とは精神論であり、礼はしょせん行為である。現代人の常識は精神>行為、すなわち仁>礼である。崇高なのは精神で、行為は精神の従僕である。この当たり前のことが、孔子の礼楽主義では転倒されている。故に現代人には理解できない。

この精神>肉体(行為)の起源の一つのプラトン心身二元論である。プラトン主義は西洋においてルネサンスで回帰し、現代に続く近代科学主義の基礎となった。このために現代人は無意識にプラトン主義を生きている。精神は高等で肉体という動物をコントロールする。重要なのは精神である。しかし孔子の思想は基本的にこの考えを転倒している。孔子を真に理解するためにはまずこの世界の転倒を理解しないと見えてこない。




礼により精神がつくられる

子曰く、
質、文に勝るときは則ち野(や)、
文、質に勝るときは則ち史(し)、
文質彬彬(ひんぴん)として然して(しかして)後(のち)君子なり。



[口語訳]先生が言われた。質が文(礼)を上回ると野人となる、文(礼)が質を上回ると文士になる。表現と内容が渾然一体となったところで初めて君子となるのである。


儒教の基本は礼にある。愛ではあるがそれは儀礼化された愛である。 感情的なものではなく節度あるもの。 もっとも熱い親への愛=「孝」であっても、礼によってあえて距離を置く。感情を礼により管理する。感情は移ろいやすく転倒しやすい。愛情は簡単には憎しみや疑心にかわる。 また感情は一方的だ。自分が好きで良かれとしても、相手からは迷惑なことは多々ある。他者を尊重し、感情を管理しつつ、愛を表現する方法が礼である。

しかしそれでは精神中心主義である。礼の本質は、感情という真実があり、その表現するとしての礼ではない。礼という行為により精神がつくられる。社会の様々なコンテクストの中で、節度ある他者への愛が正しく生まれる。 孔子の思想では、聖人が作った礼を学び、みずから作らないという。孔子が重視した教化とは正しい礼を学ぶことで、正しい精神が作られる。あるいは正しい感情の表現の仕方を知るということだ。礼は形骸化しやすい。本心と関係なく、礼をしておけばよいというのは、正しい礼ではない、ということだ。本心は礼に先だたない。精神と行為(礼)は同時であることがよい。

儒教とは礼によって自らに向き合うこと。礼とは、自分との、それは他者との、社会との節度ある向き合い方である。過度に愛さない、過度に求めない。それは後ろ向き、消極的なことではなく、そこに求めるものがあると考えた時点ですてに過剰である。それが中庸である。 「なんのために生きているのか」、「私はなにものか」、「夢をみつける」。すでに過剰である。求めているのは私などではなく、過剰ゆえに言葉を発っさずにはおれないだけ。

中庸
喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。
発して皆節(せつ)に中る(あたる)、これを和(か)と謂う。
中は天下の大本(おおもと)なり。
和は天下の達道(たつどう)なり。
中和(ちゅうか)を致して、天地位(くらい)し、万物育つ。



[現代語訳] 喜怒哀楽の感情がまだ起こっていない精神状態はどちらにも偏っていないので、これを『中』と言っている。喜怒哀楽の感情が起こってもそれがすべて節度に従っている時には、これを『和』と言う。『中』は天下の摂理を支えている大本である。『和』は天下の正しい節度を支えている達道である。『中和』を実践すれば、天地も安定して天災など起こることもなく、万物がすべて健全に生育するのである。




孔子の美学


「形から入っても精神がない」というのは西洋精神主義である。人間、精神、思考>動物、身体、慣習というヒエラルキー。しかし人はこのような二元論でてきていない。たとえば暗黙知ということばがある。身体の慣習に高い知があるということだ。たとえば目の前のコップを口に運び飲む。これは当たり前のようであるが訓練による高度にコントロールされた行為であるが、精神は実際になにが行われているのか知らない。実際、行為は暗黙知でできている。

同様な意味で、ラカンは無意識は言語活動のように構造化されていると言った。意思よりも、先に無意識は自ら語り始めている。ここでは本心は意思が決めるのではなく、無意識が語ったあとに、事後的に意思は作られる。精神があり行為が行われるのではなく、行為によって精神が現れる。

孔子の礼の重視は、仁は礼の結果であると考える。さらには孔子が音楽を最上位においたのは美の力を重視するからだろう。礼を重視し、その音楽、詩の美しさ。韻を踏んだ漢字の並びの美しさと読みの美しさ。論語も詩である。そこには暗黙知の最高の形態として美がある。礼の正しさはその美しさにある。人は美を求めて礼を行う。正しさとは美しさである。

論語 泰伯8
 子曰く、 詩に興り、礼に立ち、楽(がく)に成る。

論語
礼の用は和を貴しと為す。
先王の道も斯れを美と為す、
小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども
礼を以てこれを節せざれば、
亦行なわるべからず。



現代語訳 有子先生がおっしゃいました。「礼」の働きとして「調和」があります。昔の王も調和をもって国を治めることに長けていました。しかし大事も小事も調和だけに則って行おうとすれば、なかなかうまくいかないものです。調和調和と言うのではなく、「礼」を用いて調和をはかるようにした方がいいでしょう。(その結果、調和はついてきます)


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*1:論語出展元 総合心理相談 ES DISCOVERY 「孔子の『論語』と中国古典の解説」 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/confucius.html#RONGO 

*2:画像元 http://workingholidaynews.com/local-news/2029.html