日本人の家業主義(職の体系)と外国かぶれ新陳代謝システム(2013) 

1 日本人の水平思考  家業主義(職の体系)
2 日本人の創造思考  外国かぶれ世代間闘争による新陳代謝システム

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1 日本人の水平思考 家業主義(職の体系)

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西洋人と日本人の仕事観の違い

西洋人と日本人では仕事に対する考えがまったく違う。たとえばギリシア時代、ギリシア人は市民による議会を開き、民主的な政治運営を行ったと言われるが、市民は仕事を奴隷にやらせていた。
多民族で戦争による征服が頻繁に行われていた西洋では、奴隷が安定的に供給される市場があり、奴隷に仕事を任せることができ、仕事は下等な行為とされた。またキリスト教においても、仕事は原罪により失楽園した人間に背負わされたものと考えられた。
ウェーバーがいうように、プロテスタンティズムの天職、職業は神に与えられたものという考えが資本主義の成功に働いたという考えもあるが、またこのように仕事蔑視の思想が資本主義を産み出すことを可能にした。すなわち労働を商品とするという、とんでもなく割りきった発想ができた。

 (ローマ人の)法学者によれば、あらゆる人間は自由人であるか奴隷であるからである。奴隷とはみずからの意志を否認された者であり、人間というよりも道具であった。ローマ人は農場の道具を三つに分類する。はっきりとものを言うもの、あいまいにものを言うもの、まったくものを言わないものに分けられる。それぞれ、奴隷、家畜、鋤鍬(すきくわ)の類に対応する。奴隷は人間ではなく、ものであり、動産の一つにすぎなかった。
 もともと奴隷は、共同体間の戦争のなかで敗者が勝者に隷属するという過程でつくりだされる。しかし、いったん奴隷制が社会のなかに定着すると、奴隷の供給源は戦争捕虜にかぎらなくなる。・・・いったい平和な時代に奴隷はどこからやって来たのだろうか。この問題について、嬰児遺棄と奴隷供給源とはことのほか深い関わりがあった、と私は考えている。日本などでは間引きと呼ばれる子殺しが通例であったのに比べて、古代地中海世界では捨て子の慣習が広く見られるのも興味深い。
 世界の歴史〈5〉 ギリシアとローマ (中公文庫) 桜井万里子 ISBN:4122053129

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なぜ日本人はIT産業が苦手なのか

この割りきりが現代でも生きている。現代は商品が情報化する、すなわちサービス化する中で、その人間関係も商品、すなわち貨幣と等価交換できると割りきれる。よいサービスを求めるなら高い金を払え。笑顔で対応してほしいなら金を払え。仕事は金と等価だと。
IT産業を日本人より西洋人の方が得意かといえば、その理由の一つがこの割りきりだろう。IT産業でのサービスの悪さ。商品が未完成であるのは当たり前、情弱は淘汰されろ。こんな対応がおもてなし国民にできるだろうか。おもてなしとサービスは似て非なるものだ。サービスは貨幣交換の世界、おもてなしは贈与交換の世界。

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現代はいかなる商売感情労働の軋轢を生んでいる

最近、「感情労働」という言葉がある。たとえば医者が売るものはなにか?一番は病気を直す治療だ。しかし治療は自動車の修理のようにいかない。相手は人間であり、精神的なケアも求められる。簡単にいえばサービス業でもある。これが「感情労働」だ。とはいっても、営利目的であり一人の患者に時間をかけてはいられない。ここに信頼関係の軋轢を生む。
現代はいかなる商売も多かれ少なかれサービス業化して感情労働の軋轢を生んでいる。その一番が、教師だろう。教師が売るものはなにか。一番は知識です。しかし塾の講師とは違う。教師は知識だけでなく、人間全般の道徳教育が求められる。まさに感情労働の最たるものであり、モンスターペアレツの問題などストレスがすごい。
そもそもモンスター化とはなにかと言えば、孤立した不安ですね。少し前の多世代家族や近所付き合いがあれば、様々な不安を相談して緩和されたものが、核家族化して孤立すると不安が直接、医者や教師などに向かう。孤立化して不安が高まるとヒステリックにモンスター化する。

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日本人のおもてなしと西洋人のサービス

特に日本人は感情労働のトラブルに巻き込まれやすい。面白いのは日本では、「サービスする」の意味が、おまけする、ただであげるとなる。サービスはただだと考えるというか、貨幣等価交換ではなく贈与交換の対象と考える習慣がある。だから海外でサービスにチップを払うことに違和感を覚える。金を払うのがいやなのではなく、信頼関係の対象を貨幣交換することに、相手に失礼になるという後ろめたさを感じる。まさにおもてなしの国である。
海外ではサービスはまさに商品である。よりよいサービスを求めるならより高い価格を払う。金をだしてエコノミークラスからファーストクラスへ移ればよい。だから金持ちと貧乏人に対する態度もあからさまで、そのように社会がクラス分けされている。
西洋ではサービスはコストと結び付く。ファーストクラス、エコノミークラスの差は飛行機だけでなく、社会全般を構成する。日本ではサービスはそこまでコストと直結しない。コストに関係なく、客をもてなす。それが「おもてなし」の精神の一つだ。これは日本には西洋のような社会全体を支えるような奴隷労働力が生まれなかったことがある。

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日本人の家業主義

さらには日本では職が特別な意味を持つからだ。古くは、職はすべて天皇から与えられた役割であるという考えがある。疑似単一民族日本では、職は日本人として社会を支える役割と考える家督主義がある。だから将軍でさえも天皇から与えられた職の一つであり、天皇からの任命を重視する。
たとえば中国には一族主義があって血を重視する。日本人も一見似ているようで、実は家族、血よりも家督、家業、すなわち家族が担ってきた職を重視する。家業を守るために血縁以外に人材を求めることは普通だ。
もともと日本人の家業主義は、奈良時代以前にさかのぼり、日本人の公平な関係を支えてきた。身分制はあるとしても、職業においては誰もが社会の役割を担っている。概念的には天皇を頂点としてそれぞれが職を任されている。それは家業として引き継がれる。日本人の公平な関係を支える精神的な仕組みとなっている。近代になり西洋から平等が取り入れたことになっているが、機能しているのは職業主義の面が強い。
江戸時代など身分があり虐げられた史観があるが、これは西洋モデルを当てはめた面が強く、実際は日本の農民は自治権をもち、職としてプライドを持って自ら改善にいそしんだ。職は武士に言われてやる労働などはなく、自らの社会的な役割としてやっている。そもそも武士には利益蔑視があるので税の取り立ても結構雑だった。たとえば日本の農民は農耕以上の副業が盛んだったが、このあたりからの徴収は無頓着だったなど。

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現代も残る家業主義

このような家業主義はいまも残っていて、日本人が職を得ることは、賃金をえる、やりがいをえる以上に、社会的な役割を果たす意味がある。ニート、あるいは非正規社員に対する蔑視はこの当たりの感覚からきているだろう。
日本の貧弱な社会保障制度も会社が社会保障の一部を担っていることからきている。日本では正社員であることが経済的に有利なだけでなく、社会的な立場として重要である。職は日本人の精神性を支えている。
はたして日本は平等がわかっているのか、民主主義を理解しているのか、といわれる。そこで重要とされる個の尊重はキリスト教文化をもとにしている。日本人は個の尊重というラディカルな原理を理解しているのか。平等であるようにみえていまも職業主義による公平をベースにしている。
日本において非正規雇用の問題は、経済的に以上に深刻だ。非正規雇用者は社会的な疎外をうけて、精神的な公平感をえることがむずかしい。極端にいえば、一人前の市民ではないと見られてしまう。

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日本人の甘えの構造

日本精神分析再考(講演)(2008)-柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-67.html
結論としていえば、日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつつ、同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。この見方は日本の文化・思想の歴史について、あてはまると思います。つまり、丸山真男などが扱ってきた問題は、このような文字の問題を通した「精神分析」を通してこそアプローチできるのではないか、と私は思ったのです。
柄谷行人『日本精神分析再考(講演)(2008)』)

明治維新前後に日本を訪れた西洋人たちはこの不思議な日本人に対する手記をたくさん残しているが、その中でも比較的多い意見の一つに、子供が大切にされ、子供がいつも楽しそうにしている、というものがある。この近代化の時代、西洋ではプロテスタンティズムの影響が強く、人々は禁欲倫理的な生活を送っていた。子供にもきびしいしつけが行われていたのだろう。
精神分析の「去勢」という概念はキリスト教的である。キリスト教では大人は自立的個人であることがもとめられる。このために子供は未熟な大人であり、自立的な個人になるために教育が必要と考えられる。それが「去勢」である。
そもそも日本には自立した個人という考えがない。だから子供は未熟な大人とは考えない。子供に教育するのは自立より協調性だろう。日本では子供は集団の中の「子供」という特別な存在なのである。子供らしく、無邪気で、にぎやかで、それが集団をなごませるという意味をもつ。
日本人が去勢されないことをネガティブに語った有名な本に「甘えの構造」がある。精神分析家の著者は日本語の「甘える」に相当する英語がないこと、さらに日本語には「すねる」など甘えに関する言葉が多いことに気づく。日本人は、西洋人のように自立的個人になるための去勢がなく、社会全体が甘えの関係でできている、という。

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なぜ日本人は大学生に寛容なのか。

日本人は個人として自立せず、甘えの関係にいることは問題か。これは明らかに自立した個人が正しいという西洋中心主義である。問題は日本人がいかに社会的秩序を維持しているか、である。
日本人の関係とは贈与交換である。贈与交換は特定の相手と継続的な信頼関係を維持する助け合いの関係である。これは基本的に小さな集団の中で行われる。日本人は疑似単一民族として日本人全体に広げている。この関係を具体的に支えるのは「職の体系」である。概念的に農地は天皇からの預かりもの、職は天皇から与えられた役割。これは農民から将軍まで対応する。縦の身分制度があっても職の体系上は横の関係である。だから日本人はみな職においてはブライドをもち自立していた。
「甘えの構造」の中で義理人情を甘えの関係として批判しているが、まさに広域の贈与交換の現れである。日本の子供の話にもどれば大人になるとは職を覚えること、すなわち一人前の仕事をできることをいう。だから子供は未来の職人であり、いまは元気であればよい。遊びをかねてお手伝いをしていればよいのである。このような感覚はいまも日本人にあるだろう。たとえばなぜ日本の大学生に寛容なのか。大人として認められるのは就職したときであり、大学生は卒業すれば大人になることがわかっている。いまは最後の子供時代だ。

 これは、明治中期になってからのことだが、アリス・ベーコンはこう言っている。「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく、責任を持たされているのはたいへん興味深いことだと思います。彼らの態度や振る舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心をのこしているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでもよい地位を占めているように思えます」。召使が言いつけたとおりでなく、主人にとってベストだと自分が考えるとおりにするのに、アリスは「はじめのうちたいそう癪にさわった。しかし何度か経験するうちに、召使の方がただしいのだと彼女は悟ったのである。
 彼女は主著"JapaneseGirlandWomen"においてこの問題をもっと詳しく論じている。「外国人にとって家庭使用人の地位は、日本に到着したその日から、初めのうちは大変な当惑の源となる。使える家族に対する彼らの関係には一種の自由がある。その自由はアメリカでならば無礼で独尊的な振る舞いとみなされるし、多くの場合、命令に対する直接の不服従の形をとるように思われる。家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、自分が最善と思うやり方で行う。命令にたんに盲従するのは、日本の召使にとって美徳とはみなされない。彼は自分の考えに従って事を運ぶのでなければならぬ。もし主人の命令に納得がいかないならば、その命令は実行されない。日本での家政はつましいアメリカの主婦にとってしばしば絶望の種となる。というのは彼女は自分の国では、自分が所帯の仕事のあらゆる細部まで支配するからであって、使用人には手を使う機械的労働だけしか与えないという状態になれているからだ。
 彼女はまず、彼女の東洋の使用人に、彼女が故国でし慣れているやり方で、こんな風にするのですよと教えようとする。だが使用人が彼女の教えたとおりにする見込みは百にひとつしかない。ほかの九十九の場合、彼は期待通りの結果はなし遂げるけれど、そのやりかたはアメリカの主婦が慣れているのとはまったく異なっている。使用人は自分のすることに責任をもとうとしており、たんに手だけではなく意志と知力によって彼女に仕えようとしているのだと悟ったとき、彼女はやがて、彼女自身と彼女の利害を保護し思慮深く見守ろうとする彼らに、自分をゆだねようという気になる。
 外国人との接触によって日本人の従者が、われわれが召使の標準的態度とみなす態度、つまり黙って主人に従う態度を身につけている条約項においてさえ、彼らは自分で物事を判断する権利を放棄していないし、もし忠実で正直であるならば、仮にそれが命令への不服従を意味するとしても、雇い主の為に最善を計ろうとするのだ」。
 「逝きし世の面影」 日本渡辺京二 (ISBN:4582765521

 江戸時代の日本の「家」は、「家業」の観念と切り離せないものであった。武士の家ならば、知行として世襲的に与えられた石高に応じ、それぞれの定められた軍事・行政的な職務を果たすこと。農民の家ならば、代々受け継がれてきた田畑を守り、農耕に精を出し、年貢を納めること。商人の家なら、それぞれののれんを守り、店を潰さずに反映させてゆくこと。さらに将軍家も天皇家もそれぞれ、軍事・行政を通じ、あるいは祭祀・学問を通じ、日本国全体の安全と秩序を守るといった、家としての職務を果たすべきものと考えられていたのである。「家」にはそれぞれ家名があり、それと結びついた家産と家業(家職)があった。
 そうした「家」の集合として社会全体がイメージされていたのであり、社会のなかで割り当てられたその家の役割を正しく果たしていくことに「家」そのものの存在意義があったといえよう。ある家に生まれた人は−−−あるいはその家に嫁いできたり養子に来たりした人は−−−、その家の一員として家業の発展に奉仕することが期待されている。今日の会社が、社長の交代や社員の入れ替わりにもかかわらず続いてゆくように、「家」というものは、個人を越えた団体としてあり、同じ「家」に属する人びとの共同意識は、血縁関係そのものよりも、「家」の目的のために共同で働くことによって支えられていた。

 それに対して中国の場合は、そうした「家業」という寛延が、ほとんど存在しなかった。・・・中国では、「家」という概念の範囲は必ずしも一定していない。「同居共財」すなわち、同じ家に住み家計を共にする集団を指すことが多いが、より広く宗族をさすことも普通である。・・・中国人にとって「家」の意識の根本にあるものは、男系の血筋を通じて脈々と受け継がれている生命の流れの感覚であったといってよいであろう。その流れはおうおうにして「気」と表現される。
 世界の歴史 (12) (中公文庫) 明清と李朝の時代 岸本美緒 ISBN:4122050545

 ここに至ってわれわれはチェンバレンが「日本にはほとんど専制的ともいうべき政治が存在し(むろん、彼は明治時代の専制を指している)、細密な礼法体系があるけれども、一般的に日本や極東の人びとは、大西洋の両側のアングロサクソン人よりも根底においては民主的であるという事実が、初めのうちは表面から隠れていて見逃されがちである」と書いた理由を了解する。平伏を含む下級者の上級者への一見屈従的な儀礼は身分制の潤滑油にほかならなかった。その儀礼さえ守っておけば、下級者はあとは自己の人格的独立を確保することができたからである。身分制は専制と奴隷的屈従を意味するものではなかった。むしろ、それぞれの身分のできることとできないことの範囲を確定し、実質においてそれぞれの分限における人格的尊厳と自主性を保証したのである。身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた。尾藤正英は徳川期の社会構成原理を「役の体系」としてとらえる画期的な見地を提供している。「役」とは「個人もしくは家が負う社会的な義務の全体」であって、徳川期においては、身分すなわち職能に伴う「役」の観念にもとづいて社会が組織されることによって、各身分間に共感が成立し、各身分が対等の国家構成員であるという自覚がはぐくまれたと尾藤は論ずる。
 逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺京二 ISBN:4582765521

 武士は、知行として与えられた石高に比例して、それぞれ一定の数量の人と武器とを準備し、戦時にはそれだけの兵力を率いて主君に従軍する義務を負った。これを軍役と呼ぶ。これに対して農民は、保有する耕地の石高に比例して、米などの貢租を負担する義務を負うこととともに、村内の中級以上の農民には、夫役として築城などのための労働力を提供する義務があった。・・・これらの場合における「役」とは、狭義には労働を提供する義務のことであったが、広い意味では、その労働の負担を中心として個人もしくは家が負う社会的な義務の全体を指すものとして用いられる。
 以上に述べたような「役」の概念が、成立期における近世の社会の、いわば組織原理をなしていたことに着目すると、近世の社会の構造や、またその政治の動きについて、従来の通説とは異なった解釈をすることが可能になるように思われる。例えば徳川氏の幕府は、自己の権力と維持することを第一義として、対立勢力となりうる朝廷や大名にきびしい統制を加え、また武士や農民・町人にも生活様式の細部にわたる規制を加えて、社会の秩序を凍結状態に置こうとして、実際にもそことに成功した、という風に、この時期の歴史は説明されることが多い。しかし支配者の権力意志だけでは、二七〇年に及ぶ平和の維持を可能とした条件の説明としては、不十分であると思われる。むしろ右にみたような「役」の体系としての社会の組織を作りあげ、かつそれを強大な武力と法規との力により安定的に維持することをめざしたのが、この時期の支配者たちの主要な意図であって、それはある程度まで国民全体の要求にも合致するものであったために、その政策が成功し、その結果として政権の維持も可能になった、とみるべきではあるまいか。
 近世の「役」の体系に類似したものとして、中世には「職」の体系があったといわれる。「職」とは、本来は官職の意味で、七、八世紀には中国の制度を模倣して作られた古代的な官僚制国家の官職が、その後しだいに私有物化されることによって、中世のいわゆる封建的な社会組織が形成されたために、その封建的な領有の権力は、「職」の所有という形をとるのが普通であった。これが「職」の体系である。P34-46
 江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 (岩波現代文庫) 尾藤正英 ISBN:4006001584

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2 日本人の創造思考  外国かぶれ世代間闘争による新陳代謝システム

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武士は営利を嫌う禁欲的な支配者

武士は不思議な支配者層である。自ら倫理的に営利を抑止していた。領地をもちそこから上がる税を収入としたが、領地の直接の運営には関わらずそこに住む農民、商人に任せる。農民は自治運営し自ら学び生産性を向上させる。また農民は流通が発達していることから商売の副業にも勤しんでいた。税は基本的に土地の広さに比例したので、効率向上や副業までは管理されない。
武士は支配者層ではあるが、領地の管理を任された行政職の面が強かった。すなわち一つの役職だった。実質の支配者であった将軍でさえ、天皇から任命された役職である。このような傾向の理由の一つが元々、武士が下級貴族、あるいは農民であったからかもしれない。平安時代には貴族の護衛する下級貴族であり、また農民からの成り上がりである。
特に江戸時代に入り、戦がなくなった中で武士層を管理するために家康は大々的に儒教を取り入れた。質素で節制な生活、高い禁欲的自己管理、管理者としての人民のための徳ある振舞いが求められた。

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日本の悲惨な農民像は西洋史観により作られた

江戸時代に江戸は世界有数の大都市であった。経済活動も活発で物価連動するマクロ経済もあり、インフレ対策などの経済政策も検討された。このような市場を活用していたのが商人などで、武士はそこから利益をとることに熱心ではなかった。だから商人は身分が低かったが、市場の発達とともに大きな富を得ることができた。富に対する武士の管理は甘いものだった。
たとえば定期的に飢饉が起こり、厳しい武士から税の取り立てで食べるものもなく飢餓にあえぐ農民像が語られるが、実際はそう単純ではない。マクロ経済の影響が大きかったと言われる。飢饉になると市場での米の買い占めが起こり市場に出回らなくなり、一部の人々に米が出回らなくなる。マクロ経済政策が不十分な時代に経済のコントロールは不十分であった。
支配者がすべてを自らの所有物として実質的にも支配していた西洋と、支配者が職として任されて管理していた日本ではかなり異なる。日本で武士支配により農民があえぐ悲惨な像は、多くにおいて、明治以降に西洋文化が入り西洋のサヨ史観を日本にも投影したものである。実際に一揆などのピークは明治に入ってからである。

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村の知的コンサルタントとしてのお坊さん

農民による自治は当然、幕府の法のもと運営されていた。農民は法に基づき話し合い、方針を決め、武士と文書のやり取りを行った。民事的な裁判も活発であった。農民は農業書を読み、みずから学び改良を行った。
これらの知識理解に重要な役割を果たしたのが坊さんである。村に寺をたて、坊さんを囲い、知識を学んだ。特に坊さんは全国的なネットワークをもっていて、各地の情報も入ってくる。坊さんは村のコンサルタント的な位置付けにあった。それとともに坊さんは商業ネットワークを持っていた。流動性が高い坊さんは商業を行い活動の収入源にしていた。村を越えた大きな一揆が坊さんのネットワークをもとに起こっていることは有名である。

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仏教の現世利益にしかない興味がない日本人

仏教は聖徳太子の時代に中国から伝来したわけだが、当初は新しい高度な文化として上流階層を中心に受容された。特に仏教に求められた高度な超越論的体系ではなく、天災などの祈祷としてある。空海も祈祷の成功により認められる。
その後、平安末期、鎌倉時代と、仏教は民衆に受け入れられていくが、そこでも日本人が求めたのは現世のご御利益である。本質的に仏教な救いの教えよりも祈ればなんか良いことがあるのか。このような宗教に対する日本人の軽さは現代までかわらない。
このような日本人だから、親鸞にしろ、ただ唱えれば救われると、ある意味簡単な方法に至ったのだろう。このような環境の中で、仏教は全国的なネットワークを利用して、情報提供、語学教育、商業の手伝いなど、様々なサービスを提供することで、庶民に溶け込んでいった。

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中国の周辺の島国

やはり日本人というものを考える場合には島国という環境が大きいだろう。ただ島国ではなく、中国の周辺の島国ということ。縄文時代から西日本は韓国との交易が活発で、文化圏を形成していたが、その中心は中国から伝わる文化である。その時代から中国の世界最先端の文化を吸収していた。
また卑弥呼が魏に使者を送ったように権力者にとっても中国はとても重要だった。その巨大な権力にお墨付きをもらえること、さらには中国の最先端の技術を得ることで日本国内の権力闘争に有利に働くからだ。銅、鉄、それらを使った武器や、作物に関する技術を獲得することで、決定的に有利に働く。

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征服されたことがない日本人にとって外来文化は友好的なもの

日本の決定的な特徴はこのような中華文化圏の一部でありながら、中国権力に征服されたことがないということだ。それは単に島国ということだけでなく、間に韓国があるが重要だった。中国から日本を目指すためにはまず韓国を征服しなければならない。もっとも迫ったのが元だか、フビライが数回に渡り日本を目指したのはイスラムから欧州までも遠征したモンゴル帝国拡大への執着といえるだろう。日本征服が労力に見合う対価が見込めるとは思えない。
征服されたことがないということは日本人にとって決定的な特徴だ。逆に征服されるということがいかに決定的な経験を生むか。他民族に支配され、従属をしいられ、自文化を排除される。
このような経験がない日本人にとって外来文化は友好的なものとなる。さらに現代に至るまで日本人にとって外国文化にかぶれることは重要なことであり、日本の歴史は年輪のように重なる外来文化へのかぶれの歴史といえる。ラッキーなことに最初は中国、その後欧州、最近ではアメリカという世界最先端の文化にかぶれつづけることができた。

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現世利益を重視する日本流

日本人はとにかく外来文化が大好きですぐにかぶれるわけだか、もうひとつの特徴として、単に受け入れるだけでなく、自分なりにアレンジして日本流にしてしまう。では日本流とはなにか?日本人の特徴と言われるのが、超越的より現世利益を重視すると言われる。理念や理想よりもいまここになにができていかなる効果がえられるのか。
この世界の構造や社会のあり方の理想など超越論的思考は仏教やキリスト教など世界的に高い文化水準の特徴の一つである。日本に最初にこのような文化がもたらされたのは仏教だろう。その重厚な体系、深淵な理想を目指す高い理念など。しかし日本において仏教の受容はもっと現世利益だった。手を会わせれば何のご利益があるのか。いかに祈りは災いを排除してくれるのか。それは日本に豊作を祈り災害を緩和する土着の自然信仰とも融合していく。

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外国かぶれの世代間闘争による新陳代謝システム

自然信仰、現世利益と、日本人は、高度な文明へ展開する前の素朴な土着性を維持している。この素朴さの理由の一つが征服されたことがないということであり、疑似的に単一民族の感覚を残しているからだろう。ならば、遅れた文明の素朴な島国民でも良かったんだろうが、最新の文化が比較的身近にあり、素朴にかぶれる。
かぶれやすさの理由は、島国故の閉塞感があるだろう。たとえば年輪のように次々新たな外来文化にかぶれるが、そのサイクルが世代間競争の様相がある。ある世代が新たな文化にかぶれるとき、先の世代を古いと否定する。そしてさらに次の世代は新たな外来文化にかぶれて先世代を否定する。外来文化へのかぶれはこのような世代間の差異を産み出す。この運動は、島国、疑似単一民族という日本がもつ閉塞を打破する文化的な新陳代謝の役割を担っているのではないのだろうか。この運動は現代に至るまで日本人の特徴としてかわらない。

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下層の職の大系による助け合い、上層の外国文化かぶれによる世代間対立

では日本人の特徴まとめてみよう。固定的な下層にあるのは、島国で征服されたことがなく残存する土着性として、疑似日本人的な贈与の集団性。贈与が卑近のみでなく日本人全体へ張り巡らすための天皇を中心とした職(役割)の体系。この職の大系は、通常、基本は小さな集団の中で行われる贈与交換を疑似単一民族的に日本人全体に広げている。義理人情、おもてなしなしなどを支えている。
それに対して流動する上層として、その集団性からくる閉塞性と海外への低い警戒心からくる国外文化の吸収欲。閉塞を打破するための新陳代謝としての世代ごとの新たな海外文化へのかぶれ。かぶれた文化は深層に到達されアレンジされ、流行り廃れていく。面白いのは情報速度がかわったがこの構図は聖徳太子の時代から現代まで変わることがない。

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日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとえようとすると、誰でも容易に手がつかない所以は、研究の立ち遅れとか、研究方法の問題をこえて、対象そのものにふかく根ざした性質にあるのではなかろうか。・・・これはあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関係を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で −否定を通じてでも− 自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。
P4-5 「日本の思想」 丸山 真男 (ISBN:400412039X

日本において丸山真男がいう「古層」が抑圧されなかったのは、日本が海によって隔てられていたため、異民族に軍事的に征服されなかったからである、と。日本に入ってきた宗教が仏教であったがゆえに、「去勢」がおこらなかった、ということではない。仏教は特に寛容な宗教ではありません。逆にいって、一神教が特に苛酷だということもない。苛酷なのは、世界帝国による軍事的な征服と支配です。宗教がたんにその教えの「力」だけで世界に広まるということはない。その証拠に、世界宗教は、旧世界帝国の範囲内にしか広がっていないのです。世界帝国は多数の部族や国家を抑圧するために、世界宗教を必要とした。P104

「島」においては、自らの輪郭を維持するためのエネルギーが消費されず、また、外から何でも受け入れるが、プラグマディックにそれを処理して伝統規範的な力にとらわれず創造していくことが可能になる。こういえば、宣長が「やまと魂」と呼んだものが、いかにして生じたかが説明できます。日本列島には多くの種族が古来渡来してきていますが、軍事的な征服は一度もなかった。だから抑圧あるいは「去勢」がなかったのです。P111
「日本精神分析」 柄谷行人 (ISBN:4061598228