日本の神話と第一の波

pikarrr2015-11-06


古事記日本書紀。面白いことに、語られる地名や神話がいまも普通に使われている。日本中にたくさんの部落があり、交易など緩いネットワークでつながってたんだろうな。その中で力のあるものが行脚する。神武、景行天皇などの移動の神話は、中央との地域の相対化、その部落が武力、経済、技術などでどの程度の位置にあるか、を計るものだった。そこで今に続く多くの地名が名付けられたのは、まさに相対化、あなたたちは中央から見たらこういうことなんだよと。相対化がなければ、自分たちだけならそもそも地名なんかいらない。まさに日本がつながりできていく過程。

新技術とは稲作。天皇が各地を相対化する道具。日本では俗に言う第一の波平は、波のように押し寄せたわけではない。地政学的に、朝鮮半島という蛇口があり、そして一部の権力者に管理される形でやってきた。徐々に発展する段階を経なかったことも、衝撃的で、決定的だった。

そこで中国との関係が重要になる。中国は大中央だから、そこからの相対化が始まる。中国からの言葉、正規の任命、与えられた最新の製品、刀や鑑は大中央はこんなにすごく私たちはそこから認められた小中央なんだという相対化の意味付け。

第一の波平は、単に稲作技術ではない。経済革命であり、精神革命である。祭りを、すなわち権力を独占して、富を独占する。だから一気に、格差を生み出して、争乱を生み出した。倭人伝には生々しいしい格差を描いている。権力者に対してひれ伏す人民。日本人が外国文化が大好きなのは、この民族の記憶を抜きに語れないだろう。到来文化を獲得したものが次の権力を独占する。

しかしこのあと新たな精神革命がくる。仏教である。それをもとした聖徳太子の和。そこには第一の波平の前の、長い縄文期の穏やかな原始民主制からあまりに急激に変化した格差の反動があるのかもしれない。そして日本の神話の時代は終わる。

「ヤマト言葉では日常生活をケ (褻 )とよんでいるが 、 「ケガレ 」の本来の意味については 、日常の生命力が枯渇する 「褻枯れ 」とする説が有力である 。したがって神を迎え 、神威とふれあって生命力を振るいおこすために 、 「マツリ 」をするわけでもある 。神迎えの前には 「イミ 」の期間が必要とされる 。 「イミ 」には積極的に身を清める 「斎 」もあれば 、消極的に身を守る 「忌 」もある 。禊の原義は 「身滌ぎ 」とされているが 、禊や悪を払う祓には潔斎の意味もある 。

「イミ 」が終わって神を迎える 。日常のケ (褻 )から非日常のハレ (晴 )に入る 。 「マツリ 」の本番が始まる 。海 ・川 ・野をはじめとする種々の味物をお供えして祈る 。現在では神に 「 ○ ○をして下さい 」と祈願するのがそのほとんどだが 、たとえば 『延喜式 』のなかの最後の言葉が 「宣る 」で終る古い祝詞 (一〇例 )を読むと 、神への感謝と供え物の言葉のみがしるされていて 、特定の願いごとは書かれていない 。

そして 「鎮魂 」をする 。今では 「鎮魂 」といえば文字どおり魂を鎮めることとされているが 、古くは 「鎮魂 」を 「ミタマフリ 」と訓んでいた 。神をまつり 、神威とふれあって 、衰微したタマシヒを振るい起たすことが 「鎮魂 」のもとの姿であった (視力の衰えをメシヒというように 、タマの衰えがタマシヒである ) 。「マツリ 」の本番が済むと 、非日常のハレから日常のケにもどる 。神送りを済ませて 「直会 」になる 。神に供えた御酒などを飲んで 、ハレからケに直りあうのである 。そして酒盛りすなわち 「饗宴 」になる 。

日本のマツリを特徴づけるのは 、春のイネの種まきと秋のイネの収穫である 。現在でも日本の各地で実施されている春の祈年祭はその予祝祭であり 、秋の新嘗祭はその収穫祭である 。日本の春まつり ・秋まつりの前提がイネの水稲文化によって形づくられていったことは 、多くの民俗調査からも明らかになっている 。


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私がこの神話でもっとも重視するところは 、高天原の主宰神とされる天照大 (御 )神が 、高天原でみずから 「営田 」した 「水田種子 」 (稲 )を天降る 「天孫 」に「神授 」し 、粟 ・稗 ・麦 ・豆の 「陸田種子 」をこの世に生きている民の食物とする認識にもとづいて位置づけている点である 。神話構成上の認識としては 、水稲は支配者層の文化を象徴し 、粟 ・稗 ・麦 ・豆などの 「陸田種子 」は被支配者層の文化としてシンボライズされている 。

弥生時代以降 、稲作を中心とするマツリは支配者層においてまずひろがり 、水稲耕作の拡大によって 、民衆生活においても重要な意味あいをもつようになるが 、民衆の間にあっては 、粟や麦など焼畑耕作にうかがわれるような非稲作の文化のくらしを営んでいた 。


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弥生時代の中期をすぎると 、政治的な支配と従属の関係はだんだんと顕著になり 、有力な支配集団の長は 、部族の共同利害にかかわる職能 、たとえば裁判 ・水利 ・呪術的宗教などにかんする職能を独占し集中して 、人々を統率し支配する者へと変貌してゆく 。とりわけ狩猟 ・漁撈 ・採集の段階から 、牧畜の段階をへずに 、きわめて早熟的に農耕生活に移行した弥生時代にあっては 、集団の構成メンバ ーの自立性 ・個別性は弱く 、原始的な共同体的関係は徐々に変化しながらも 、支配と従属のしくみが 、なお共同体の首長を頂点としてできあがる形をとった 。集団を構成する家父長層の相互の結合というよりも 、首長層と集団の支配 ・被支配関係が 、その政治的社会を特色づける 。そして私的富は 、まず集団の首長たちに蓄積されていった 。支配者たちは 、より多くの労働用具や労働力を駆使して 、共同労働 ・共同経営を行うかたわら 、その一部を私的なものにすりかえていった 。神まつりなどの機能を掌握し 、一定の私有財が形づくられたところには 、首長の地位の世襲化がすすむ 。相続すべきもののないところには世襲という現象はおこりえない 。しかも社会的職能を集中する人の死は 、その人物を中心とする集団にとっては深刻である 。


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