なぜ日本人は下層まで自主的で自由だったのか  慈悲交換のエコノミー

pikarrr2016-02-09

仏教の悟りとコンテクスト操作


有名な現代美術の作品にマルセル・デュシャンの「泉」がある。ただの便器だけの作品であり、それを美術館に美術作品として展示されたときに物議を醸しだした。ここであぶり出されたのは、芸術とはなにかということだ。一般的にすばらしのは芸術作品そのもので、美術館は芸術品を陳列するだけのただの箱であると考えられていた。しかし美術館にただの便器が芸術作品として陳列されたとき、人々はその意味に混乱し宙づりされた。ほんとうにすばらしいのは芸術作品そのものか、美術館に陳列されるという文脈(コンテクスト)がその作品をすばらしいものに見せているのではないか。

このようなコンテクスト操作が美術館で行われたことが画期的だったが、言語表現の分野ではコンテクスト操作の活用は修辞(レトリック)として一般的である。たとえば文学、詩、演説などで文脈(コンテクスト)の中に違和感のある言葉を入れることで人々はその意味を読み取ろうとして宙づりにされて、自ら詩的、哲学的な意味を読み取る。

さらに仏教では、コンテクスト操作が悟りのための技術として重視されている。たとえば仏教の中心的な概念である慈悲は、「より親しくない人により多くを与える」修養である。通常の人の感覚では、より多くを与えるのはより親しい人である。それが「より親しくない人に多くを与えよ!」というときに、「私にとってより親しい人」とはなにか。すなわち「私」とはなにか。日常のコンテクストから切りはなされたときに「私」の意味が宙づりになる。

仏教の基本は無我論である。我を滅することで苦が消滅すると考える。仏教的な「私」とはなにかとは、「私」を西洋哲学のように論理的に表そうということではなく、我有り/我無しという言語の向こうの無我=空によって、我を滅することを目指す。さらに仏教においてコンテクスト操作が無我のためにより積極的に活用されるのが、禅問答である。論理的には意味が不明な問答によって、文脈(コンテクスト)を破壊し、「私」を宙づりにする。




なぜ日本人は抽象的、修辞的(レトリック)な表現・操作が得意なのか


日本人が初めて体系的な思想を獲得したのは仏教で、以来千五百年、日本の中で大きな役割を持って維持されてきた。いまや葬式仏教に落ちぶれたようだが、その思想はいまも日本人の肉となっている。だから日本人は、生まれたときからこのような仏教的なコンテクスト操作を訓練される。そのような訓練をされた覚えがないというが、日本人の善として慈悲の「より親しくない人に多くを与えよ」がおかれ、その文化の中で育つことで自ずと訓練されている。

これによって日本人はコンテクスト操作にたけている。論理的でなく、抽象的、修辞的(レトリック)な表現・操作が得意である。だから西洋人に日本人は曖昧だと言われてる。西洋人は日本人ほどに抽象的、修辞的(レトリック)な表現・操作が苦手であり、論理的に明確に説明されないと理解できないし、宙づりにされて不安になってしまう。だから多くにおいて日本人のコミュニケーションにイライラしてしまう。

さらにコンテクスト操作の特徴は、意味が宙づりにされる故に静止することができない。「より親しくない人に多くを与えよ」という意味の宙づりによって、「他者への配慮」という終わりない改善運動を生み出される。日本人の勤勉さ、清潔さ、カイゼン、品質向上などの運動は、ここから来ている面が大きい。日本人は「より親しくない人に多くを与えよ」というのろいの呪文がかけられたとも言えるかもしれない。

外人に人気の日本庭園も、まさに日本人の否定の契機によるコンテクスト操作を芸術として昇華しいる。自然そのままではなく、俯瞰してみる。当たり前の日常の自然を美術として見せる装置(美術館)に置くことで芸術作品とするコンテクスト操作によってわびさび的な深遠な意味を生み出している。まさに日本人の日常的な思考方法によって芸術として表現されている。




なぜ日本人は下層まで知的だったのか


重要なことは、日本人の基本が否定を契機とすることだ。世界をただそのまま受け取らず、一回否定する。否定するとはネガティブな感じだが、俯瞰してみる。俯瞰してみるとことは、コンテクストから切りはなしてみるというコンテクスト操作である。このようなコンテクスト操作は知的行為全般では当然行われることだが、日本人は知識人とかでなくとも、庶民レベルから備わっていたことがすごい。

江戸末期に来日した西洋人が農民や使用人などの下層レベルから、当たり前のように日々の改善努力することに驚いている。西洋の下層は往々にしてただ従順で主人の命令に従うだけであるから、日本人の使用人が主人の命令の前に自ら配慮し改善を行うことに、逆に不快に思ったともいう。そしてこの自主性は、西洋的な身分制=従属的では語れない日本人的な民主制さえも表れている。

これは、明治中期になってからのことだが、アリス・ベーコンはこう言っている。「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく、責任を持たされているのはたいへん興味深いことだと思います。彼らの態度や振る舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心をのこしているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでもよい地位を占めているように思えます」。召使が言いつけたとおりでなく、主人にとってベストだと自分が考えるとおりにするのに、アリスは「はじめのうちたいそう癪にさわった。しかし何度か経験するうちに、召使の方がただしいのだと彼女は悟ったのである。
彼女は主著"JapaneseGirlandWomen"においてこの問題をもっと詳しく論じている。「外国人にとって家庭使用人の地位は、日本に到着したその日から、初めのうちは大変な当惑の源となる。使える家族に対する彼らの関係には一種の自由がある。その自由はアメリカでならば無礼で独尊的な振る舞いとみなされるし、多くの場合、命令に対する直接の不服従の形をとるように思われる。家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、自分が最善と思うやり方で行う。命令にたんに盲従するのは、日本の召使にとって美徳とはみなされない。彼は自分の考えに従って事を運ぶのでなければならぬ。もし主人の命令に納得がいかないならば、その命令は実行されない。日本での家政はつましいアメリカの主婦にとってしばしば絶望の種となる。というのは彼女は自分の国では、自分が所帯の仕事のあらゆる細部まで支配するからであって、使用人には手を使う機械的労働だけしか与えないという状態になれているからだ。
彼女はまず、彼女の東洋の使用人に、彼女が故国でし慣れているやり方で、こんな風にするのですよと教えようとする。だが使用人が彼女の教えたとおりにする見込みは百にひとつしかない。ほかの九十九の場合、彼は期待通りの結果はなし遂げるけれど、そのやりかたはアメリカの主婦が慣れているのとはまったく異なっている。
使用人は自分のすることに責任をもとうとしており、たんに手だけではなく意志と知力によって彼女に仕えようとしているのだと悟ったとき、彼女はやがて、彼女自身と彼女の利害を保護し思慮深く見守ろうとする彼らに、自分をゆだねようという気になる。
外国人との接触によって日本人の従者が、われわれが召使の標準的態度とみなす態度、つまり黙って主人に従う態度を身につけている条約項においてさえ、彼らは自分で物事を判断する権利を放棄していないし、もし忠実で正直であるならば、仮にそれが命令への不服従を意味するとしても、雇い主の為に最善を計ろうとするのだ」。

「逝きし世の面影」 日本渡辺京二 (ISBN:4582765521

ここに至ってわれわれはチェンバレンが「日本にはほとんど専制的ともいうべき政治が存在し(むろん、彼は明治時代の専制を指している)、細密な礼法体系があるけれども、一般的に日本や極東の人びとは、大西洋の両側のアングロサクソン人よりも根底においては民主的であるという事実が、初めのうちは表面から隠れていて見逃されがちである」と書いた理由を了解する。
平伏を含む下級者の上級者への一見屈従的な儀礼は身分制の潤滑油にほかならなかった。その儀礼さえ守っておけば、下級者はあとは自己の人格的独立を確保することができたからである。
身分制は専制と奴隷的屈従を意味するものではなかった。むしろ、それぞれの身分のできることとできないことの範囲を確定し、実質においてそれぞれの分限における人格的尊厳と自主性を保証したのである。身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた。
尾藤正英は徳川期の社会構成原理を「役の体系」としてとらえる画期的な見地を提供している。「役」とは「個人もしくは家が負う社会的な義務の全体」であって、徳川期においては、身分すなわち職能に伴う「役」の観念にもとづいて社会が組織されることによって、各身分間に共感が成立し、各身分が対等の国家構成員であるという自覚がはぐくまれたと尾藤は論ずる。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺京二 ISBN:4582765521


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