なぜ日本人は世間体を気にするのか 慈悲交換のエコノミー

pikarrr2016-02-10

1)聖徳太子「世間は虚仮(こけ)なり、唯だ仏のみ是れ真なり」


「世間」という言葉は、六世紀仏教伝来とともに伝わった。その意味は、「世間は虚仮(こけ)なり、唯だ仏のみ是れ真なり」(聖徳太子)に現れている。すなわち仏教の諸行無常的なこの世界である。そして仏が救済する対象としての世界である。それが、やがて仏教的な意味が薄れ、日常用語として、「この世」「世の中」「社会」として使われた。

語源由来辞典 世間
世間は本来仏教語。「場所」を意味するサンスクリット語「loka」の漢訳で、「世(せ)」「世界」とも訳される。「世」は変化してやまないこと、「間」は空間の意味。つまり物事が起こり、滅ぶ空間的な広がりのことで、「無常」「煩悩」の場所を指した。この世の悩みや迷いから離れることや、煩悩を乗り越えることを「出世間」といい、「出世」の語源にもなっている。




2)「社会」は明治に広まる

wiki  社会
19世紀半ばまでの日本語には「社会」という単語はなく、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。

語源辞典 社会
【意味】 社会とは、人間が共同生活を営む際のまとまった組織や、その相互関係。世の中。世間。同類の仲間や集団。
【社会の語源・由来】
社会は、福地源一郎(福地桜痴)による英語「society」の訳語。明治初期まで「society」に相当する訳語は存在せず、「交際」「仲間」「連中」「組」「俗間」「社中」などが当てられていた。その中で、明治8年(1875年)、福地源一郎が『東京日日新聞』に「ソサイエチー」のルビ付きで「社會(社会)」の語を使用したことで、「社会」という訳語が定着した。ただし、当初は「小さな共同体」「会社」など狭い意味で用いられており、明治10年頃から一般にも普及し、現在のように広い意味で用いられるようになっていった。

明治以前には、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。明治以降、「社会」が使われるようになったが、単に言葉の入れ替わりではなく、その時代のシステムに対応して、「社会」は民主的、資本主義的な意味をもつ。

その基本の交換様式は、等価交換である。独立した個人間で、価値が等価であると互いに合意して交換する。誰にでも等しく交換の機会が与えられて、より多くを得るために価値を高める改善が行われ、価値交換の競争が行われる。




なぜ「世間」はマイナスなイメージになったのか


世間をはばかる、世間体を気にする、世間体がいい、世間がせまい、世間知らず、世間ずれ、世間なれ、世間に顔むけができない、世間沙汰、渡る世間に鬼はなし、世間なみ、世間ばなし・・・いまでも用語に現れるように、世間は「社会」とは異なるエコノミーをもつ。そしてそのエコノミーはその語源からもわかるように仏教的な基準が働いている。すなわち慈悲交換のエコにミーである。「より親しくない人により多くを与える」ことが善。世間とはこのような価値が働くことで秩序維持される経済圏である。

明治において、近代化が進められ、世間が社会に変わる中で、世間と社会は衝突し、世間はマイナスで語られることが多くなった。一つは、経済圏のあり方が違う。世間では、我を滅するのに対して、社会では個人が重視される。社会では個の価値(利益)が重視されるに、世間では集団の全体の価値(集団全体の平安を目指す)が重視され、個は絶えず集団への配慮が求められる。さらに近代開国の中で世間が日本人に閉じていたことがあるだろう。近代なってグローバル化が進む中で、閉鎖的と考えられた。

そこから世間体/本音の対立が生まれてきた。本音は個を重視した強い意思という西洋キリスト教的な正義のイメージであり、世間は本音を抑圧し集団に迎合する嘘という悪いイメージである。

西鶴の町人生活を描いた三つの作品(「日本永代蔵」、「世間胸算用」、「西鶴織留」)にみるかぎり、「うき世」は、概して「あの世」(冥土)にたいする「この世」の意としてもちいられている。・・・いっぽう、「世間」の用法はといえば、これもきわめて現世的であった。仏教用語としての「世間」はとっくに姿を消して、すぐれて人間くさい意味をあらわす言葉となっている。「世間」はもっぱら、より町人の日常生活に身近な社会や、状況の意味としてもちいられているのである。

・・・要するに、西鶴が(永代蔵で)いうには、この世にある願いは、人の命をのぞけば、金銀の力でかなわないことはない。夢のような願いはすてて、近道にそれぞれの家業をはげむがよろしい。人のしあわせは、堅実な生活ぶりにある。つねに油断してはならない。ことに「世間」の道徳を第一として、神仏をまつるべきである。これが、わが国の風俗というものだ、ということである。そもそも商売は、町人にとって生涯の仕事であり、親子代々に伝える家業であった。西鶴は、自分と家業との関係において、家業にはげみ、諸事倹約をまもることの必要性を説くいっぽう、<家業>と<世間>との関係において、「世間」の道徳にしたがうことの必要性を説いているのである。

・・・西鶴の作品には、「世間」を道徳基準のよりどころとするような表現がなんと多いことであろうか。たとえば「世間並に夜をふかざす、人よりはやく朝起して、其家の商売をゆだんなく、たとへつかみ取りありとも、家業の外の買置物をする事なかれ」、というふうにである。P60-66

「世間体」の構造 社会心理史への試み 井上忠司 講談社学術文庫 ISBN:406159852X

あたかも、母が己が独り子をば、身命を賭けても守護するごとく、そのごとく一切の生けるものに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に下にまた横に、障礙(しょうがい)なき遺恨なき敵意なき(慈しみを行うべし)。立ちつつも歩みつつも坐しつつも臥(ふ)しつつも、睡眠をはなれたる限りは、この(慈しみの)心づかいを確立せしむべし。この(仏教の)中にては、この状態を(慈しみの)崇高な境地(梵住)と呼ぶ。

スッタニパ−タ