百姓の力 江戸時代から見える日本 渡辺尚志 ISBN:4044000034
1)15世紀以前 惣村が成立する前の村
法的・政治的主体として公認されていない
村をいくつか合わせて枠組みである庄や郷の単位で領主と交渉
2)15世紀後半から16世紀 戦国時代
気候が寒冷化し飢饉が頻発、さらに戦国の争乱
<惣村の成立>
自ら武力をもって防衛
村掟という村独自の法を定めて秩序維持
土地や貨幣などの村有財産をもつ
家ごとに労働力を提供させるなどの村役を賦課
領主にかわって年貢・諸役の徴収・納入を請け負う
村の指導者は土豪(有力農民)や侍(地侍)たち
3)17世紀 江戸時代
気候のいくぶん温暖化
統一政権の成立。
水利灌漑。治水工事
人口と耕地面積が急増 人口2倍、耕地面積約1.8倍
17世紀における農業生産力の発展がめざましい
牛馬の飼育と厩肥の使用が一般化
<江戸時代の村>
各地の新田村が生まれる
兵農分離。侍層の経済力低下。
商脳分離。村の商人が城下町へ移住。
自立経営を営む小農が大量の生まれた「小農自立」。村内の社会関係の平準化。
高請地を自己の所持地とする明確な意識の成立。
検地・検見による「検地帳」が逆に土地所有権の根拠となる
<家の成立>
共同同で生業を営む生活・生産の単位
家を守り、家産をきちんと子孫に伝えることは、多くの百姓の生き甲斐
「家名」・・・家長は同じ名前を名乗る
「家業」・・・百姓の多くは農業
「家産」・・・家に代々伝わる財産
過去から未来へ永続するもの
死んだ祖先やこれから生まれる子孫までが含まれる。
百姓たちの経営もしだいに安定し、親子代々、同じ村で家が続いていくようになる
<百姓>
土地を所持し自立した経営を営み、領主と村に対して年貢・役などの負担を果たし、村と領主の双方から百姓と認められた者に与えられる身分
農業中心の村でも、漁業、炭生産など複合的な生業を営む
<村と領主>
「村請制」
領主は村全体の納入額と割付の原則を示すだけで、あとの個別の割当・徴収は、すべて村に任せている。
治安警察・消防・教育・医療など、生活上重要な諸機能は基本的に村が果たしていた。
領主と百姓との関係は、双務的な関係
年貢の取り立てには、たとえ形式的な側面があったとしても両当事者の合意が必要とされた。納得できなければ、百 姓側は異記申し立て行うこともできた。
領主は百姓に「仁政」を施し、「百姓成立」を支えるべき責任を負っていた。
財政難などにより「仁政」を施せなくなった領主は、百姓から厳しく批判された。
4)江戸時代後期
商品・貨幣経済や交通・物流網の発達
村を越えた人々の結びつきが拡大
商業的農業
村を越えたネットワーク=同業者組織
農業以外の稼業に携わる人が増加
年貢率 農業には47%、非農業2%以下
例 総生産高だが52%農業生産高、48%非農業生産高
江戸時代の税制は土地が富の源泉と考えられていた
市場経済の発展の中で格差が広がる
非農業部門に専業化しなかった理由 農業で勤勉に働き、先祖代々家に伝わる所持地を子孫に伝える