日本人の世間のエコノミー 慈悲型資本主義 その4

現代のエコノミーの全体像


資本主義社会なので、エコノミーの基本は、「商品等価交換」の市場で自由競争によって、経済発展し、豊かになった。しかし自由競争だけでは、上手くいかない。「再配分」の国家は、インフラ整備で、経済発展を助けて、また自由競争でこぼれ落ちた弱者を、富の再配分で救済する。もっと生活レベルでは、「贈与交換」が身内や近所の助け合いもまた補完的に働く。そして、さらに弱者には即効的に、強者から「慈愛」の弱者救済、ボランティア、炊き出しなどの救済が行われる。これらがエコノミーの全体像だ。

交換様式


商品等価交換
再配分
贈与交換
慈愛




世間がバッシングするエコノミー


日本人には、エコノミーとして「慈悲」による世間が働いている。贈与交換は、信頼できる身内で貸し借りとして働いた。慈悲は、贈与交換を身内から世間に広げたものと考えれば良い。贈与交換では身内なので貸せばいつか返ってくる。しかしそれを世間に広げれば、知らない人たちなので、貸しても返ってくる保証はない。だから返ってこない覚悟で与えなければならない。しかしみんながそうすればいつか回りまわって返ってくる。いつか返ってくるためには、みんなが返ってこないことを覚悟で与えなければならい。一人でも身内だけのことだけ考えたら、返ってこなくなってしまう。みんなが返ってこないことを覚悟に知らない人に与える集団、それが世間である。

これが可能なのは日本の特殊事情による。島国という閉鎖空間、擬似的な単一民族であること。仮に誰かがずるをしても逃げられない。身内に、そして祖先、子々孫々まで世間は忘れない。だから逃げるのが難しい。だから日本人はみな世間のために貢献する。天皇が重要であるのは世間の象徴だからだ。天皇が祖先、子々孫々と安定して続いていることは、世間が機能していることだ。




職分を通して行う慈悲を行う世間


実際、貴族層以外、系譜は怪しい。寿命も短く、安定的な結婚制度もない。家系が安定するのは、江戸時代前後だ。だから世間が成熟したのも江戸時代だが、天皇が太古から続いていること、それが安定的な系譜があったよう、さらに続くように見せる。江戸時代の世間の成形に慈悲の貢献は大きい。

戦国時代のイメージと違い、戦国時代は、貨幣経済が広がり、古い荘園による拘束が崩れて、農民たちが自立し、土地に根付いて系譜が続き始めた。すると、死後の安楽を求めて、葬儀が営まれて、墓が作られ、極楽にいくことをのぞみ、信心する。鈴木正三は、まさにその時代に慈悲による死後も安定を説くが、その天才は、慈悲を、職を通して可能にしたことだ。だれもがもつ職を通した慈悲を可能にし、職分網として世間を作り出した。

どの仕事もみな仏道修行である。人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。仏道修行で無い仕事はあるはずがない。一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為となることをもって知るべきである。鍛冶・番匠を始めとして諸々の職人がいなくては世の中の大切な箇所が調わない。武士がなくては世が治まらない。農人がいなければ世の中の食物が無くなってしまう。商人がいなければ世の中の[物を]自から移動させる働きが成立しない。このほかあらゆる役分として為すべき仕事が出てきて世の為となっている。天地を指した人もいる。文字を造り出した人もいる。五臓を分けて医道を施す人もいる。その種類は数えきれないほど現れて世の為となっているけれど、これらすべて一仏の功徳の働きである。このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。

万民徳用 鈴木正三