非貨幣経済としての慈悲エコノミー効果の絶大

貨幣経済と非貨幣経済


現代の一般的な経済学は貨幣および貨幣価値化された商品の交換を対象にします。これを貨幣経済といいます。たとえば国民総生産GDP貨幣経済による国の富を算出します。これとは別に非貨幣経済があると言われます。たとえば主婦の家事仕事は価値を生んでいますが、貨幣価値化はされておらず、貨幣経済に含まれません。最近、ドラマの「逃げ恥」では、この主婦労働を貨幣価値化して貨幣経済価値とするところから始まる物語です。あるいは、ネット上に公開されている個人のホームページは多くの労働時間が費やされていますが無償で公開されています。価値がありますが、その労働は非貨幣経済です。自給自足、いまでいうDIYもまた価値を生み出しますが非貨幣経済です。これらの非貨幣経済は国民総生産GDPには含まれませんが、貨幣経済と同じ程度の規模があると言われています。

さらには、贈与交換や無償贈与。貨幣価値化されたものの贈与は税金もかかり貨幣経済の一部になりますが、奉仕などのサービス労働は非貨幣経済でしょう。非貨幣経済の内容を分類すると

1 自給自足・・・DIY、自炊
2 返礼が期待できる贈与交換・・・助け合い、主婦の家事仕事、子育て?
3 返礼が期待しない無償の贈与・・・奉仕、ボランティア




西洋人の慈愛に対する日本人の慈悲の面倒臭さ


問題は3の返礼が期待できない無償の贈与ですね。キリスト教圏には慈愛の文化があります。困った人を助ける。寄付やボランティアが日本より社会に深く発達しています。最近では日本人も西洋人を真似てボランティアが増えてきましたが、方や日本には伝統的な仏教の慈悲の文化があります。慈悲行の代表はお布施です。

仏教の実践(慈悲行) 六波羅蜜智慧の完成(般若波羅密多)のための6つの実践

1.布施 ふせ ほどこす
人のために惜しみなく何か善いことをする。善行には有形と無形のものがあります。有形のものを財施といいます。お金や品物などを施す場合です。
無形のものは、
● 知識や教えなどの法施
● 明るく優しい顔で接する眼施・顔施
● 温かい言葉をかける言施
● 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施
● 何かをお手伝いする身施
● 善い行いをほめる心施
● 場所を提供する座施・舍施、などがあります。
施しは、施す者、施しを受ける者、施すもの、すべてが清らかでなければいけません。欲張りのない心での行いを施しといいます。あえて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。また受ける側もそれ以上を望んだり、くり返されることを期待してはいけません。


やさしい仏教入門 http://tobifudo.jp/newmon/etc/rokuhara.html

キリスト教の慈愛が、困っている人を助けるという直接的でわかりやすいのに対して、慈悲は面倒くさいです。困っているから助けると直接的にはいかない。慈悲は弱者救済ではない。相手が弱者と思った時点で、こちらは強者となり「清らか」ではない。仏教においては人類すべてが弱者です。そして弱者として救済されると恥になります。これが慈悲の難しさの一つです。

たとえば西洋人から「日本人は、老人や妊婦など社会的な弱者に対して冷たい。」と指摘されることがありますが、キリスト教の慈愛のように慈悲が直接的な救済でないことが理由かもしれません。困った人を助けるときに、相手が恥をかかないかと躊躇してしまいます。

この慈悲の面倒臭さを理解するには、慈悲行が普及した武士道にさかのぼるとわかりやすいでしょう。武士の高いプライドは、慈悲の影響を受けています。困っている武士に手を差し伸べることはとても配慮がいることです。無配慮に助けると武士は恥をかき、その恥をそそぐために自らの死を捧げます。施す者は恥をかかないような配慮、施しを受ける者は恩を返すことの配慮、また施すものも清らかでなければならない。それが慈悲の理想です。




慈悲を職分仏行論へ展開する


このために考えられたのが、職分仏行論です。誰が誰を助けるんじゃなくて、みんながみんなのために、無償で頑張ろう。みんなが自分の職分を自分の利益を超えて、「世間よし!」と考えで、頑張れば、それが慈悲行じゃないか!徳川家康士農工商という統治体制とともに職分仏行論を重視して、江戸時代には仏教徒であることを超えて、「職への勤勉さ」が世間の倫理になります。

その後、明治以降の資本主義経済の全面化にともない、日本でも西洋と同じように資本家と労働者という格差が顕在化し、労働者は悪劣な動労環境、長時間労働、不当な低賃金などからストライキなど労働運動を行い、社会主義思想が広がります。

西洋では、ここからプロレタリア革命、さらに共産主義という方向へ向かいましたが、日本では、経営家族主義へと進みました。労働状況の改善とともに、資本家と労働者の関係を親子関係になぞらえて、会社は労働者の生活を保証するとともに、従業員には会社への忠誠を求めます。これは、現在まで続く、終身雇用、年功序列護送船団方式(企業系列体制)へ繋がります。ここに、日本人がもつ「職への勤勉さ」、それを世間の倫理とする統治技術としての職分主義の影響があります。

労働争議件数は日清・日露両戦争の直後に大きなピークをみせている。政府が1900年に集会及政社法を廃止してブルジョアジーや地主の政党活動の自由を保証する反面、治安警察法とくに第17条によって労働組合労働争議・小作争議を事実上禁止した背景には、労働争議のかかる高揚があったのである。治安警察法は幼弱な労働組合を圧殺したが、労働争議の件数は必ずしも減少せず、1906〜07年には軍工廠(かいぐんこうしょう)・大造船所・大鉱山で大規模な労働争議が続発し、製糸・紡績などの分野でも争議が相次いだ。日露戦後段階の争議は自覚性・組織性において限界を有しつつも産業革命を通じて生み出されたプロレタリアートの成長の到達点をそれなりに示すものであり、それに対応して独占的大経営は企業内福利施設と経営家族主義イデオロギーによる労働者の企業内定着=包摂に力を入れ、政府は工場法制定と大逆事件というアメとムチの政策を打ち出していく。P258


日本経済史 石井寛治 ISBN:4130420399




職分主義による非貨幣経済が日本を世界有数の経済大国にした


話を戻して、職分主義の経済効果はいかほどでしょうか?労働者の賃金を超えた労働による成果という非貨幣経済が、日本の経済成長に与えた効果は計り知れないですね。最近、サービス残業ということが問題になっていますが、職分主義の成果は、単に労働時間のサービスを超えます。頭脳労働なら、労働時間を越えて考えることができます。肉体労働でも日本の労働者は単に処理するのではなく改善を考えます。さらに仕事のためのスキルアップ。休日によい仕事をするために無償で勉強します。資格取りも日本人は大好きです。多くの日本人が賃金を超えて、仕事を生活全面化させます。

商品は当然人件費が転嫁されて価格が決まりますが、そこには無償の労働価値が含まれているわけです。消費者はありがたい慈悲を受け取っているわけです。日本人は消費者でありまた労働者なので、世間レベルで見れば、贈与返礼しあいながら、経済を成長させて、日本人全体の豊かさを高めて、世界有数の経済大国になったのです。