石田梅岩 峻厳なる町人道徳家の孤影  森田健司 ISBN:4780307686

石田梅岩 (未来への歴史)

石田梅岩 (未来への歴史)




石田梅岩の職分主義

士農工商は、天下が治まるために役立ちます。その中の一つでも欠けてしまったら、世の中はうまく動かなくなるでしょう。士農工商を治めるのは君主の仕事であり、君主を助けるのは、士農工商の仕事です。侍は、位をもった臣下です。農民は、野にある臣下で、商工は市井の臣下なのです。臣としては、君主を助けるのが正しい道です。(石田梅岩)

梅岩は、士農工商の全てが、それぞれに価値があり、それが欠けても社会は維持存続できないと述べる。つまり士農工商という序列が決められていようとも、どの身分や仕事も、重要さの度合いでは一切変わるところがない、ということである。彼は続けて、こうも言っている。

商人が売買するのは、世の中の助けとなります。作業に対する手間賃は、職人にとっての俸禄です。農民の農閑期の休みがあることも、武士の俸禄と同じです。全ての人が、それぞれの仕事を行わなければ、世の中は成り立たないのです。(石田梅岩

・・・商人の社会的役割とその価値を力強く主張する一方、商人たちには正直と正義に適った行動を要請する。短期的な金銭的利益よりも、心を育てることで、長期的な利益を選ぶべき、ということだろう。彼の教説が、後に心学という名称で呼ばれることも納得ができる話である。

・・・しかし注意しなければならないのは、正直や正義、あるいは先を立てるということを「意識して実践している」段階は梅岩の学においては、まだ道半ばなのである。例えば、長期的利益を考えてしまうことは、本質的に私欲を離れられていない。性を知るとは、このそれぞれを、全く自然に、当然のこととして為せる段階に至ることでもある。P105-108

もし、天に与えられた通り、形に従って生きれば、心はスムーズに働き、よって本来の正しい心の状態を獲得することができるだろう。「荘子 外編」の話はこのような解釈が可能になるものである。

梅岩が、これを自説に組み込んだ。人が、自身の心を知り、それを本源である性に至らしめるためには、形に従って生きる必要がある。その形とは何か、と問われれば、まずは職分であると答えよう。職分とは、「その職務にある者がしなければならないこと」であり、もっとも簡単な言葉に言い換えるならば、仕事としても良いだろう。

つまり、今与えられている仕事に励むことは、心を性へと近付ける修養となる。そう、彼はといたのである。これは当時において画期的な教えだった。
・・・これによって、梅岩の学は、学問をして道徳的に成長しつつ、仕事にも全力で取り組む人々を作り出すものとなった。独特の修養論が、ここに誕生する。これこそが同時代の他の思想と梅岩のそれを、本質的に峻別するものなのである。P117