近代天皇像の形成 安丸良夫 (時系列整理)

16世紀前

  • 正月と盆の行事は、現代の私たちの心意では、一方は神道的、他方は仏教的と対照的な性格をもっているが、祖霊崇拝と田の神信仰のさらに基底に、共同体のなかに住みついたり外から共同体が狙っている、災厄をもたらす亡霊をおき、それを悪霊として共同体の外に追放する。
  • 適切に祀られる機会に恵まれなかった人間の亡霊。中世ではこうした亡霊が跳梁して、それへの畏怖が、社会的政治的意識の重要な内容となっていて、政治的事件に大きな影響を与えたりした。




16世紀以降  家、村の形成、仏教の普及

  • 十六世紀末以降にはじめて一般化し、庶民レベルでは、墓や仏壇・位牌などが作られて、祖霊崇拝が重んじられるようになった。
  • 近世に入ると、亡霊たちの地位は零落し、また容易に成仏して人間に危害を加えないようになった。
  • 十六世紀を境に日本人の宗教意識に大きな転換があったのだが、それにもかかわらず、なにか大きな不幸があると、それは遺執を残して死んだ人の亡霊の祟りだとする心意は、近世にはいってもつよく存続しており、それはとりわけ民衆の宗教意識を規制し続けた。
  • 民俗信仰は、仏教がとらえることのできない、民衆のより現実的な宗教的願望に応える存在として広く存在していた。
  • 民衆はその欲求・願望・活動力を現実化。
  • 村の氏神と祭礼、若者組、講、特定の現世利益をもたらす神仏、開帳や縁日、寺院参詣の旅、村を訪れる下級の宗教者、流行神、神懸りと託宣など。
  • 若者組が主要な担い手となって、華麗な祭礼を競うことに厖大なエネルギーが注ぎこまれて、祭礼は広汎な人びとの欲求を解放するハレの時空となったのであろう。




18世紀以降  勤勉、天皇

  • 十八世紀後半からの約一世紀間、歴史の現実のなかでは、祭礼などの民俗的世界は反秩序的な性格をもって躍動しており、それを秩序の理念にそって編成替えすることで天皇制国家の秩序が作り出された
  • 近代天皇制国家の形成過程が、祭祀と祭日の転換、淫祀と民俗行事の抑圧、若者組の抑圧と講の再編成などを重要な内実としていた
  • 十九世紀にはいって、対外的危機が、たとえ内容的には漠然とにしろ、しだいに自覚化されてくると、地域社会の側から求められる秩序像は、しだいにナショナルな色彩をもつようになり、結局は権威ある中心を求めて、天皇崇拝や国体論と結合するようになった。
  • 心学、報徳社、不二道、民衆宗教、各地に芽ばえた村落復興運動なども、それぞれの立場を正当化する権威を求めて、天皇崇拝や国体論に行きついた。
  • 村役人や地主・名望家、学校教師、神職と僧侶、企業経営者など、権力と一般民衆の結び目にあって活動するあらゆる中間的支配者層には、権威ある中心を求めて天皇制に行きつき、天皇制にみずからの正統性根拠を求めようとする顕著な傾向があり、民権運動などの反政府的な運動もまた基本的にはこうした枠組の内部にあった。