仏教はどのように日本人を作ってきたか  仏教による民衆教化の歴史

pikarrr2016-12-30

仏教の力は成仏による清浄である


明治に西洋近代文明が入ってきて、日本人は大きく啓蒙されたということはよく言われるが、それ以前に仏教により日本人は啓蒙・教化されていた。

日本における仏教の大きな役割は祈祷だった。日本は八百万の神が住むと言われてきたが、それとともに多くの悪霊が住む国であった。有名なところでは、古代に短期間で平城京平安京など遷都が行われたのは、悪霊を避けるためであった。そこに国家を上げて大きな労力がさかれた。このために日本には陰陽師など悪霊を退治する技術が発達した。そして仏教は最先端で最強の技術として取り入れられ、国家管理の下、多くの仏像、寺院が建てられた。

この仏教の力は、成仏である。輪廻転生という死後の世界へもアクセス可能という画期的な技術により、悪霊となった死者を成仏させ、退散させる、また自らも死んだときに極楽浄土へ成仏できるという画期的な技術であった。




家体制への民衆教化


国家管理され、上層部のみが享受してきたこの仏教の技術が、民衆に広く開放されたのは、戦国時代である。応仁の乱以降、中央の力は解体され、荘園制から自立した農民たちが誕生する中で、各地にこの仏教の技術は広まった。その大きなものが葬儀の普及だ。それ以前、死体は穢れたものとされて、川や山に放置されていた。穢れは現代の伝染病のようなもので、人に取り付くと多くの災いをもたらすとされた。現代でも葬式にでた後に体に塩をふるのはそのためだ。それが、僧侶が国家管理から解放され、民衆のもとに出向き、穢れを清めて死体を成仏されることを可能にした。自立した農民が先祖という系譜を紡ぎ、家系を作る中で、僧侶により親を弔い、墓を建てる先祖崇拝は中心的な役割を果たした。

仏教による民衆への影響はこれだけに留まらない。悪霊が住まう世界を次々に成仏されていく。今まで、恐ろしくて近づけなかった土地を解放して、人の住める場所にしていく。現代で言えば宅地開拓のようなものである。それはまた精神面しかりである。古い迷信などを仏教の教理により解体していく。

その教化の内容が慈悲である。自分だけのためでなく、周りのために、より広くは世の中のために役に立つことをする。それにより清められて、悪霊を退散し、自らも成仏できる。日本人らしい現世利益とつながった仏教の受容の仕方であり、日本人は教化された。

これを利用したのが、江戸幕府である。檀家制を導入して、国民全員をお寺に紐付けて、戸籍の役割として管理するとともに、慈悲による民衆教化を進める。士農工商を単なる縦の管理システムではなく、それぞれが世のために職分を全うする横のシステムとして機能させる。




勤勉さへ民衆教化


江戸時代も中期になると、経済も発展して、農民も単なる農業だけでなく、市場経済に参入していくようになるが、仏教による教化は、勤勉として市場経済を生き抜く技術になっていく。本来、金儲けは卑しいことたされてきた。だから武士は市場の利益に大きく関わらずにきた。仏教は金儲けも清浄する。金儲けを目的にすることは卑しいことだが、商売とは世の中のために行う清い職である。世の中のために勤勉に働き、その結果お金が儲かるだけだ。民衆は自らも農業技術をまなび、村単位で規律ある勤勉な活動を進め、市場経済を生き抜く。

この流れは明治を超えて、広まっていく。むしろ明治になると、政府は富国強兵を目指すために、世のためにから国家のためにへと、勤勉を推奨する。特に明治政府は最初から財政難に苦しみ、農民からの地租税を財政の基本として、今まで以上に厳しい税を課した。このために多くの一揆が起こるわけだが、その中で勤勉により自らで儲けていくことを強く推奨する。




国家体制への民衆教化


明治になり、西洋近代化による資本主義経済が導入されて、経済合理性を重視するように、均質な国民が作られ教化されていく。その中で、西洋でのプロテスタンティズムの天職概念による勤勉さが資本主義経済を推進したように、慈悲による勤勉は大きな推進力として働く。

しかし慈悲による勤勉さのすごさは、西洋近代でのプロテスタンティズムの影響が資本主義経済のテイクオフの初期のみであったと言われるのに対して、現在も経済合理性のためではなく世の中のために働く日本人の仕事の基本として継続していることだ。

この一つの理由が、日本人が島国という閉鎖環境の中で疑似単一民族として、日本人に独特な世間という擬似的な閉じた世界を維持していることにあるだろう。世間のみなさま、世間体、世間に申し訳ないとして、世の中のために働くということが、より具体的に想像できる。大陸の多民族社会では維持できない想像が、みんながそれぞれ頑張っているから自分も頑張るということが想像され続けている。

江戸時代初期は、世間という慈悲の経済則圏は村、領内だったものが、市場経済の発展とともに地域経済圏へ、そして明治には国家によるナショナリズムと日本国へと広がった。




日本人は仏教圏から出られない


仏教が祈祷として受容されたその始めから、日本人の仏教は仏教なのか、という疑問がある。祈祷は、本来の仏教の主な教義ではない。そして葬式仏教や勤勉さしかり。仏教の本来の教義は、我を滅して人のために慈悲を施しこの世界の根源的な苦から解脱される救済である。

たとえば日本中世に広まった穢れの思想は、もともとは仏教の清浄の相対として広まったと言われる。仏教の清浄さが認められることで、相対的に穢れにも敏感になる。そして日本の神道の基本は清浄にあるが、これもまた仏教の相対化として、仏教よりも清らかにということで高められ、過剰に穢れを回避する。そして敏感になった穢れを仏教が清める。ある意味で自作自演。

それまで体系的な知を持たない日本人は仏教という巨大な知の体系の波に巻き込まれることで、日本人らしさを作ってきた。それは外来文化である仏教を肯定し否定することが仏教の枠の中で弁証法的な運動として展開する。そうして日本人の仏教が仏教であるか、日本人が仏教徒であるかに関わりなく、仏教は日本人を作ってきた。
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